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 7月31日(火) 江ぐち@三鷹
最近は、都会化の特徴として、地域で子どもを育てるという考え方が希薄になっています。

子どもは、社会の宝であるはずです。昔は、他人の子だろうが自分の子だろうが、悪いことをしたら、感情にフィルターをかけず、全力で叱ってくれるおじさんがいたでしょう。
価値が細分化され、個々人のエゴが放任されている現代と違って、昔は、そういうおじさんの存在が許容される、いや、推奨される社会的同質性や信頼感と連帯感があった。

僕が子どもの頃、野球をしていたら、ボールがあらぬ方向に跳んでいって人の家の窓ガラスを割ったことがありました。すると、家の中から、「コラー!」という怒声が飛んできて、ふんどし一丁で、乳首を紫に塗り、全身にイカを貼っつけたおじさんが現れ、僕と友人たちを一列に並ばせ、斧で順番に僕たちの首を斬り落としたものです。そうやって、首を斬り落とされたから、僕は「今後は気をつけよう」と反省することができました。しかし、嘆かわしいことに、いまは、そういった自発的な地域ぐるみの教育というものがない。

仮に、いま、悪いことをした子どもを一列に並べ、順番に首を斬り落とすおじさんがいたとしたら、また例のごとくPTAやマスコミなどが大騒ぎして社会的な問題に発展するでしょう。そもそも、最近の子どもは一度死ぬと生き返りません。しかし、昔はそうではなかった。昔といっても、49兆年も前の話ですが。


『江ぐち』でチャーシューメンを食べました。
 7月30日(月) わ@吉祥寺 ホープ軒@吉祥寺
空間という概念を根底から覆すのが、戻りゴリラです。

普通、「戻る」というと、まず、A点からB地点へ行って、B地点からA地点に「戻る」わけです。
「戻る」というのは、「往復」でいうところの「復」です。本来、「往」がなければ、「復」はない。しかし、戻りゴリラは、行ってもいないのに戻ります。旭川に戻っているのです。旭川とは全然違う方向に移動しているのに、物理的に旭川に戻っている状態なのです。

この理屈は地球上であれば論理的に成立します。例えば、僕が吉祥寺から新宿方面へ移動するとします。その場合は、僕は吉祥寺に戻っているのです。なぜなら、地球は丸いからです。僕が新宿方面にまっすぐ行っても、地球を一周して吉祥寺に戻る方向性を示しているのは事実です。

しかし、戻りゴリラは違います。
例えば、戻りゴリラは、火星の方に向かっているのに旭川に戻っている状態なのです。旭川から離れる一方なのに旭川に戻っているのです。

こういった状況が物理的にどのような状態なのかを説明することは人間の言語では不可能です。しかし、説明不能だとしても、これは紛れもなく事実なのです。

戻りゴリラが進む方向には必ず旭川がある。
戻りゴリラはどこに進もうが旭川に戻るのです。これが、戻りゴリラが空間の概念を根底から覆すゆえんです。同時に、戻りゴリラは空間という概念の脆弱性を証明しているのです。

いわば、戻りゴリラは空間を殺害しているのです。


1ヶ月続いた、時によっては徹夜になる仕事に終止符が打たれました。私服を着たのも1ヶ月ぶり。サンダルは最高です。途轍もない開放感が睡眠不足や疲労をぶっ飛ばしました。
ヒョッコリ君と『わ』で飲みました。これからはまた、思う存分に飲めます。飲まないと死にます。γ-GTPが基準値以内に収まっている自分など見たくはありません。


夜、また、ひとりで吉祥寺に出て、喜びのままに、『ホープ軒』で中華そばを食べました。この一ヶ月は、栄養士が考えた、カロリー控えめの品目が豊富なヘルシー弁当を毎日食べていましたが、これからはまた、思う存分にラーメンを食べられます。ようやく、死のニオイを放つことができるのです。


 7月29日(日)
以前録音して公開してなかったものですが、今日は、マユモーから、世の中の色んなことに悩んでいる女の子たちへのメッセージをアップしたいと思います。


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 7月28日(土)


クリックするとバカ音声のページに飛ぶよ!

