十秒の存在(ポックリボーイが23歳の時に書いた小説)

無意味なくらい灼熱の場所で、男がまず初めに必要だと感じたことは、男自身の内部に巣食う一立方メートルに満たない宇宙の解体作業に他ならない。

 形さえわからなくなってしまった島の、水が流れない滝が見える処。誰が産んだのかも定かでない赤ん坊が、真紅のバナナを食らい続けていた。赤ん坊の胃袋は既に破れていた。男が赤ん坊を抱きかかえようとしたら、赤ん坊が右から六番目の目で男を睨み付けた。男はそれが可愛くて赤ん坊を抱きかかえようとするポ−ズを幾度となく繰り返した。しかし、実際に抱くことはしなかった。千年ほど経った頃、赤ん坊は三歳の誕生日を迎えた。いつしか、男は無性に腹が立ってきて、赤ん坊に恋をした。男にとって四度目の恋。男は赤ん坊の、下から八番目の手を取ると、天空に向かって一思いに投げ飛ばした。数秒後、鈍い音と共に赤ん坊が地面に接吻をした時、男は射精した。紛れもなく男は恋をしたのだ。限りない瞬間は唐突な風。許されない理解は配置の乱れた遺伝子の為せる業。

 北東に向かって男は歩き続けた。というよりは、向かっている方角がたまたま北東だった。ここのところ、ナイフしか口に入れていないせいかひどく胃が痛む。いつのまにか、北東は男を裏切って、南西になった。特に、意味の無いことだった。男が考えていたことは途方もなく具体的なことだ。かの、いかれた有政府主義者がいつものように虹色の馬に乗って現われ、男のことをむやみやたらに褒めちぎっている様子。誰も意図しない外的な作用の主催のもと開催される骸骨のダンスパ−ティーのじめじめとした様子。イデアとしての正方形で構成される世界の住人達が、別段、発展性もなく男と会話を交わす様子。男はそんなことを、途方もなく具体的に考えていた。時間は男の後をとことこと付いてきている。いつものことだ。それにも、意味は無かった。

 男にとって、不快なことの一つは、水牛ほどの大きさの蚊に血を吸われることだ。そのせいで男は激烈な痒さを何度も経験した。時間との関係において、男は常に優位に立っていた。ただ、永遠ともなればそうはいかない。永遠は時間ではない。永遠を制御することは男でさえ、相当な力を要する。永遠は男のことを憎んでいるのだ。そうであれば、男も寝首をかかれないように努めなければならない。かつて、男は永遠によって二度殺されたことがある。しかし、男は永遠を三度殺しているから、現在のところは三勝二敗ということになる。水牛ほどの蚊に刺された処が痒い。ただ、痒いところが何処なのかは男も解らなかった。無論、解ろうとも思わなかったが。

 慢性的で、男の存在を脅かす不快の原因は特定できている。男の内部に巣食う一立方メートルに満たない宇宙である。それを解体しないことには男は救われない。何から救われるのかも不確定だったのだが、男の存在が世界によってそのように定義されていたし、男もそう確信していた。消滅など誰が望もうか。誰もが望む。何らかの概念現象を解脱と命名することに何の価値も感じない。

 退廃的な呼吸音を発する館。男はベッドとは呼べないベッドで疲弊した体を休めていた。壁の色はやかましいほどにきらびやかだったが、男は別段気にする素振りを見せなかった。陰欝な表情の女が食事を運んできた。女の右腕はライオンに噛み付かれた状態で、左腕は虎に噛み付かれた状態だった。男は、そのどちらかの猛獣に自分も噛み付かれるのではないかと微妙に心配したが、二頭の猛獣がいずれもカブト虫くらいの大きさでしかないことを確認するとすぐに安心した。時間がいつになく自己主張を始めたので、男は時間のみぞおちに強烈なパンチを一発くれてやった。時間が少しの間止まった。食事はやはり喉を通らなかった。辛うじて、ナイフだけは口に入った。

 男は相当の知識を持っていた。清潔なことは良い。そういう知識があったからこそ、彼は洗剤をジョッキいっぱい飲んだし、皮膚がただれるまで身体に雑巾をかけた。乳頭とさほど変わらない色の風船を思いのままに割り続けた。世界中の存在達は皆、脳パワ−を浪費して毎日毎日誰かと会話を交わさなければならない。さらに、それを正当化しないと精神が持たない。他の存在の持ち物にいそいそと嫉妬することは、次元の低い問題でしかない。見え透いた空虚さに支配されている存在の精神。精神という名の精神。男が識らない処にも、命題は無限に存在するのだろうか。だとしたら、それは男にとって脅威となる。意味は、此処にも無いが。

 男は、かつてマントルの中で隠棲していた仙人の話を思い出した。「貴方が何かを良くしようとする時、それが相手のあることだということを忘れがちだ。だから相手の心が自分の思い描くようにならなかった時、貴方は不満と不安を図らずも貯蓄する。貴方が何かを良くしようとしても、相手が貴方が支持するところの良さを理解しない限り、貴方は満足できない。良いという言葉はふとするとそれだけで客観性を帯びた言葉だから、絢爛豪華な誤解の要因ともなる。百の存在があれば百の存在の『良い』がある」
 かつて、誰にも見つからないように暮らしていた仙人は地上の存在に発見されたことがあった。その存在は仙人に対して、仙人が長い間外部と隔絶した暮らしをしていたということで、もう『通常の場』には戻れないと云った。その発言は、地上の存在が『通常の場』というものを絶対視しているということを語っていた。地上の存在が『通常の場』と呼ぶ場が、いったい何処のことだか仙人にはまるっきり解らない。当然、概念空間はズレていた。「そんなことを続けていると、もう『通常の場』には戻れませんよ」まるで、『通常の場』にいなければ存在に意味がないといわんばかりだった。『通常の場』が基準なのだといわんばかりだった。しかし、仙人はその『通常の場』という場所にいなくとも、現に存在し、満足していた。結局、仙人は指先から毒液を出して地上の存在に飲ませたという。ロゴスが中心でも中心でなくても別に問題はない。

