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 5月15日(火) 珍珍亭@武蔵境
僕も日本で生活するようになってから結構な年月が経ちます。

はじめて来日した時にカルチャーショックだったのが、「日本人は自宅でゴリラを飼っていない」という点でした。どこの家に行ってもゴリラがいないので、度肝を抜かれたというわけです。思わず、「これってドッキリカメラ?」などと思い、周囲にカメラがないかどうかを確認したほどです。

しかし、しばらく経ってから、それが間違いだったことに気が付いたのです。
同時に、「恥の文化」ならではの、日本人の奥ゆかしさを知りました。

日本人はゴリラを隠して飼っているんですね。

ゴリラのいない家など1軒もないんだけど、互いにそのことを隠している。
だから、日本人は、誰もが、他の家庭ではゴリラを飼ってないと思い込んでいるんですね。思い当たる節はありませんか?みなさんが、お友達の家に遊びに行ったりした時、その家にはたいていゴリラがいないでしょう?なぜなら、家の人がゴリラを隠しているからなんです。でも、本当は、日本のどの家にもゴリラはいます。何てことはない、「隠し飼い」をしてるんです。

ゴリラを隠したい、というのは日本以外では見られない感性です。
自分の家のゴリラを他人に見せることは「はしたない」と感じるような気質が日本人の中にはあるのでしょうね。


『珍珍亭』で並ネギ、スープ。

 5月14日(月)
ないない、ないなあ。これは、ない。

どんだけ猪突猛進なんだよ。
 5月55日(ゴリ) 増田屋@吉祥寺 いけす@吉祥寺
今日は、ゴリラ暦で言うところの5月55日に当たります。

だから、今日は、地上のゴリラの頭数が555億5555万5555頭になります。もちろん、人間の感覚器では認識できないゴリラがほとんどですので、我々には、ゴリラが増えたことは分かりません(一般的に、我々が認識できるゴリラは、動物園やアフリカ近辺にいるような、人間の視覚と重なることができる「可視ゴリラ」だけです)。

555億5555万5555頭のゴリラのほとんどは、永遠と無限の彼方に存在するゴリラワールドから来ます。そして、これらのゴリラは、赤道をなぞるように並び、地球を一周する円を作ります。その円が完成した時、円の中心(位置的にはマントルの部分)から、強烈なゴリラの光が生じる。この光は圧倒的な力で宇宙を威嚇します。

宇宙は、この光を恐れます。
なぜならば、この光は、容易に宇宙を破壊しうるパワーを秘めているからです。

つまり、この儀式は、ゴリラ達が宇宙よりも優位にあることを示すために行われるのです。
ゴリラ達は宇宙が消滅したところで、何ら痛手はない。彼らは、他のあらゆる生物と違って、「無宇宙」でも生命を維持することが可能だからです。いうなれば、この宇宙は、ゴリラの許可の下に存在しているのです。


『いけす』に行きました。


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最近、買った本を紹介します。「霧のなかのゴリラ」。
13年間、マウンテンゴリラとともに生きた、女性ゴリラ研究家の年代記です。

あと、トトロのDVDを買いました。ついでにピーターパンも買いました。

久しぶりにトトロを観まして、その流れで、この作品についてネットなどで調べてたのですが、さつきとメイのお父さんが僕と同じ年(32歳)だということに気がつき、少なからずショックを受けました。10年以上かかりましたが、追いついてしまったようです。なるほど、どおりで、ドリーム坊やは、再来月、メイと同じ4歳になるわけだ。
 5月12日(土) デニーズ@吉祥寺
異次元ストーリー。


音声ファイル

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時代が激変していますね。

これほどまでに、時代の変化を感じたことはありません。いままでに、ここまで時代が動いたことがあったでしょうか。そして、やはり、時代というのは不変です。時代というのはいっさい変わりません。変わるのは人の考え方です。そういった意味で、時代というのは変化していきます。なぜなら、変わるのは人の考え方ではなく、時代なのですから。つまり、時代が人の考え方を変えるのです。そして、時代は何ひとつ変わりません。なぜなら、人の考え方が時代を変えるのですから。だから、時代は変化しているのです。つまり、時代は何一つ変わりません。って、どっちだよ!