 7月27日(金)






ねえよ。
 7月26日(木) 味噌一@三鷹
降りゴリラ(おりごりら)は永遠に降り続けます。

降りゴリラは「上」とか「前」というような概念を認識できません。当然、降りゴリラは「上」に上ったり、「前」に進んだりできません。降りゴリラが認識できる空間は「下」だけです。ですから、降りゴリラはずっと降り続ける。しかし、ずっと降り続けるといっても限度があります。「下」には限界があるからです。

地上から見て、最も下なのは地球の中心です。
地球の中心は、地上のどこから見ても最も低いポイントになる。ですから、これより低い下はありません。では、降りゴリラが地上からずっと下に降りていって地球の中心に到着した場合、それより、下に行くことは物理的には不可能になってしまう。しかし、降りゴリラは、何らかの超越的な方法で地球の中心よりも低い空間を作ってしまうのです。降りゴリラは「下」を無限に成形することができるのです。ですから、降りゴリラは、我々には決して到達できないような低い場所に行くことができるのです。


仕事が23時過ぎにやっと終わって、それから元気に『味噌一』に行って、元気に八丁味噌ラーメンを食べました。元気なわきゃない。いや、元気です。永遠に元気です。


 7月25日(水)
永遠と無限の彼方に存在するゴリラワールドには、「3億日坊主」という言葉があります。

これは、飽きやすくて物事が長く続かない人を指す蔑称です。何かに取り掛かっても、3億日くらい経つと、もう飽きた、って感じでやめてしまう人のことを言うのです。

たった3億日でさえ続かないなら何もモノにすることはできません。
例えば、芸術などもそうでしょう。絵画を極めるには本来最低10億日は必要です。10億日くらい絵を描かないと、芸術の域には到達できません。そうなると、人間の場合はもっとひどいです。人間の場合、例えば、80年間毎日絵を描き続けたとして、大雑把に計算すると、365日×80年で、29,200日くらいしか時間を費やせません。10億日には遠く及ばない。3億日坊主にさえ至らない。ですから、人間が絵画を芸術の域に高めることは不可能です。

人間の絵画や音楽は物理を超えません。
人間が生み出す絵画は単なる形象と色彩に過ぎないでしょう。音楽だって単なる振動です。
絵画で言うなら、視覚を前提にしている時点で限界がある。視覚というのは新興宗教とさほど変わりません。「見る」という方法で世界を解釈すること自体が偏っているのです。いうなれば、目を持っている人すべてが「見る教」の信者なのです。言い換えると、目を持っている人すべてが「見る」という認識方法に洗脳されているのです。

しかし、ゴリラ達の多くは「見ない」。
超越的なゴリラ達は、「見る」という杜撰な方法で対象を認識しない。ゴリラワールドの芸術は、視聴覚といった低次の感覚は用いない。彼らは、「見る」とか「聴く」のではなく、「まひょる」とか「ぽなへむ」という高次の認識方法で対象をとらえる。もちろん、「まひょる」とか「ぽなへむ」は、ゴリラワールドではほんの一部の認識方法に過ぎず、他にも55億以上の高次な認識方法があります。

人間は、「脳」という原始的で性能の低い思考装置しか備わってないので、「見る」とか「聴く」といった単調な認識方法しか持ち得ないのです。ですから、そのような人間が描く絵画は芸術とは言いません。単なるモノです。単なるモノに対して、「素晴らしい!芸術だ!」などと評するのは、ゴリラからしてみれば荒唐無稽です。
 7月24日(火)
また今日も自動販売機にタバコを3つ取り忘れましたが、動画です。


午後はまるごと おもいッきし 人を疑い相談室!【からまわりTV】

 7月23日(月)
みなさんは、時代の変化を感じていますか?

感じているとすれば、それはどのような変化でしょうか。今日は、僕自身が強く感じている時代の変化について真剣に語ってみたいと思います。


音声ファイル

 7月22日(日)


動画:バカ吹き替え「対抗策」

 7月21日(土)
しゃべりゴリラをご存知でしょうか。

しゃべりゴリラは凄まじくしゃべります。おそらく宇宙で最もしゃべる存在ではないでしょうか。しかし、しゃべりゴリラは無口な存在として認識されるのです。

なぜ、宇宙一よくしゃべる存在が無口に思われるのかについて説明します。
要するに、このゴリラがしゃべるのは一瞬なのです。0..0005秒くらいの間に、天文学的な数字の文字数の文章を話すのです。一瞬のうちに普通の人間が一生にしゃべる量の10億倍くらいしゃべるのです。つまり、しゃべりゴリラは凄まじく早口なのです。しかし、その0.0005秒の間以外は、しゃべりゴリラはひとつもしゃべりません。1年に1回くらいしかしゃべらないのです。普段はずっと黙っている。こちらがいくら話しかけようとも、普段はずっと無言なのです。だけど、急に口を開いたかと思うと、0.0005秒の間に、めちゃくちゃしゃべるのです。そして、しゃべり終わると、また、一年くらい無言です。

だから、しゃべりゴリラと会話をすることは、我々にはほとんど不可能です。
いつしゃべり出すか分からないですし、しゃべっても一瞬なので、あいづちを打つ暇もありません。もちろん、しゃべりゴリラ同士の会話はなんら問題なく成立します。