 久しぶりに仙人の処へ赴き彼を殺害した後、男は一匹の栗鼠のような一人の女に会った。一匹の栗鼠のような一人の女は、途轍も無い量の世間話をした後、例の、男の内部に巣食う一立方メートルに満たない宇宙のことを識っていると云った。一匹の栗鼠のような一人の女はもう充分に濡れていたから、男はすぐに挿入した。惨めな風が吹き抜けて、無性に泣きたくなる。生まれてこのかた煙草に火がついた試しがないし、ろくに咳も欠伸も出ない。林檎だって甘いとは限らない。現象は常に観察者を狼狽させる。男は時間に麻酔注射を一本打ち込んだ。時間の流れが少し鈍った。そのおかげで、普段は十秒で終わってしまう射精を、普段より四十五分と三十三秒も長引かせることができた。三度目の恋はそのように始まって、そのように終わった。超絶の初恋に至るには、もう少し時空を埋める必要がある。一匹の栗鼠のような一人の女は実の処、例の宇宙のことを識らなかったようだ。詭弁が得意だから、識らないことを識っているように話せるだけだったのかもしれない。そんなことにさえ、理由など無い。

 男は酒をよく飲む存在だったから、その夜も、誰も識らない銀河の果ての誰も識らない居酒屋で麦酒を飲んでいた。その居酒屋の存在は誰も識らなかったから、当然、居酒屋の主人でさえも識らないし、その店の常連客である男でさえ識らない。主人の持論は「誰かがビリヤ−ドの玉を突くたび、何処かで人が一人死ぬ」ということであった。居酒屋据え置きのビリヤード台を観て着想を得たという。偶然にも、最近の科学界において此れは徐々に証明されつつあるから、このところの主人はひどく御機嫌だった。店で繰り返される客の会話は殆どそのことで、中には朝から晩までひっきりなしに玉を突く者も現われる始末だし、その中には玉を突いた瞬間、自分がポックリという者もいたらしい。男は主人の口髭が嫌いだったから、店に居る間は、光速の刻みでしゃっくりを繰り返していた。一方、主人は男の光速の動きをよく認識できなかったため、音速の刻みで貧乏揺すりを繰り返していた。此処だけの話、狂気が理性との差異上の関係にあるという分析を基に、構造的に、思考法のパタ−ンを配置の中から配置させる発想自体が既に狂気の為せる業だった。意味があるにせよ、全く無意味な論題だ。

 男は、たまたま居酒屋で知り合った蜥蜴か蜘蛛に似た女のピアノを聴いた。此の女は一秒ごとに蜥蜴の顔になったり蜘蛛の顔になったりするので、男は非常に退屈しなかった。蜥蜴の顔の時の女は楽譜上のどの音も#で弾いたし、蜘蛛の顔の時はどの音も♭で弾いた。そのため、時空を埋めようとするその音楽は普通の存在の耳には理解しがたく、銀河は苦痛に顔を歪めた。それでも、男は冷静な顔つきで、音に合わせて絶叫していた。その絶叫は女の奏でる音をゆうに掻き消していた。もしかすると、銀河を苦痛の表情で歪ませていたのは男の責なのかもしれない。女の旋律が微妙に緩やかになってきた時、男は彼の中の一立方メートルに満たない宇宙がギッシャラギッシャラと痛むのを感じた。女が蜘蛛の顔の時なのに、楽譜のうえではレの音をレの#で弾いたから、男は突発的に不快な気分になった。そして、女を殺害した。倒れた女の顔は、蜥蜴だった。此れにも、意味は無い。

 液体が生命を建築した。どうでもいいプラスチック共が群れをなして厳寒の砂漠を駆け抜けていくのがやけに目障りだった。様々な主義が在ったがゆえに、存在は様々な主義のもと存在した。この上なく複雑で、この上なく空虚な言葉遊び。その繰り返し。

『聴いてください。黄色は私の子供を憎んでいる。青色は黄色に交際を申し込んだ。しかし、私は青色のことが好きだったから、嫉妬心の為すがまま黄色の悪口を青色にぶちまけた。ところが、青色は非常に理性的だった。いくら私ごときが黄色の悪口を云ったところで耳を貸そうともしない。直に青色は黄色と結ばれて緑色を産んだ。私にとって緑色は醜さの象徴でしかなかった。私の気持ちは収まらない。私は青色を強引に奪った。私は紫色を産んだ。当然、黄色は私の子供を憎んでいた。私は、黄色が紫色を殺そうとしていることに気が付いたから、黄色に色仕掛けで接近した。やがて黄色はオレンジ色を産んだ。オレンジ色は実の親ではない青色を非常に嫌っているようだった。黄色は一向に紫色のことを可愛がらない。それどころか、黄色は紫色のことを憎んでいる。黄色は私の子供を憎んでいる』

 男は理由もなく、赤い空に向かって唾を吐きかけた。かつて、太陽は存在に殺意をもたらすものだったという。男は蜥蜴か蜘蛛に似た女を殺害した後、何処にでもある陳腐な権力によって闘牛場に監禁された。男は法廷でその殺害の動機を聞かれたとき、ある種の卑猥な言葉を吐いた。その言葉によって、肌色の冠を被る裁判官の陰茎は勃起したから、それはそれで男の勝利だったに違いない。まずかったのは男自身が勃起したことだった。冠を桃色に変色させた裁判官は激怒した。男は闘牛場にぶちこまれて、上半身が人間で下半身が馬の形をした生物に幾度となく矢を放たれた。想定できないはずの概念がむやみに男を凌辱する。やはり、此処にも唐突な風が吹いた。七千本放たれた矢は全て男に命中し、いずれの矢も男のへそを貫いた。しかしなお、男はそのことを偶然だとも必然だとも思わなかった。ありとあらゆる認識は、ありとあらゆる認識の原因であり結果でもあった。そのことにも、思いのほか、意味は無い。

 男は、いかれた有政府主義者から、太古の時代にもらった手紙を読み返していた。
「貴方は一定の条件の下では、奇跡的な存在であると定義される。存在は原初的に内的な要素しか持っていなかった。本来、存在は世界を自己の中でしか認識できない。初め、存在は自己の中で自我を認識せずして、世界を認識していたに違いない。変化をもたらしたのは、紛れもなく『言葉』であっただろう。音声から始まったであろうそれは、『事象を表わす』という機能と共に、『伝達』という機能を引っ提げて横着に登場した。原因は利己主義。時に、存在は一定の目標を達成する場合、独力よりも集団で行動したほうが巧くゆくことがある。伝達という機能は、集団行動を生み出し、かつ、促進した。言葉は『自己の満足を獲得するために他者の力を利用する』という画期的なメソッドであった。それはいわば、『自己の満足を獲得するために自己の力を利用する』という、純粋で天真爛漫な利己主義に対して、堕落的な進化論を贈呈したと云ってよい。言葉が利己主義を創ったのではない。利己主義が言葉を創ったのである。
 貴方は一定の条件の下では、奇跡的な存在であると定義される。言葉は自我を明らかにした。言葉なくして自我は認識できない。自我は利己の根源である。百歩譲って、存在は内的な要素をふんだんに持っている。世界は自己にしか無いからだ。世界は自己にしか内からだ。
 貴方は一定の条件の下では、奇跡的な存在であると定義される。貴方がそのように存在することには理由が有るに違いない。しかし、言葉をこのように用いる私が、言葉をこのように用いない貴方を説明することなどできない。いかなる手段によって貴方が貴方という存在を実践しているのかは解らない。だからこそ私は、苦し紛れに此の認識をこのように表現するしかない。
 貴方は一定の条件の下では、奇跡的な存在である」
 男はいかれた有政府主義者の主張を、全面的には支持できなかった。しかし、全面的に反対しようとも思わない。そうなのだ。いかれた有政府主義者はいつも女を抱くことしか考えていない。射精マシ−ン。たった、それだけのことだ。根拠は、無い。