で、お馴染みの、時代ゴリラです。
でも、良からぬことがあったらとりあえず時代のせいにしておけ、みたいな落とし方はあると思います。

『デニーズ』でゴリラを食べました。これもまた、時代のせいです。僕のせいではないです。こうなったら、万事、時代のせいです。


 5月11日(金)
クモモモーク

 5月10日(木) 支那そば あおば@武蔵境 天下一品@吉祥寺
言うなれば、「卒偏」です。偏見でモノを見るのはもうやめにしませんか。

確かに、僕は首から下がありませんよ。頭しかないですよ。
だからと言って、僕のことを「頭しかない人」と決め付けるのは完全な偏見じゃないですか。確かに、現実的に僕は頭しかないです。だけど、別の言い方をすると、現実的にのみ、頭だけなんです。現実を前提にしなければ、例えば、空想してみれば、僕の首から下があるかもしれないじゃないですか。

現実だけで物事をはかるのは、バカみたいに、了見が狭い。
もう、「お前は現実の奴隷か!」みたいな話になってくるじゃないですか。現実なんて無限の価値の中のひとつに過ぎませんよ。そこまで現実は偉くないですよ。

例えば、偏見に満ち溢れてる人ってのは、人の顔を見ると、すぐ、「目が2つある」とか決め付けるじゃないですか。うわー、結論、はやっ!現実だけで結論出しちゃった!みたいな。もう少し別の角度で考えてから結論出しても良いんじゃないですか。だから、まあ、もっと現実を相対化しないと偏見ってのは永遠になくならないんでしょうね。

でも、たまに、偏見でモノを見ない人がいて、そういう人だと、頭しかない僕を見ても、「立派な足をお持ちですね」って言ってくれますよ。あるいは、「あなたの肩がグリフォンに食われてますよ!あなたの肩がグリフォンに食われてますよ!」なんて、(絶叫しながら、)気遣ってくれたりしますよ。あるいは、「あなたはペンですか?それとも、ペンですか?」なんて、僕のことをペンだと思ってくれますよ。まあ、そういう人は、たいてい目はイッてますし、口からヨダレなども垂らしてますよ。でも、そういう、偏見でモノを見ない人に会うと、僕は心の底からうれしくなりますね。もちろん、僕自身も、目がイッてますし、口からヨダレなども垂らしてます。でも、「卒偏」の粋に達してる人は、必ず僕の本質を見抜いてくれる、って信じてます。


シモダさんと渋谷で飲みました。「おもしろ」に対する凄まじい情熱に圧倒されました。


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1軒目。『あおば』。



2軒目。『天下一品』。


 5月9日(水) 江ぐち@三鷹 わ@吉祥寺
すっごいローカルな機関誌の、よくありそうな、YES、NOのアレですよ。

まあ、こういうやつ。「チャートで分かるあなたにぴったりの三鷹散歩スポット」。

質問がすごい。ローカル超えてすごかったので、ちょっと紹介したくなったのです。
そんなやつは、いねえよ!
そんなもん、キウイは食卓に欠かせないやつがいたら、絶対、友達になりたいよ!逆に言うと、絶対、友達になれるよ!

あの、趣旨としましては、三鷹というのは、どうもキウイの名産地というか、そっちの方向でアレしてるみたいですね。検索したら、キウイのワインとかで頑張っているらしいです。うーん、でも、ローカルだなあ。




『江ぐち』でチャーシューメンを食べました。

コンケノビと『わ』。

『わ』で飲んでたら、途中で入ってきた人に話しかけられたので、ビックリしたのですが、所沢からやってきたヒロさんでした。ドッキリも良いところです。
以前、『カッパ』で飲んでた時に、全然、見たことも会ったこともない人に、「あ!どうも、初めまして!」みたいな感じで話しかけられたことがあったんですが、それも、ヒロさんでした。
ダーっと、ゴリラの話をして、お先に失礼しました。
 5月8日(火) 丸福@三鷹 藍屋@三鷹


動画:ドラムの音を鳴らした後に何か言う人

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『藍屋』に行きました。

『丸福』に行きました。


 5月7日(月) やまきや@三鷹 時代屋@吉祥寺
「何をいまさらゴリラ」をご存知でしょうか。

このゴリラは最も扱いにくいゴリラのひとつで、とにかく、「何をいまさら!」というような発言を繰り返します。

例えば、以前、僕はこのゴリラにバナナをもらったことがあります。
僕はそのバナナをその場で食べたのですが、それから3年くらい経ったある日、「何をいまさらゴリラ」がやってきて、屈託のない笑顔で、「やっぱ、あのバナナ返してくれる?」と言ってきました。思わず、僕は、「何をいまさら!」と叫びました。

