日本語を使う以上は、漢字と付き合わなければなりません。

漢字ってのは、文字言語の域を出ないように見せかけて、実は、相当、音声言語にまで侵食していますでしょう。
少なくとも、僕が音で言葉を発する際には、闇雲に文字だけを頼りにするのではなく、瞬間的に、「イメージとしての漢字」をインデックスとして利用することがあります。それは、漢字が意味として機能するだけではなく、絵としても機能するという複層構造に拠るものだからだと思います。
「左脳は言語を司る」みたいな、血液型占いのごときとっつきやすい言い分の信憑性は、イメージとして機能する漢字によって揺さぶられます。ハンモックで寝ている人を、エドモンド本田が張り手で揺らすくらいの悲惨さで揺さぶられます。「右脳は漢字を司る」と言ったところで、さほどの違和感はありません。

そもそも論として、漢字とは何か。
試しに、英語を漢字で何ていうのかを調べてみたら、「Chinese character」と出てくる。何なんだ。これはもう、すでに漢字じゃない。あからさまに英字だ。しょっぱなから、「英字なのに漢字。漢字なのに英字」みたいなループに陥って大混乱。おそるべし、「Chinese character」。


いま、色んな意味で話題になっている漢字検定を受けてみます。

何級を受けようか。
ハナから負けることが分かってる相撲をとるほど、僕は根性が据わった人間ではありません。
まず、1級は血液が漢字でできてる人じゃないと太刀打ちできないので論外です。とはいえ、漢字字典を検定会場に持ち込んで良いなら、誰でも受かるとは思います。でも、漢字字典のような利器を使わず、裸一貫で受験して、いかに、合格を勝ち取るか、みたいなところに価値を置くのが、「ドMヒューマニズム」の真髄と言えます。これは、その度合いに差があれど、世界共通の価値でしょう。

準1級か2級を受けようと思い、ひとまず、準1級の書き取り問題を見てみると、こんな感じ(漢字)です。
全体的に、準1級の様子をうかがうと、酒を飲む時間を割いてまで勉強しないとどうしようもないことを確信したので、迷うことなくスルーすることにしました。
出題の傾向をザックリ汲むと、2級と準1級の差は、常用内と常用外の差であり、ここには、かなり大きな壁が存在しています。いわゆる本腰の「難読漢字」的なものが出てくるのは1級からですが、準1級は、充分にその伏線となっている。

というような事情で、基礎体力でねじ込めそうな2級を選択します。2級の合格ラインは200点満点で155点。合格率は25%前後で推移しています。

2級の問題集で演習を楽しみます。
5回「地獄」と言ってから「杉」という文字を書き、3回「先生」と言ってから「本」という字を書き、8回「ぬ〜べ〜」と言ってから「彩」と書く。思考をあらぬ方向に飛散させることによって、漢字そのものの定義を希釈し、膨張させる。その間隙を縫って、漢字の内部に入り込む。漢字の定義が、緩やかに、本来の密度に戻ろうとする過程で、僕自身が漢字になっているという方法論を採る。必要なのは、「我こそが漢字だ」という確信です。

漢字検定が、かろうじて単調じゃないのは、読み書き以外にも、色んな角度からの問題が出題されるからです。
中でも、部首が曲者で、例えば、「問」の部首はモンガマエかと思わせておいて「口」だったりしますし、同様に、「聞」の部首は「耳」だったりする。長い漢字の歴史の中で、「それ、もう、モンガマエで良いじゃん!」って誰も言わなかった結果がコレなのです。500年後には、「問」も「聞」もモンガマエになっていてほしいと願ってやみません。
じゃあ、「恥」の部首は、さすがに「耳」だろうと思いきや、「心」だったりします。おまけに、「寧」もウカンムリではなく、「心」です。ひどいものになると、「肖」という漢字の部首は「肉」で、「能」の部首も「肉」という、あたかも、往年の横山ヤスシかのごとき、やりたい放題で破天荒な事態になってきます。こうなってくると、奥が深いというより、単に面倒くさいだけです。あたかも、梨花のテンションのように面倒くさいだけです。

誤字訂正の問題もあります。
真顔で「誤字訂正」などと言うともっともらしいですが、やるべきことは、「ウォーリーを探せ」と寸分違わない。これはもう、立派なゲームです。

対義語と類義語も必出です。

それはともかく、僕はいまのいままで、「対義語」を「ついぎご」と誤読していたことに気がつきました。というのも、「ついぎご」と打っても「対義語」に変換されなかったからです。どうやら、「対義語」は、「すぎもとあや」と読むのが正しいようです。
問題文もろくに読めてないのが前提としてどうなのか、というのがありますが、それはそれです。

ウロ覚えだなあ、と思う漢字はひたすらいっぱい書きます。
暗記系の勉強はみんなそうだと思いますが、やはり、「ひたすらコツコツ書いて覚える」のが、遠回りという名の近道なのでしょう。
5回「地獄」と言ってから「杉」という文字を書き、3回「先生」と言ってから「本」という字を書き、8回「ぬ〜べ〜」と言ってから「彩」と書く。この行為を、剃ったヒゲが再び3ミリにのびるまで繰り返す。
確かに、「杉本彩」というような、宇宙で一番難しい漢字を覚えることは大変かもしれませんが、あきらめてしまうのは正義じゃない。もちろん、この程度「杉本彩」って書いただけでは、「杉本彩」の向こう側にダイブすることはできません。しかし、何百回何千回、「杉本彩」と書き続ければ、いつかは、「杉本彩」の向こう側に到達できるはず。それが解脱というものです。

いよいよ、検定当日です。前日に新宿で終電まで飲んでたため、二日酔いでふらつきつつ、ワクワクしながら検定に臨みます。
会場は想像以上にゲルマン民族でごった返していました。
駅から会場への道を往くゲルマン民族の8割方が漢字の問題集を持っているという有り様に、ある種の宗教めいた何かを(漢字だけに)感じざるを得ません。

また、年齢層の幅の広さが印象的で、小学生もいれば高齢者もいます。胎児もいれば5年以内に死ぬ人もいる。アヌビスもいればオシリスもいる。お尻もいます。お尻は人の数だけいます。普通、お尻の数だけ、肛門があります。
もしかしたら、ここには、杉本彩もいたのかもしれません。お尻に肛門を備えた杉本彩がいたのかもしれません。ただ、絶対にいなかったのは運慶と快慶です。僕の記憶が正しければ、運慶と快慶はずっと昔にこの世を去っているはずだからです。となると、当然、運慶と快慶の肛門(合計2つの肛門)もこの世には存在しない。

本番で、実際に出題された四字熟語の問題です。
対策万全なつもりで余裕ぶっていた四字熟語ですが、「はくしじゃっこう」を「薄視弱行」と書いて誤答しました。
「弱視」という、まったく別次元に存在する言葉のインパクトにうっちゃりを食らった形です。


漢字を書くことが、手段ではなく目的である場合、必ずやってくる魔物がいますでしょう。
意識をしなければ存在しないが、意識をすれば存在するという、かの幻獣。その名を「ゲシュタルト崩壊」と言います。この魔物との格闘がなかなか厄介でした。
全体的に、突拍子もない奇抜な問題とかは全くなかったので、特に困惑することなく検定を終え、合格することができました。

想像を裏切らない立派な賞状が届いて、満足な限りです。








これがやりたくて受験したっていう。


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