 理性七割、感性三割で構成された時空に、ぽつりとたたずむ目立たぬ山。少し前に、山は世界に対して、一つ案を提示した。「百年待つから、此の俺を世界で最も高い山にしてくれないだろうか」
 そんな目立たぬ山の頂上に、理性六割、感性四割で構成された研究室があった。男はそ処で、やまびこが好きな数学者から、いつものとおり説教をたっぷり聞かされていた。男が述べた、山頂に登るまでの所要時間に気に入らない点があったらしい。男が登頂に費やした時間は五時間であった。しかし、やまびこが好きな数学者に云わせれば、それは五キログラムの間違いであろう、ということだった。
 やまびこが好きな数学者が世界で最も嫌いなものはやまびこである。彼は四六時中、大嫌いなやまびこに悩まされている。そのため、数学者という肩書きとは裏腹に、彼は真剣に数学のことを考えたことはない。とはいっても、数学における実力と数学にかけるプライドは相当なものだから、彼の前で、間違ったタイミングで1+1=3などと云おうものなら千年に及ぶ説教をくらう。彼にとって数理は絶えず流転する。例えば、彼の場合、ある瞬間で2×2=5であったものが、その数秒後には2×2=74850rになる。時には、「2×2=などいう概念は永久に想定できない」という結論にもなる。彼にかかれば、3pは67%になり、45tは−2sになる。それでも、彼は世界によって間違ったことは云わない存在として定義されていたから、男もその範囲内では彼を信用していた。
そもそも、男を不快にさせる例の一立方メートルに満たない宇宙を計測したのは、他ならぬ此のやまびこが好きな数学者だった。無限と同等の回数で例の宇宙の計測を依頼したが、算出される数値はいずれも一立方メートルより下回る数値だった。それは、男にとって有意味だった。ただ、何が有意味なのかは解らなかった。
 やまびこが好きな数学者がやまびこを嫌うのは、それなりの理由がある。通常、やまびこは言葉を発してから返ってくるはずだ。しかし、彼の場合、言葉を発する前にやまびこが返ってくる。法則として、言葉を発するという原因が、言葉が返ってくるという結果になる因果関係は崩れようがないのだが、彼の場合、時間との連絡がよくない。云ってしまえば、時間に馬鹿にされているのだ。彼が「二週間の虚無」という言葉を叫んだら、その数秒前に「二週間の虚無」という言葉が返ってくる。「三匹の概念」と叫んだら、その五億年前に「三匹の概念」が返ってくる。最もひどい時で、叫んだ言葉が、世界が混沌にもなっていない状態の時、やまびこが好きな数学者がまだ存在していない時に返ってきたというし、最も良い時でさえ、叫ぶと同時に言葉が返ってくるのがやっとだという。そんな訳で、やまびこが好きな数学者は存在してからずっとやまびこに悩まされ続けてきた。だから、やまびこが好きな数学者が、やまびこを好きだった瞬間は一度もない。男は時間の下位に立ったことがないから、時間に侮辱され続ける彼の気持ちは到底理解できなかった。
 別れのあいさつの時、男はやまびこが好きな数学者に薔薇色の葡萄酒を浴びせかけてやった。男に、飽きるまで薔薇色の葡萄酒を浴びせかけられた後、やまびこが好きな数学者は「十八回の睡眠」という言葉を聞いた。それは、百三十四年後に世界で最も高い山で発するであろう彼自身の声に他ならなかった。男は静かに微笑んだ。やまびこが好きな数学者は、百三十四年後にも大嫌いなやまびこを召喚し続けているらしい。男は時間に軽く接吻をしてやった。

 男は、ありもしない鞄の中からナイフを一本取り出し、それを不味そうに頬張った。その日に限って、雨と雪と雹と霰が地上から天空に向かって降っていた。辛うじて、雷だけは天空から地上に向かって墜ちた。堕雷。ナイフの食べ過ぎが祟ったのか、男の胃袋は血にまみれていた。思いがけない出会い。思いがけないカタルシス。思いがけない謀略。男はあの赤ん坊のことを忘れられずにいた。あれは四度目の恋。高学歴な心理学者の、高額なカウンセリングによれば、ナイフしか喉を通らないのは、男がいまだに失われた恋に執着しているせいだという。

 時間がズルをして三秒程さばをよんで流れた。空白の三秒間。雪が、雨と雹と霰に愛想を尽かして空間に在籍することを拒み始めた。いつのまにか、雷は心地よい眠気に襲われている。男はあの赤ん坊を忘れることはできない。男は、赤ん坊の左から八十八番目の目を、何ら必然性もないままに思い出した。一瞬、男の中の一立方メートルに満たない宇宙が膨張したように思えた。男はひやりとしたが、それは不快ではなかった。むしろ、快、だった。機嫌を良くした男は、夢心地の雷に蹴りを一撃くれてやった。かつて誰も聞いたことがないような轟音と共に、寝返りをうった稲妻が何処かの銀河を破壊した。雪が、雨と雹と霰に集団リンチを受けてその空間を去った。存在の意志が何らかの外的な作用を受けているとでもいうのか。男にとって、それは糞にまみれるに値するほど意味の無いことだった。

 男は自分以外の存在を認識していた。自分以外の存在は確かに存在するように思える。ある種、絶望的なことは、男自身が自分以外の存在であることだ。所詮、男は男以外の存在なのだ。男が自分以外の男と重なり合う時だけ、云い換えれば、自分以外の存在としての男を男が取り込んだときだけが、真に自分以外の存在が存在し得る状況なのだ。しかし、男は故意にその状態から回避した。さらには、極めて芳しくない、その種の概念としての状態を、幾度となく時空から取りのぞいたりもした。苦痛を和らげるには、まるっきり、意味の無いことだった。