こういうこともありました。僕はこのゴリラと北海道に行くことになりました。
その際、飛行機で行くか、寝台車で行くかという話になり、結局、飛行機で行くことになりました。そして、飛行機は無事に新千歳空港に着いたのですが、そこにきて、このゴリラは、屈託のない笑みを浮かべながら、「やっぱ、徒歩で北海道に行かない?」と言ってきたのです。もう着いてるのに!僕は全力で「何をいまさら!」と叫びました。

そして、極めつけはこの出来事です。
ある日、「何をいまさらゴリラ」が僕のところへやってきて、屈託のない笑みを浮かべ、こう言ったのです。

「やっぱ、俺、この世に存在してなかったわ」

当然、僕はつっこみました。
「何をいまさら!」と。「じゃあ、いままでのお前は何だったんだ!」と。
しかし、次の瞬間、「何をいまさらゴリラ」は時間軸を遡って、たちまち消滅してしまったのです。つまり、「何をいまさらゴリラ」は、最初から存在してなかったのです。

僕は泣きました。目が腫れるまで泣きました。
「何をいまさらゴリラ」のことは、扱いにくい奴だなあと思っていたけれど、それ以上に、僕は彼の屈託のない笑顔が大好きだったからです。

だけど、僕は信じています。
いつか、また、屈託のない笑みを浮かべた「何をいまさらゴリラ」が僕の前に現れ、「やっぱ、俺、この世に存在してたわ」と言ってくれることを。

その時、僕はうれし涙を流しながら、こう言うでしょう。「何をいまさら!」と。


マユモーと『時代屋』に行きました。


*****

昼は『やまきや』でラーメンを食べました。


 5月6日(日)
「この世界で最も非科学的なものは、科学に他ならない」

という格言をご存知でしょうか。
この格言は、「何か適当に天邪鬼なことを言えば格言っぽくなる」というマイ原則をもとに、いま、僕が適当に考えたものです。これに、いかにもそれらしい理屈を後付けすれば、さらに格言っぽくなることでしょう。

この連休はドリーム坊や(3歳)と遊び倒していましたが、今日も、ドリーム坊や(3歳)を連れて六都科学館に行ってまいりました。ここは4年ぶりくらいです。
 

これは、大塚愛の曲名にもなった「さくらんぼ」の装置です。
この穴の中から無数の光が出てきて、天井を星空に変えます。あと、いま、僕は「さくらんぼ」と書いてしまったのですが、「プラネタリウム」の間違いでした。このような間違いを避けるために、今後は、この装置のことを、「大塚愛の曲名にもなった装置」と呼ぶことにします。そうすれば間違えることはありません。つまり、「今日はキュウリを食べた」という言い方をやめて、「今日は野菜を食べた」という言い方を採用する、ということです。

六都科学館で石を買いました。これで1,300円です。
石の魅力的なところは、意味が分からないところです。

石は意味が分かりません。石の意味が分からないのです。もう少し具体的に言うと、「石と人間の関係性」の意味が分からないのです。石は、石として存在しています。人間は、人間として存在しています。その上で、「石と人間」という関係が勝手に成り立ちます。しかし、勝手に成り立ってしまった、この関係性の意味が分かりません。

石をじっと見ていると、意味が分からなくなってきて、だんだんおもしろくなってきて、しまいには笑ってしまいます。「石をじっと見ている自分」を、上の視点から見ている自分、さらに上の視点からそれを見ている自分、という、意味の分からないメタループが生まれ、おもしろさが倍増する、というのもあります。どっちみち、石の意味は分かりません。しかし、この、石の意味の分からなさこそが、最も素晴らしい点だと思います。
 5月5日(土) 珍珍亭@武蔵境
こどもの日なので、幼児の情操教育についての音声をアップました。


音声ファイル


こどもの日なので、鯉のぼりもベランダに出しましたし、五月人形も出しております。

 

