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 3月31(土) 吉祥寺どんぶり@吉祥寺
先週ゴリラをご存知でしょうか。

これは、先週存在したゴリラのことです。
もちろん、先週に引き続き、今日も存在するかもしれませんし、もう、死んでるかもしれません。しかし、今日存在するゴリラは、すでに先週という格を失い、今日という格が上書きされていますから、先週ゴリラではなく、今日ゴリラです。つまり、先週存在したゴリラだけが先週ゴリラなのです。
同様に、来週存在するのが来週ゴリラです。来週ゴリラは未来を根拠にしてるので不確定な存在です。

渋谷で飲んだ帰りに、ひとりで『吉祥寺どんぶり』で〆ました。


食べてる最中に、店のブレーカーが落ちて真っ暗になりましたが、無言で食べ続けました。「うひゃあ!真っ暗だ!」みたいなことを言うべきだったのでしょうか。芸人じゃないとはいえ、そういうリアクションをするべきなのでしょうか。
 3月30(金) 丸福@三鷹 カッパ@吉祥寺 やる気茶屋@吉祥寺 吉祥寺どんぶり@吉祥寺
夢の中で爆笑して自分の声で目が覚めました。平和もいいところです。
あと、夢の中で歌って、その自分の声で目が覚めるってこともあります。チャゲアスの「万里の河」で目が覚めたことがあります。

『丸福』でラーメンにネギをトッピングして小ライス。

マユモーとヒョッコリ君と『カッパ』。

『やる気茶屋』でコンケノビが合流しました。

『吉祥寺どんぶり』で〆ました。ご飯は4分の一。

 3月29(木)
春めきすぎだっての。

今日は、僕が、(構想を含めて)4年半以上かけて考えた究極の一発ギャグを発表します。


動画:究極の一発ギャグ 発表 〜知の枠組を超えて〜


 3月28日(水) 藍屋@三鷹
ポックリボーイバンドのライブにも来てくれたカレー食人さんが「ワンダーボーイ」を歌ってくれました。こちらです。

若さに満ち溢れた歌い方で素晴らしいのですが、カレー食人さんは、アフリカ象に絞め殺されながら歌っているのが残念です。
確かに、アフリカ象に絞め殺されながら歌うと、発声がスムーズになり、音程やリズムもつかみ易くなります。また、プロでもこの歌い方でうたう人はいます。平井堅などがそうです。ただ、死ぬので、お勧めはできません。もちろん、どのみち死ぬとしても、アジア象ならOKです。


きまいちさんが「貴方は此処には戻らない」を歌ってくれました。こちら

今回はドーピングしないで歌う、と宣言していたきまいちさんですが、明らかにドーピングしてます。今回、きまいちさんは、大仏の螺髪に紛れて歌っています。
確かに、大仏の螺髪に紛れて歌うと、発声がスムーズになり、音程やリズムもつかみ易くなります。また、平井堅などもこの方法でレコーディングしているのはみなさんもご存知の通りかと思います。しかし、この歌唱法に依存していると、本来の自分の声を忘れてしまう可能性がありますので乱用は避けた方が良いでしょう。何より、敬虔な仏教徒を敵にまわします。

みなさんもどんどん歌ってね!女の子も歌って!特に、還暦前後の女の子が歌うとかなりおもしろいので歌ってね!還暦前後の男の子も歓迎です!還暦前後じゃなくても歓迎です!


『藍屋』に行きました。


 3月27日(火)
タタテロメネッタ

 3月26日(月) 魚吉@吉祥寺 魚銀@三鷹 さいたま屋@三鷹
生物というのはたいてい左右対称です。人間でも魚でも鳥でもみんな左右対称です。

そもそも、どうして左右があるのか。
実のところ、この世には、「右の神」と「左の神」がいるのです。

つまり、このふたりの神のパワーバランスが均衡状態にあるので、我々生物は左右対称なのです。もし、「右の神」が「左の神」よりも強大な力をもってしまったら、右半身が大きな生物が生まれ、たちまち、従来のシンメトリーは崩れる。逆も然りです。

右利きの人が多いのは、「右の神」の方が「左の神」よりも手が器用だからです。そのせいで、利き手については、「右の神」の加護を受ける人が圧倒的に多い。右目が悪い人は、「右の神」の加護が薄いからですし、左に心臓がある人が多いのは、部位として、「左の神」の影響力が強いからです。脳について言えば、「右の神」の加護が強い人は、「音楽」「絵画」といった芸術分野で才能を発揮する人が多いですし、「左の神」の加護が強い人は、「言語」「数学」といった論理的な分野で才能を発揮する人が多いです。

例えば、仮に、「右の神」が死んだらどうなるか。
その時は、世界から一切の右が消滅し、左だけの世界になります。


マユモーと『魚吉』に行きました。2日連続で『魚吉』です。
今日は、マグロの解体ショーを目当てに来ましたが、マグロが入荷されてませんでした。ショックでしたが、刺身がたいそう美味しいです。


『魚銀』でヒョッコリ君が合流しました。

のれそれ
近頃、どこもかしこも、この、のれそれを出してるを見ます。穴子の稚魚。


ひとりで『さいたま屋』で〆ました。


 3月25日(日) 魚吉@吉祥寺
タモさんを尊敬しています。


動画:ポックリボーイアワー「超 笑っていいとも!」

*****

『魚吉』で飲みました。


 3月24日(土) 珍珍亭@武蔵境
まだ、桜が咲きません。


*****

『珍珍亭』で油そば並ネギ味玉を食べたよ!