 誰も識らない銀河の果て。その日も、男は例の誰も識らない居酒屋で麦酒を飲んでいた。男が予測していたとおり、店の主人は新しい科学的仮説を披露した。彼の口髭は、イライラするほど誇らしげだった。主人の新仮説はいまや多くの存在から注目を集めている。「空は決して青くない」
 目下、銀河中の科学者達が此の仮説の真否を問うために様々な実験を繰り返している。かの、やまびこが好きな数学者もその一人で、彼の場合、実験の方法は一風変わっていた。ひたすら、目を閉じる。空の存在を忘却するまで充分に目を閉じる。その結果、打ち出される結論はこうなる。「空は存在しない。だから、空には色がない」此れには学界も舌を巻いた。世界の一部でその名を馳せる、確率に裏切られた学生の理論に拠れば、空が青くない確率は87%である。
「誰かがビリヤ−ドの玉を突くたび、何処かで人が一人死ぬ」既に、此の仮説は真実ではないことが証明されている。店の主人が此れに気を落としたことは事実だった。主人が最も不条理に感じたことは、現に誰かがビリヤ−ドの玉を突くたびに人が死んでいるのに、それは真実ではないということであった。いまや、あらゆる科学者達を含めた、全銀河の誰もがビリヤ−ドの玉と死の因果関係を認めている。しかし、あらゆる科学者達の中の、一部の科学者達によって、ビリヤ−ドの玉と死には因果関係は無いことが証明されてしまった。此のことをどう解釈してよいのか主人には解らない。ただ、漠然と直感していた。「真実」という言葉の深層にトリックがあるに違いない、と。
 男は、そのようにして事象を解釈する主人の、口髭が腹立たしかった。だから、男は光速の刻みでまばたきを繰り返した。そんな男の光速の動作を認識できないまま、主人は音速の刻みで男のジョッキに麦酒を注いだ。無理が祟って、ジョッキが勢いよく破裂した。
 男は一立方メートルに満たない宇宙の解体を急がなければならない。現段階で、永遠は男よりも若干優勢だった。永遠に主導権を奪われる訳にはいかない。時間の流れ方が、少々なげやりになった。

 男の前に颯爽と現われたのは、虹色の馬にまたがるいかれた有政府主義者である。いかれた有政府主義者はひとしきり男を褒めちぎった後、高らかに演説を始めた。
「世界の構造は、存在によって異なる。客観的な構造などありえない。つまるところ、世界とは存在個々の解釈でしかない。あくまでも、構造が主観的な構造の枠を超えることはない。私は時として、創造さえも虚無の要因ではないかと感じることがある。芸術でさえもだ。創造は『動機』に起因する。創造の形態が破壊という手段に拠るものであるとしても、創造であることには変わりがない。戦争は立派な創造であり、崇高な芸術でありえる。注意しなければならないのは、破壊とか創造そのものが虚無の原因ではないということである。
 虚無は常に『動機』の内部から放出されている。
 『動機』とは何か。それは、目標へ向かう意志である。存在は何をするにも此の『動機』から逃れられない。動機を持つにしても、『動機』は必要なのである。
 『動機』は常に正の方向性を持って存在の内部に出現する。他者を殺害するにせよ、自らを殺害するにせよ、約束したくないことを約束するにせよ、その者が『動機』を持つことによって、何らかの内的な変化を発生させたならば、それは紛れもなく正である。その、正という性質が持つ負という性質の両義性こそが、内省する存在の精神を巧妙に虚無へと導くのである。
 では、目標とは何か。それは、現実態と理想態を裁断するナイフである。目標さえ設定しなければ、存在が現実態と理想態のギャップに思い煩うことは起こり得ない。しかし、存在は何をするにも『動機』を持つがゆえに、目標を設定しない、ということは不可能である。
 私はここで、世界システム思考体系の、華麗なる論理的転回を図ろうと思う。実は、『動機が目標を設定している』のではない。『目標が動機を設定している』のだ。存在は自由に思考できるのではなく、一定のパタ−ンを持つ、言葉というメソッドのなかにおいてのみ思考できる。此れはいわば、束縛である。全ての目標が言葉に依るために、全ての思考は既存であらざるを得ない。『動機』は圧倒的既存世界の枠内で形成されているに過ぎないのである。此れは、紛れもなく虚無を産む。その犯行は常に直接的だ。私はいま、虚無の原因は『動機』だと論じた。そして、その『動機』についての進講を企てた。そう、此れが他ならぬ解答だ。説明自体が既に、説明するという目標に規定された『動機』なのだ。お分りだろうか。此れぞ、虚無の正体。世界中の分析哲学者ならびに言語哲学者は、もう既に死んでいたのだ。心より、御冥福を祈る」
 いかれた有政府主義者が何を云ったところで、彼が考えていることは女を抱くことでしかない。頭にあるのは、いかに快適な射精をするかということだけなのだ。そういう意味では、いかれた有政府主義者は非常に器用な存在である。頭の中にある言説と口から出てくる言説が全く別の内容なのだ。
 男は彼の演説については別段述べるべき意見は持っていなかったし、持っていたとしても、その意見を世界に提示することはしないだろう。なぜなら、男は世界によってそのように定義されていた。意味は、無い。

 珍しいことがあった。男の右脳に一つのイメ−ジが、どこからともなく侵入してきたのである。そのイメ−ジとは、『超越』である。巷に通ずる、概念としての超越は、いずれも既に言語的破綻をきたしていたが、男のイメ−ジとしての『超越』は完全としか云いようの無いものだった。しかし、男はそのイメ−ジに何の興味も示さなかった。

 とある世界のその豪邸は、男が自ら建築したものだった。豪邸の外観は、幾何学的立体という概念の存在を成立させなくするには充分だった。形態の存在理由はその建物に拠って撲殺されたに相違ない。その豪邸を周囲の空間達は怖れおののき、精神に異常をきたしている。そのため、その辺りの空気はひどく歪んで見えた。それでも、強靱な精神力を持ついくつかの空間達が自我を保っていたおかげで、その世界自体が消滅することはなかった。
 邸内で麦酒を飲み散らしていた男は、一立方メートルに満たない宇宙のガシャクリガシャクリという痛みに耐えていた。痛みの原因はいつまで経っても、まるっきり解らなかった。しかもそれとは別に、目や喉が激烈に痛む。此れは原因がはっきりしている痛みだ。新築特有の化学物質のせいである。
 そもそも、男が此の豪邸を建てたのは、男の内部に巣食う一立方メートルに満たない宇宙を、自分ごと家の中に封印してしまうためだった。しかし、ひょんな設計ミスが原因で、建築した豪邸の容積は0.2?に満たなかった。此れでは、よしんば男が豪邸のなかに入れたとしても、物理上、肝腎の宇宙が入らない事態が発生し得る。男はそのことが非常に気に入らなかった。男は物理を多少変更することによって、一立方メートルに満たない宇宙もそうだが、自分自身が豪邸のなかに入れなくなるような可能性を一切排除した。
 その豪邸は男の内部に巣食う一立方メートルに満たない宇宙の痛みを封印する解決策にはならなかった。風邪に絆創膏は効かない。所詮、原因の解らぬ痛みを、さらに因果関係が釈然としない解決策で制御することなどできないのだ。それどころか、新築豪邸での生活は、男の目と喉を激しく痛めつけ、男に我慢しがたい吐き気を与えるのである。
 築八億年にもなるというのに、その豪邸は新築であることを頑固に辞退しない。男が此の豪邸を建築して以来、あらゆる世界で数えきれないほどの建築物が生まれてきたはずだ。しかし、あらゆる世界の中で、最も新しい建築物は男が建てた豪邸なのである。お世辞にも意味があるとは思えない。