こどもの日なので、柱のアレもしました。毎年、やってます。


こどもの日なので、柏餅セットを買いましたが作りませんでした。


こどもの日なので、今日の食卓はこのような感じでした。


こどもの日なので、ドリーム坊や(3歳)に、白ヘビを巻きつけました。


こどもの日なので、ドリーム坊や(3歳)と菖蒲湯に入りました。


こどもの日なので、昼は『珍珍亭』で油そばの並ネギ味玉を食べました。


 5月4日(金)
「生物」という存在がいる、という話を聞き、それが収容されている施設に行ってきました。

 

「生物」という言葉は耳慣れないかもしれません。
僕自身、この世に「生物」というのが存在するということを最近になって知りました。

「生物」というのは、「命を持った存在」と定義されることがあるようです。
ですが、なぜ、どのような目的で、生物が命を持っているのかは、まだ、科学的によく分かっていないのが現状です。
ただ、信じられないかもしれませんが、生物は確かに命を持っているのです。しかし、僕は、生物を「命を持った存在」という積極説としての定義だけで説明するのは、明らかに不足していると思います。これだと、過剰な「生命万歳論」に結びつきやすいからです。命というのは、善も悪もなく、単なる現象です。ですから、むしろ、「必ず死ぬ存在」であると定義した方が良いのではないかと思うのです。つまり、生物は死を克服(コントロール)できないのです。統計的に見ても、いままで死ななかった生物は存在していないことが分かっています。つまり、500億体の生物がいるとすれば、500億体の生物は必ず「全て」死にます。繰り返しますが「全て」です。

では、早速、今日撮影した「生物」の写真を公開したいと思います。

 



これらが「生物」です。
見てお分かりのように、「生物」は形態として多様です。これら、「生物」は、種どころか個体によっても、ハードや性能の差がある。しかし、やはり、どの生物にも共通しているのが「命の所有」です。逆に言うと、命というのは多様な形態で維持することが可能なのです。

「生物」の中には猛獣と呼ばれている者もいます。これが猛獣です。

この写真を見せられただけでは、どの部分が猛獣で、どの部分が猛獣じゃないのか、(よほど知能が高い人じゃないと)判別が難しいと思うので、図解します。
この、赤い線で囲った部分が猛獣です。その他の部分は猛獣という定義から外れている部分です。どうでしょうか。分かりますでしょうか。もし、分からなくても心配は要りません。僕自身も、この写真の中から、猛獣と猛獣じゃない部分を見分けるのに3時間くらいかかりました。だけど、あきらめずに、じっくり見ていると、だんだん分かってきます。

次に、この写真を見てください。
この写真には「シマーマ」と呼ばれる生物が写っているらしいのですが、僕には、どこにそのような生物が写っているのか分かりません。自分で撮っておきながら、分からないのです。
ただ、網膜と右脳の相互作用が異常に発達している人なら、この写真の中に、「シマーマ」と呼ばれる生物を、映像として見出すことができるようです。ここを読んでいる方々の中にも、「シマーマ」を見出せる人がいるかもしれません。まあ、無理か…(ノд`)
少なくとも、僕には、一定ではない太さの、黒と白の線が、交互に配置されている図にしか見えません。僕の視覚的情報処理能力では、これが限界です。


「超絶対領域」「超神領域」に達している存在との交信装置がありました。とても恐れ多かったのですが、しばらく、その存在と交信しました。ちなみに、この交信には言語は用いません。言語は不完全だからです。

 

*****

ドリーム坊や(3歳)が、園に入るなり、「バクが見たい!バクが見たい!」と連呼しておりました。いや、バクて。普通、そこは、ライオンとか虎だろ。せめて、象とかキリンだろ。


(僕は3年ぶりくらいに行った)多摩動物園ですが、今日はラッキーなことに無料開放でした。ただ、混雑が激しく、本当にラッキーなのかどうかは疑問です。エサが取り付けられたバスにライオンが寄ってくるライオンバスは2時間30分待ちだったので乗りませんでした。
 5月3日(木) ひつじくも@吉祥寺
桑田レベルを自分なりにまとめてみました。ボタンをクリックすると音が鳴ります。