 3月23日(金) てんのてん@吉祥寺
なぜ、この社会が「三権分立」によって成り立っているのかを語るには、パモースコ博士がいた時代までさかのぼる必要があります。

パモースコ博士は人造人間モンテスを何体も造りました。
ご存知の方もいるかもしれませんが、モンテスキューはモンテスの9号機です。そして、モンテスキューは失敗作でした。なぜなら、パモースコ博士の真の最高傑作はモンテスの10号機、すなわち、モンテスジューだったのですから。しかし、公開直前に、モンテスジューは故障してしまった。塩水によって故障したのです。だから、パモースコ博士は、仕方なく、前作である9号機のモンテスキューを、啓蒙思想に溢れかえる当時の社会に公開したのです。

モンテスキューは、「三権分立」という、集団を最適化させるための権力の均衡を提唱し、社会の基礎を構築しました。みなさんもご存知のとおり、この思想の影響力は空前絶後だった。普通、思想というのは思想にとどまる。具体化はしない。しかし、「三権分立」は抽象に止まらず、国会、裁判所、内閣という形で具象化し、現社会の礎とさえなってしまった。しかし、塩水で故障したモンテスジューが提唱した思想は、「三権分立」など足元にも及ばない。現実を、構造ごと完全に汲みとるほど体系的で、芸術的なまでに人間の本質を射抜き、「幸福とは何か」という疑問をも余すところなく拾い切る、壮絶なものだった。ただ、モンテスジューは塩水で故障してしまったので、いまとなっては、それがどういった思想であったかを知る者はいません。もし、あの時、モンテスキューではなく、モンテスジューが公開されていたとしたら、いまごろ、この社会は完全体になっていたに違いありません。残念です…。

しかし、みなさん、肩を落とすのはまだ早い。
先日、パモースコ博士の遺志を引き継いだ僕が、モンテスの99号機を完成させました。

モンテスキューキューです。

いま、「三権分立」という脆弱なシステムは、99号機によって木っ端微塵に粉砕されます。そして、真の社会が完成し、この社会から矛盾という矛盾は消え失せます。しかし、モンテスキューキューは、僕の些細な不注意で、塩水によって故障しました。本当に申し訳ございません。


ヒョッコリ君と、『てんのてん』に行きました。


 3月22日(木) 藍屋@三鷹
松原さんが2曲も歌ってくれました。

貴方は此処には戻らない」(松原バージョン)
遠い街の風を聴こう」(松原バージョン)

「遠い街の風を聴こう」では、「ただし尻に稲は挟め」っていうセリフを、松原さんが、ものすごくシリアスに言ってるんですが、良いんでしょうか。最後の「ラララ…」がキレイです。

あと、僕は人の歌声を聴くと、その人がどういう状況で歌っているのか分かるのですが、どうやら、声から判断するに、松原さんは、「生きたリスをガムテープで顔面に固定」して歌っていますね(違ってたらごめんなさい)。


生きたリスをガムテープで顔面に固定して歌う松原さん

この歌い方は平井堅などがレコーディングの時に使用するドーピングです。
確かに、生きたリスをガムテープで顔面に固定すると発声がスムーズになりますし、音程を把握する力や、リズム感なども向上します。でも、これは卑怯な手段だと思います。この様子だと、普段、松原さんはカラオケなどに行く時も、常に生きたリスを携帯しているのではないでしょうか。正直、止めてもらいたい。何より、動物愛護の観点から反対します。僕の場合は、いつも、生きたイリオモテヤマネコを強力なボンドで顔面に固定して歌ってます。


きまいちさんが2曲も歌ってくれました。

手の平にひとつ勇気持って」(きまいちバージョン)
『誰もが望む明日』を望む」(きまいちバージョン)

きまいちさんの歌はカオスです。具体的に言えば、ただの酔っ払いです。
本当に楽しそうに(酔っ払って)歌ってくれています。こういった感じで僕の歌をうたってもらうと大変うれしい気持ちになりますし、僕の方もパワーをもらえます。