 脳パワーの新たな可能性の探究を目的に創立されたのが、相対の学校である。男もかつてそこで学んだことがあった。男はそ処で様々な存在と知り合いになった。例えば、やまびこが好きな数学者はそ処で教授をしていたし、男が、いかれた有政府主義者に初めて褒めちぎられたのも此の相対の学校であった。同じ教室には、例の、誰も識らない銀河の果てで居酒屋を営む主人もいた。此の学校で、男が最も感銘を受けた事象のひとつは、確率に裏切られた学生の研究内容である。
 確率に裏切られた学生がライフワークとして行なっていた研究が、ずばり「確率の存在の有無」についてである。確率に裏切られた学生の云うことには、確率などというものは世界中何処を探しても存在しないらしい。
 事象の頻度を、言葉を含めた何らかの記号に表したものを「確率」と命名した以上は、それは在ってしまうものではないか。命名されたものに対して在る無いを論じても仕方あるまい。学内の殆どの学生はそう思っていた。
 確率に裏切られた学生はあらゆる事象の頻度を熟知していた。彼の場合も、そのように世界に定義されていたのである。例えば、彼に拠れば、一から六までの数が彫られている六面体のダイスを百回振って、一の目がでる確率は1%であるという。そう云われて、どうも釈然としなかった男が百回ダイスを振ってみると、三十五回、一の目がでた。男は相当不機嫌になり、確率に裏切られた学生を午前中いっぱい殴打し続けた。確率に裏切られた学生の理論に拠れば、それでもやはり、確率自体は1%だという。ダイスを百回振って、一の目がでる確率は1%であって、三十五回、一の目がでる確率は16%なのだ。憮然として、男がもう一度百回ダイスを振ってみると、なんと二百五十五の目が六十五回でた。確率に裏切られた学生の云うことには、ダイスに無い数字がでるのは65%で、その内、二百五十五の目がでる確率は100%であるということだった。
 確率に裏切られた学生の理論を要約するとこういうことになる。つまり、根本的に世界は必然を要素として構成されており、事象の起こる確率は最初から決まっている。世界が必然から成り立つ構造を持つ以上、確率などというものは、まさに、世界中何処を探しても存在しない。純理論上、確率が存在しない確率は45%である。ならば、55%の確率で確率が存在する、と思う者がでてくるかもしれない。ちなみに、そう思う者が出現する確率は2%である。しかし、そもそもの理論上、45%の確率が100%の確率と同義である確率は100%であるため、確率が存在しない確率は100%なのである。
 男は確率に裏切られた学生に尋ねてみた。男の内部に潜む一立方メートルに満たない宇宙を克服できる方法が世界に存在する確率はいかほどなのか。男の期待に反して、確率に裏切られた学生の答えは100%だという。実際に克服できる確率は、との問いには、此れも100%だという。期待を持った男は、多少、調子にのってさらに尋ねてみた。確率に裏切られた学生がいますぐに此の一立方メートルに満たない宇宙を解体できる確率は。確率に裏切られた学生の答えは100%であった。男はにっこり笑ってみせた。そして、最後の問いを確率を憎む学生に投げ掛けた。確率に裏切られた学生が、通常嘘をつく確率はどれくらいなのか。確率に裏切られた学生が50%だと答えるや否や、男は身体中に、生々しく鮮明な返り血を輝かせていた。しかし、確率的に、九死に一生を得た確率に裏切られた学生は現在でも相対の学校に在籍し、確率の有無について研究しているのである。一存在、または一存在のドグマに対して、世界中の存在が賛美し、熱狂すること。それを末代永年にわたり遂行すること。そのような現象が起こる確率はどのくらいのものなのか。いずれにせよ、男にとって理解しがたいことだった。意味が、無い。

 永遠には時間がない。永遠は時間と違い、終焉を予定していない。さらに、永遠には空間がない。永遠は空間と違い、限界という性質を持たない。それゆえ、時間と空間を意のままに従わせることができる男でさえ、永遠は非常に脅威となる。
 男はある確信を抱くようになる。一立方メートルに満たない宇宙。此れは永遠の復讐なのだ。男はかつて、永遠によって二度も存在を抹消されたことがある。脳パワーの停止は苦痛そのものであった。しかし、男もやられてばかりではなかった。男は現在までに三度永遠を殺害している。しかし、終焉も限界も識らぬ永遠の死は何の意味もないこと。男と永遠の壮絶な攻防。世界の定義に拠れば、この決着は必ずつくという。

 男が三度目の女装を試みた時のことだった。またしても、男は自己の性染色体をXXからXYに転換させることに失敗したのである。永遠はここぞとばかりに男を襲撃しようとした。確実に制御しなければならない。永遠に終焉は訪れないのだ。永遠に限界はないのだ。一立方メートルに満たない宇宙は緊張したように鋭い痛みを発していた。男は役立たずの時間に猛烈な一蹴を与えた。

 世界の南に位置する砂漠。その砂漠の砂は実際は、一粒一粒が蛙の生きた眼球であった。しかし、いまだかつて、その砂漠の砂をよく観たことがある者は誰もいなかったので、砂が蛙の眼であるという事実は有って無いような事実でしかない。無論、男もそんなことは識らないのである。
 男は砂漠空間で五回目の夜を迎えていた。風が少し強めに吹きはじめた頃、男はナイフを肴に麦酒を飲みはじめた。此の砂漠は朝の次にいきなり夜がくるため昼が無い。しかも、夜が12回続くため、なかなか朝にならない。男は気分がよくなってきたので、美味そうな一匹の空間を捕まえそれを口に入れた。が、すぐに吐き出してしまった。まだ、ナイフ以外の食物を胃が受け付けないようだ。男は四人目の恋人であるあの赤ん坊のことを思い出した。あの赤ん坊はもう存在しない。男はその場にうずくまり、数年ほどの睡眠に入っていた。
 朝。目が覚めた時、現存しない巨大な翼竜が男を睨み付けていた。男はゆっくりと身体を起こすと、現存しない巨大な翼竜を睨み返した。