買い物に行く時間も取れない状態なので、家の人に、「名刺入れを買っておいて」とお願いしました。で、買われたのが、ジェシカ・ラビット(ロジャー・ラビットの妻)のデザインのやつ。特に嫌なところもなく、ものすごく好きなわけじゃないけど、普通に気に入りました。

だけど、これのパッケージの裏面。


これは、本当に社会人用の名刺入れなのでしょうか。
 7月20日(金)
僕も禁煙に何度か失敗してますが。

ここ何年かで、タバコという存在がすっかり卑屈になっています。タバコは、「ここ数年で卑屈になったものランキング」で1位です。2位は、えなりかずきです。いや、それは適当です。

こうした、パッケージのバリエーション豊かな文言を見ていると、大人の事情が溢れんばかり。
 

 
「死ぬよ」とか「死ね」は当然に書けませんし、「あなたがタバコを買わなくなると、凄まじい数のJT職員が職を失い、それぞれの家庭が、軒並み経済的に崩壊します」とも書けない。つまり、こう、何種類かの真実とかエゴとかが一箇所に集中して競合するもんだから、すごくデリケートになってて、ギリギリの大人の事情がよく見えてくる。

かといって、笑ったのがこれです。


ふと、空を見上げて、『ほっ・・・と一息、ソフトスウィート』

『ほっ・・・と一息、ソフトスウィート』という、キャッチフレーズが堂々とパッケージに載っているのですが、同じパッケージの側面に、すでに、そのキャッチフレーズに対する言い訳っぽい文言が載っているの。


笑った。もう、これ、ノリ的に、次週号に掲載する謝罪文じゃないですか。
あの、新聞とか雑誌とかでよくある、「先週号の、何ページの、どこかしこの記事で、不適切な表現がございました」みたいなの。それを同じパッケージでやってるんだからスゴイ。不適切な文章と、その、不適切な文章を詫びるテンションの文章が同居してるんだから。

で、さっき、自動販売機でタバコを3つ買ったのですが、取り出すのを忘れました。これ、僕、よくやるんです。なぜなら、僕はアルツハ…、いや、やめます。時事的に避けます。その自動販売機は自転車で5分くらいのところにあるのですが、もう、なんか疲れて面倒なのであきらめます。
 7月19日(木)
子供を見ていても感じますが、男の子と女の子だと、明らかに男の子の方がバカです。

男の子は、「壊してモノを知る」という傾向が強く、女の子は、「見てモノを知る」という傾向が強いと思います。別の言い方をすると、男の子は、見るだけじゃモノを理解した気になれず、壊さないとモノを理解した気がしません。だから、人を叩いたり、機械や虫を分解するのが相対的に女の子よりも好きなのではないか、と思っています。

ドリーム坊や(3歳)の作品:「壁シール」

ドリーム坊や(3歳)の作品:「キッチンカウンターに油性マジックで落書き」

ドリーム坊や(3歳)の作品:「和室のふすまに穴」

ドリーム坊や(3歳)の作品:「お約束なまでに障子破り」

 7月18日(水) 婆沙羅@三鷹
森羅万象、全ての責任は、責任ゴリラに帰属します。

逆に言えば、この世界の全ての現象において、責任ゴリラ以外には責任はありません。責任ゴリラは「究極の責任者」です。殺人が起こる責任も、戦争が起こる責任も、環境破壊が起こる責任も、突き詰めれば、全て責任ゴリラにあります。ですから、殺人や戦争や環境破壊は、人間のせいではない。

もちろん、この宇宙が誕生したのも責任ゴリラのせいです。地球上に生命が創り出されたのも責任ゴリラのせいです。

段階として、まず、人間が犯した過ちの責任は神が負う。では、神が犯した過ちの責任は誰が取るのでしょうか。そう、神が犯した過ちの責任は責任ゴリラが取ります。つまり、責任ゴリラは神にとっての神なのです。森羅万象の責任の最終地点は、責任ゴリラなのです。それ以上のメタループはない。

例えば、ある人が冷蔵庫に日持ちしない食べものが入っているのをうっかり忘れて、ほったらかして腐らせてしまった、とします。しかし、それはその人のせいではない。例えば、ある人が銀行強盗をした、とします。しかし、それはその人のせいではない。例えば、ある人がキリストを裏切った、とします。しかし、それはその人のせいではない。その人は何も悪くない。悪いのは、全部、責任ゴリラなのですから。

では、責任ゴリラとは誰なのか?

それは、いま、これを読んでいるあなたです。
あなたが、この世界の過去現在未来に渡る、全ての現象に対する責任を持っているのです。だから、あなたは、神が犯した過ちの責任さえも負わなければなりません。

というような、壮大なスケールの責任転嫁をするのが、責任転嫁ゴリラです。


21時に仕事が終わり、それから、マユモーと『婆沙羅』で飲みました。


 7月17日(火)


音声ファイル

 7月16日(月)
ウォータン

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