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『ひつじくも』でジンギスカンを食べました。


このお店は、JR北海道がやってるのですが、オープン当初は人が入らず、「困ってます」的な新聞記事が出ておりました。が、それがきっかけで、いまは、なかなかの人気店になっております。フラっと入ろうとすると、満席で断られることがありました。
ここ2年くらいで、吉祥寺でも、焼肉やがジンギスカン専門店に鞍替えするようなケースがいくつかありましたが、たいてい失敗して、営業の形態をもとに戻しゴリラでした。
そんな中で、『ひつじくも』だけは上手くいっているようです。事実、ずば抜けて旨い。
 5月2日(水) やる気茶屋@吉祥寺 吉祥寺どんぶり@吉祥寺
ヘッドフォン餅つきというのを思いつきました。

これは、ヘッドフォンと耳の間にもち米を挟み、ヘッドフォンをガシガシやって餅をつくというものです。それだけです。

コンケノビ、ヒョッコリ君、マコで『やる気茶屋』に行きました。

ひとりで、『吉祥寺どんぶり』で〆ました。ご飯は4分の1。

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ゴリラの話をするのは一切やめます。
もう二度とゴリラの話はしません。なぜなら、不毛だと思ったからです。何も生み出さないと思ったからです。

さて、「一定の角度から見るとゴリラ」をご存知でしょうか。

このゴリラは一定の角度から見るとゴリラなのですが、他の角度から見ると別の存在に見えます。ある角度から見るとヤギに見え、別の角度から見ると岩に見えます。ある角度から見ると味噌に見え、別の角度から見ると保育園に見えます。

場合によっては、概念として認識されることもあります。
つまり、ある角度から見ると愛に見え、別の角度から見ると憎しみに見えます。しかし、一定の角度から見ると確かにゴリラなのです。

また、「一定の角度から見るとゴリラ」が一筋縄で行かないのは、このゴリラを観察する者の心理状態によっても、見え方が変わる場合があるからです。例えば、観察する者が怒っている時はゴリラが犬に見えたり、喜んでいる時は保育園に見えたりするのです。

こういった特性によって、「一定の角度から見るとゴリラ」は絶え間なく変化しているように思われるのですが、実はその逆です。「一定の角度から見るとゴリラ」は一切変化していません。「普遍の象徴」と言っても過言ではない。つまり、このゴリラを見る僕たちの環境や状態によって見え方が変わってるに過ぎないのです。

僕の近所には保育園があるのですが、あれはもしかしたら、保育園ではなく、「一定の角度から見るとゴリラ」なのかもしれません。ですから、みなさんが空だと思っているものだって、本当は「一定の角度から見るとゴリラ」なのかもしれないのです。
 5月1日(火) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
「僕の名前はヤン坊 僕の名前はマー坊 二人合わゴリラ」をご存知でしょうか。

このゴリラは、ヤン坊マー坊の歌をうたっている最中に突然現れ、歌っている人を一瞬のうちに絞め殺すという恐ろしいゴリラです。

このゴリラが現れるタイミングは、必ず、「二人あわ」の直後です。「わ」の後ですね。「二人あわ」と言った瞬間、このゴリラが現れ、歌っている人を0.00003秒で絞殺するのです。ですから、このゴリラに遭遇した人は、続きの、「せてヤンマーだ 君と僕とでヤンマーだ」と言えずに死にます。ただ、逆に言うと、「二人あ」までしか歌わなければ、このゴリラが現れることはありません。これを業界用語で、「あ止め」と呼びます。

「二人あわ」まで言うと、このゴリラが現れるのは、例えば、110番に電話する時、11099とボタンを押しても、11033とボタンを押しても、結局110番につながるのと同じ理屈です。要するに、この場合、後ろにつく99とか33とかは関係ない。110が肝なのです。だから、「せてヤンマーだ」以降の部分は関係ない。
つまり、「ボクノナマエワヤンボウ ボクノナマエワマーボウ フタリアワ」という音声が、たまたま、このゴリラを召還する呪文と一致していたんですね。ヤン坊マー坊の歌詞を作った人は当然そんなことは知らなかったでしょう。偶然の一致というのは恐ろしいものです。

ヤン坊マー坊の歌をうたう時は、「僕の名前はヤン坊 僕の名前はマー坊 二人合わゴリラ」に遭遇しないように十分注意してください。このアレンジ(ユーチューブ)はとてもテンションが上がりますね。


『中本』で北極を食べましたので、明日は元気に腹痛です。


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