 男は、現存しない巨大な翼竜を殺した罪で、何処にでもある陳腐な権力によって捕らえられた。正直なところ、男は納得できなかった。あの時、巨大な翼竜は現存していなかったのだ。つまり、そんなものは男が目を覚ました時点でいなかったのである。存在しないものを殺して罪人扱いを受けるのは不本意なことである。しかし、事実として、あの時男が存在しない翼竜の息の根を止めたのは確かであった。肌色の冠を被った裁判官は男の言い分などまったく聴かず、有罪の判決を下した。面白くない男は、肌色の冠を被った裁判官に対して、雌翼竜の生殖器に関する男独自の論説を発表した。すると、裁判官の冠は桃色に変色し、裁判官の陰茎は凄まじい速さで勃起した。

 男は、安っぽい煉瓦で造られた二束三文の迷宮にぶちこまれた。迷宮には、屈強な体躯をした番人がいた。頭は牛の頭で、下半身は獣のような剛毛で覆われている。男は番人によって幾度となく斧を打ち込まれた。番人は五年ほど連続して斧を振り続けると、疲労のため休憩に入った。男はその隙を狙って、番人から斧を取り上げた。今度は、男が番人に斧を打ち込んでやる。男は公平という概念を識っていたので、疲れてはいなかったが五年ほど経った時点で斧を番人に返してやった。その斧リレーはしばらく続いた。いつしか迷宮の周りには、斧で殴りつける音を聴きにやってくる観光客で賑わうようになっていた。商店街が円型の迷宮をそのまま同心円状に取り囲む。五年に一度訪れる、男と番人の斧の交換は世界的祭典となった。迷宮には天井が無かったため、いまや迷宮の周囲には中を覗けるように背の高い宿泊所が建ち並んでいる。たまに、質の悪い観光客がいて、宿泊所の窓から迷宮内にものを投げ入れてきた。特殊な金属で造られた斧。生命を持った斧。世界一の殺傷力を誇る斧。振り上げると貧相な音が鳴る斧。金か銀の斧を得るために投げ入れられた錆びた鉄の斧。全て斧である。

 男は刑期を終えた。男にはまだ迷宮を出所する意志はなかった。しかし、永遠以外の事象には終焉が訪れる。男は番人に恋をしていた。十三度目の恋。男は迷宮に別れを告げるべく、番人を殺害した。大地は苦痛の雄叫びをあげて男を罵倒した。すなわち、真実を闇に葬り去る者は、確かに此の時空に存在する。無論、迷宮街は消滅した。男は迷宮をあとにした。世界で最も黒と黄色がよく似合うのは蜂だった。

 居酒屋の主人は「真実」という言葉の深層に何らかのトリックの存在を確信する。
 最近の科学界において、「空は青くない」というのは定説となっている。しかし、世界中の多くの存在は空はどう見ても青いと云う。「空は青くない」此れは、真実なのだろうか。事実なのだろうか。定説なのだろうか。観方であるのだろうか。語と語の間に存在する確かな距離。それこそが誤解と理解の発生源なのでは。何処をどういじっても、意味が無い。

 世界中で、真実について識っている者は唯一人しかいない。真実を闇に葬り去る者である。そして、真実を闇に葬り去る者こそが世界を統括しているのである。
 凄まじく、気が乗らないが、男は真実を葬り去る者に会わなければならないのかもしれない。男の内部にはびこる一立方メートルに満たない宇宙について全てを識っているのは、おそらく、世界中で彼だけなのだ。そしてまた、彼にとって、男と永遠の確執など取るに足らない些細な事象でしかない。
 世界の定義とは、すなわち、真実を闇に葬り去る者の定義である。男は或る理由から、真実を闇に葬り去る者をよく識っている。よく識っているがために、彼と会うことはためらわれる。真実を闇に葬り去る者と会うくらいなら、まだ此の一立方メートルに満たない宇宙の痛みに耐えていた方がいいのかもしれない。意味があり過ぎるため、男は猛烈に不快な吐き気に襲われた。

 背負袋をしょった僧侶が、誰も識らない銀河の果ての誰も識らない居酒屋に焼酎を呑みにきていた。彼も此の店の常連客である。その夜も、店の主人は自分の科学的仮説を誰彼かまわず披露していた。不運なことに、背負袋をしょった僧侶も主人の科学談義の餌食になっていたが、僧侶は科学というものにまったく理解の無い存在で、主人の口から発せられる多種多様な科学的述語に天手古舞であった。しびれを切らした僧侶はしょっていた背負袋を膨張させることにした。最初、背負袋は僧侶と同じくらいの大きさであったが、僧侶が顔面を蒼白にして身体中の力を抜くと、ぐんぐんと膨張しはじめた。興味深いことに、僧侶のほうは逆にぐんぐん縮小してゆく。僧侶はついに主人の視界から消え去ってしまった。視界に残ったのは、約二倍の大きさになった背負袋だけである。
 店の主人は僧侶が科学についての話題を苦手としていることをよく識っていた。主人は背負袋の膨張する様が可笑しくて、それを見たいがため、故意に僧侶が嫌がる話題を振るのである。主人の仮説に拠れば、僧侶と背負袋の関係は、ずばり、風船と風船の関係であるということだった。二つの風船のそれぞれの空気穴をつなぎ合わる。その状態で片方の風船に圧力を加えると同じような現象が起こる。つまり、此のことが正しければ僧侶と背負袋の間には風船と風船でいうところの空気穴に相当する箇所があるということになる。 男は背負袋をしょった僧侶に一度尋ねてみた事があった。僧侶が背負袋を膨張させ、僧侶自身が視界から消滅するほど縮小した時、僧侶はいったいどのような状態であるのか。僧侶に拠れば、寝ているということであった。科学の話にとどまらず苦手な話を聴くと自己防衛規制が作用して睡眠に逃避してしまうというのである。此れを聴いた店の主人がほうそうかと納得して終わるはずもなく、すかさずよからぬことを思いついた。目覚まし時計。通常、一定の時刻になると此れはけたたましい音でたいていの存在の睡眠を中断させる。では、例えば、目覚まし時計が発する音の内容を主人の科学談義にすればどうなるだろう。果たして、僧侶はけたたましい音によって飛び起きるのか。それとも、複雑難解な話によって僧侶の自己防衛規制が働き、睡眠は続行されるのか。
 実験の結果は、男と主人の予想を遥かに超えるものだった。
 予定通り、目覚まし時計が耳をつんざく勢いで科学談義をしゃべりだした時、それをも上回る勢いで膨張したのは僧侶の背負袋ではなく主人の口髭だったのである。当然、主人はそんなことを予想だにしていなかった。動揺のあまり我を失った主人は目覚まし時計を取り上げ、音速の速さで男に投げつけた。目覚まし時計をまともに鼻面に食らった男は光速の速さで転倒し、頭を店のカウンターの角に勢いよく打ちつけた。云うまでもなく、その凄まじい音は銀河中に響きわたった。驚いて覚醒した僧侶はきょとんとしている。まるで事態を飲み込めていないようだった。それ以来、店の主人は背負袋だけになった僧侶に対して、ちょっかいを出すことを辞めたのである。