ただ、きまいちさん、あなたは香田晋を背中にしょって歌ってないですか?
隠しても無駄です。香田晋を背負って歌うのはドーピングです。平井堅などがこのドーピングをよく使用しています。このまま、香田晋を背負って歌っていると、きまいちさんは香田晋がいないと歌が歌えなくなります。老婆心で忠告しますが、もう、香田晋を背負って歌うのはやめて下さい。香田晋だって忙しいでしょうし、何より、きまいちさんにとって良くないです。これからは、生きたリスをガムテープで顔面に固定している外人を背負って歌ってください。僕は、いつも、瀕死状態のライオンを背負って歌ってます。どうして瀕死のライオンなのかというと、元気なライオンだったら、僕が歌ってる途中で喰われるからです。


『藍屋』に行きました。

 3月21日(水)
「貴方は此処には戻らない」のカラオケファイルをアップしましたので歌ってくれませんか。

*****

姓名判断をしてみました。


クリックすると開運もいいところです

 3月20日(火) 丸福@三鷹 わ@吉祥寺 魚銀@三鷹 さいたま屋@三鷹
真面目なことを書かせてください。僕は、政治家に怒っています。

結局のところ、「どんぶらこ」という擬音に応用性はないじゃないですか。
調べてみると、この擬音自体は辞書にも載っていますから、ちゃんとした日本語のようです。しかし、どうしても、桃太郎が強すぎるのです。この擬音が、桃太郎の話を抜け出して、我々の生活の中で実際に使用されることはないのではないでしょうか。

ひとつに、大きな桃が川を流れているシーン、または、それに準ずるシーンが一般的な生活の中に欠如している。「どんぶらこ」を擬音として適用すべき状況がない。それゆえ、結果的に、「どんぶらこ」という擬音は桃太郎の世界にしか帰属しない。

また、「どんぶらこ」は、言葉として、あまりにも代用性が欠落しているのです。
どうしても、どんぶらこどんぶらことゴリラが胸を叩く、という表現より、どんぶらこどんぶらこと大きな桃が川を流れる、という方が合う。合ってしまう。大きな桃が川を流れる様態、その表現において、「どんぶらこ」を超えるものは現時点で存在しない。言い換えれば、「大きな桃が川を流れる」という様子と「どんぶらこ」という擬音の関係が密接すぎる。つまり、現時点で、この関係の緊密さが生む排他性を除去することが困難だということです。

それならば、僕たちは、どのようにして「どんぶらこ」を克服すべきなのでしょうか。

これが、いま、僕たちが何よりも優先して、国をあげて、緊急的に解決すべき問題なのではないでしょうか。しかし、いまの政治家を見ると、この「どんぶらこ問題」を解決する気概はまるで感じられません。

だから、僕は怒っているのです。


コンケノビと『わ』に行きました。

『魚銀』でヒョッコリ君が合流しました。

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今日の1軒目は『丸福』。

今日の2軒目は『さいたま屋』。ここは味噌が一番好き。

 3月19日(月)
今日は、「手軽に無意味なことをする方法」を紹介します。


やり方は無限にありますが、今回、僕がやったのは、紙に「♂」と「♀」と書いて、○の中に柿の種をセロテープで貼る、というものです。


みなさんも是非やってみてください。あんまり意味の中にいると、「意味中毒」になってしまいますからね。たまには、意味から解放されてみるのも良いかと思います。


いやはや、意味がない。
 3月18日(日) 大勝軒@永福町
「出会いと別れ」の季節になってきましたね。


泣いてしまってごめんなさい(音声ファイル)

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永福町の『大勝軒』で中華麺を食べましたから幸せです。


 3月17日(土) 珍珍亭@武蔵境
『珍珍亭』で並ネギを食らいました。


むかし、「天地を喰らう」という漫画がありましたが、よく考えてみると、すごいタイトルですね。天地を喰らう、って。どんな食欲だよ、っていう。

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トリトリトーリ
 3月16日(金) 李朝園@吉祥寺
感覚を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、色んな現象から音が聞こえてきます。

例えば、足し算。1と1を足した時に出る音は「アータ」で、2と2を足した時に出る音は「テルテ」。もちろん、これらの音は、便宜上、無理矢理カタカナで表記しているので、僕が実際に聞いた音とは一致しません。ただ、音が聞こえるのは確かなのです。

4と8を足した時に出る音は「ウィーマ」。
ああ、でも、0と0をいくら足しても音が鳴りません。少なくとも、僕には聞こえません。0には音がない。85と34を足した時に出る音は「ズィッスン」。人によって聴こえる音は違うと思います。感性によって音は違うと思います。

みなさんはどうでしょうか。
数字を足すと、もしくは、数字を引いたり掛けたり割ったりすると、音が聞こえますか?もし、聞こえたなら病院へ行ってください。耳鼻科じゃない方の病院へ。

僕が、足し算すると音が聞こえるというのは嘘です。そんなものから音など聞こえるわけがないのですから。


『李朝園』で焼肉を食べました。
焼肉から、「オノーテ!オノーテ!」という音が聞こえてきました。って、聞こえるかボケ!



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