 背負袋をしょった僧侶が目を覚ましたのは、店の客が誰もいなくなったときであった。主人の姿も見えない。仕方が無いので、僧侶は背負袋の中から呑み代としての薄汚れた数珠を一つ取り出し、それをカウンターに置いて店を出た。必ず苦手な科学の話題を振られるのに、いつも僧侶が此の店に来る理由は三つある。ひとつは、主人自家製焼酎の信じられぬ程の美味さ。ひとつは、店での様々な存在との出会い。ひとつは、僧侶にとって何の価値もない薄汚れた数珠ひとつで支払いが出来ること。
 僧侶が重大なことに気が付いたのは、得体の識れぬ空間に辿り着いた時であった。その空間はどう見ても歪んでいた。見たこともない豪邸が一軒、そ処に居座っている。豪邸は幾何学的立体という概念の存在理由を見事に崩壊させていた。途轍も無く巨大で、途方も無く小さな外観。意味も無く堅牢で、理由も無く脆弱な壁面。空間の歪みの原因がその豪邸であるのは明白であった。僧侶は嫌な予感とともに背中の軽さにはっとした。
 背負袋が無い。店に置いてきてしまったのだ。

 男がボショッポリという音を立てながら自宅の玄関の扉を開くと、そ処には顔面を蒼白にさせた僧侶がいた。僧侶は男が豪邸の中から出てきたことに気が付くと、表情に安堵を表した。しかし、僧侶が男に背負袋を居酒屋に置き忘れてきたことを話すと、男は間髪入れずに男独自の科学的論説を僧侶に繰り出した。こうなると僧侶は寝るしかない。背負袋をしょってはいない僧侶だったが、身体中の力を放出し、ぐんぐんと縮小しはじめた。ついに、僧侶はその場から姿を消した。

 店の開店準備に取り掛かったとき、主人はカウンターの上に薄汚い数珠と背負袋が置いてあることに気が付いた。それが僧侶のものであることを察した主人は少し思索に耽る。思えば、主人は一度も背負袋の中身を見たことがない。
 背負袋の中から次から次へと出てくるのは薄汚い数珠であった。取り出しても取り出しても、尽きること無く出てくる薄汚い数珠。薄汚い数珠は主人にとっては価値のあるものであった。薄汚い数珠は主人が焼酎を造る時には欠かせない材料となる。主人はここぞとばかりに音速の速さで薄汚い数珠を引っ張りだした。次から次へと、次から次へと。いつしか、銀河の大半が薄汚い数珠で埋めつくされようとしていた。
 主人が満面の笑みを浮かべ、さらなる薄汚い数珠を取り出そうとした時、数珠ではない感触を手のひらに感じた。ちくちくとした短毛の頭のような感触。実際、その時主人が手にしたものはちくちくとした短毛の頭であった。別空間から見事に帰還した僧侶が背負袋の中から這い出てきた。僧侶と主人はその場で久しくない再会の挨拶を交わした。
 目下、僧侶と背負袋の関係は風船と風船の関係にあるのかどうかは不明である。しかし、今回のことで、風船と風船を直接的につなぐ空気穴のようなものは、僧侶と背負袋の間には存在しないことが判明した。

 のっぴきならない不実の粒子どもが集結したとき、それは一匹の水牛ほどの大きさの蚊になる。男はその蚊によって刺されることがよくあるのだが、その痒さといったら並みの痒さではない。厄介なことに、何処が刺されて何処が痒いのかさっぱり解らないのである。刺された処が痒いのは確かなのである。しかし、刺された処が男の身体であるのかも明らかではないのだ。此処に意味を求めるのは得策ではない。

 脳パワ−とは根源である。此れ無くしては世界において存在は存在たり得ない。思考や意識、情操や知覚。此等は全て脳パワ−から成立すると云われる。男は脳パワ−について様々な知識を持っている。男がかつて学んだ相対の学校は脳パワ−の可能性をあらゆる角度から探究することを目的としていた。
 相対の学校で言語についての講義を行なっていた言葉の達人は脳パワ−の不確実性に気が付いてから教鞭を放棄し、現在は記号で構築された場所で解釈に没頭している。言葉の達人に拠れば、世界は物質で構成されているという解釈は全く無根拠な推測であり、世界は言葉によって構成されているのだという。しかし、脳パワ−は出来損ないの唯物論を存在にもたらしてしまう。達人は脳パワ−こそがいわゆる虚無の原因たり得ると解釈する。例えば、言葉の達人は石などというものは見たこともなく、触れたこともないと云う。ただ、石という言葉を発したことならあると云う。感覚の存在を決定づけるものは世界には用意されてはいない。そもそも、見るとか、触るとかいう語は物質の実在を前提にしてしまっている。物質が実在しないというのに、物質の実在を前提とした語が存在する原因は、脳パワ−が存在に何らかの誤解を与えているためなのだ、というのが達人の解釈である。言葉とは何を表わすものなのか。達人は言葉は言葉を表わすものであると解釈する。それ以上の機能を言葉は有していない。石という実在が虚偽であると解釈される以上、石という言葉の指示内容は石という実在ではなく、石という言葉そのものなのである。達人は脳パワ−の不完全さに拠って世界は存在すると解釈する。言葉の檻の中で繰り返される自己完結的な解釈の連続。言葉と言葉が紡ぎだす解釈の集合表象。世界の本質は石が実在するかのように解釈させる脳パワ−の読解力不足にあるという解釈。在るのは言葉のみ。「我思う。ゆえに言葉あり」
 唯語論というものが言葉の達人が世界を解釈する道具である。脳パワ−には限界があり、世界に何が実在するのかを明らかに出来ない。懐疑を徹底した時に自己の存在さえ怪しくなるというのは有名な話である。それにしても、いくら自己が思考しているからといって、思考する自己の実在を認めてしまうのは短絡的すぎる。思考する主体とは別個に、少なくとも存在するのは言葉である。思考とその思考をしている存在の思考主体が一致するとは限らない。思考は言葉に拠って成されているとすれば、思考することに拠って証明され得るものは、「我思う。ゆえに、我は存在するとは云えないが、確実に言葉は構築されている」という解釈に留めるべきではないか。
 かつて、いかれた有政府主義者は言葉の達人に拠って「私は君を激励する」という解釈を施されたことがあった。いかれた有政府主義者が言葉の達人の講義を聴いて、絶賛の美辞麗句を乱射した時のことである。
 「嗚呼、達人。貴方もまた奇跡的な存在である。すなわち、言葉とは左脳の幻想。貴方の左脳こそ巨大かつ強大だ。そのような大きな左脳をお持ちですと、玄関を通り抜ける時、さぞかし、頭の左側を酷く打ちつけることでしょう。打ちつけ万歳。打ちつけ万歳。素晴らしい。やや、達人。相対的反射的逆説的に何と小さな右脳。そのような小さな右脳をお持ちですと、いかなる名画も記号にしか見えますまい。機会があれば、絵画を並べて文章や数式をお作りになられては如何でしょう。言葉とは利己主義の名産品。貴方こそ利己主義の世界代表。いや、素晴らしい。はや、素晴らしい」
 言葉の達人はいかれた有政府主義者の言葉をめくってみた。その結果、いかれた有政府主義者はなんら達人に対して賛辞を述べてはいないということが判明し、言葉の達人は驚愕した。いかれた有政府主義者はその賛辞の裏で女を抱きたいという旨のことしか述べていなかったのである。言葉の達人はいかれた有政府主義者が述べた言葉とその裏で述べた言葉の完全な解離に言葉の新たな可能性を診た。此処までの言葉の解離はそう簡単には起こり得ない。このように言葉を用いる有政府主義者は言葉の達人の激励を受けるには充分であったのだ。

 よくよく考えてみれば、肉しか食べない菜食主義者は、とどのつまり、雑食ではないか。そんなことをふと考えていた男は気分転換を図るため、重度の精神錯乱にしけこんでいた。被害妄想。追跡妄想。その他諸々の幻聴、幻覚。さすがのニュ−トリノも男を通り抜けることに成功したことはない。それでもやはり、精神錯乱ごときが一立方メートルに満たない宇宙をどうこうしてくれるはずもなく、男は精神錯乱を間も無くして辞めた。男に連れ添っていた時間が心配そうに男を見ていたので、男は時間を撫でつけてやった。少しだけ、時間の流れが穏やかになった。意味は、無い。

 かつて、やまびこが好きな数学者は、世界が克服できなかったある問題を解決したことがあった。一という数字の問題である。まず、一が一あるという前提に立ち、家が一あると想定する。そうなると当然、一はそこで完結すべきである。しかし、事実として、家の中には本棚が一ある。ならば、家が一と本棚が一あるということで、合計一が二あることになってしまう。しかも、本棚の中には、本が一あり、本の中には、栞が一ある。合計一が四ある。それでは、一が一あるという前提が間違っていたのだろうと思いきや、事態はそう単純ではない。一はいったいいくつあるのか、という新たな問題が発生するのだ。
 果たして、世界に一はいくつあるのであろう。数学というものは規則に基づくというその性質上、絶対的でなけければならない。一が世界にいくつあるのかという問いに答えられなければ、数学は死体に匹敵する。例えば、代数学というものは世界の中に一がいくつあるかという問に対して、「一はxある」という解答を示すことがある。しかし、哀しいことに、やまびこが好きな数学者は何かがx個あるとか、何かをy回するいう状態を経験したことがない。たいがい、レモンは三個とか、四個とかいう単位で見てきたし、縄跳びは百回とか、千三百回という単位で経験してきた。還ってきたやまびこの数にしても七百六十五回とか、もしくは三十八tとかそういう単位であった。実の処、やまびこが好きな数学者はそのことに劣等感を抱いていた。高名な代数学者達はおそらくレモンをx個食べたり、縄跳びをy回したり出来るのだろう。多少、負けず嫌いの気があるやまびこが好きな数学者は代数学の解答を上回る形で、一は世界の中ににいくつあるのかという問いに答えた。
 「一は存在しない。しかし、一は存在する。ゆえに、一は気紛れな奴だ。気紛れな奴はたいてい犯罪を犯すから、犯罪者の数が一の数である。つまり、今日は犯罪者が七千八百三人いるから、一が七千八百三ある。明日は解らない。これが絶対的な数理的事実である。」
 学界が震撼したのは云うまでもない。確率に裏切られた学生は直ちに気紛れな奴が犯罪を犯す確率を割り出した。45%。45%が100%と同義である確率は100%。此れはまさに決定的であった。
 一という概念は世界に一つしかない。しかし、一自体は世界の中に多く隠れ潜んでいる。誰も識らない銀河の果ての誰も識らない居酒屋の主人は、限界の中にでさえ無限の一を発見することは容易だと云う。しかし、一の数は犯罪者の数であるという考えが世界中の存在に拠って支持されている。そ処に、意味は、無い。

 男はポルノ雑誌を片手に、キリンの首を猛烈に殴り続けていた。キリンの首は天空の彼方まで伸びていたため、男にはキリンの表情が見えない。そこで、男は勝手なことをした。想像である。キリンが殴りつけられる痛みに耐えている表情。苦痛に歪む表情。男はそのような勝手なことをしばらく続けた。苦痛に表情を歪めているのは、実の処、男であった。一立方メートルに満たない宇宙に、ゴルテルンゴルテルンという痛みがあった。

 誰も識らない銀河の果ての誰も識らない居酒屋で、最近よく交わされる話題は、現在、世界は深刻なモンキ−レスの時代を迎えているという話題である。猿が激減したのはなぜか。太古の時代には世界中に猿が溢れていたのだが、現在となっては彼らを見かけることはあまりない。
 居酒屋の主人の仮説に拠れば、猿が激減した理由について、自分が猿を大量に殺害して酒造の材料にしてしまったからであるという。口髭にいつもの覇気がない主人の顔には悔恨の情がうかがえる。男は居酒屋の主人が猿を殺害したことはいまだかつてなかったことを識っていた。男は主人にそのことを告げた。そうすると、主人は口髭を指先でつるりと一つ撫で、先程とは打って変わった明るい表情で、自分はいまだかつて猿を殺害したことがないということを自慢しだした。どんなに猿を殺さないことに尽力したか、どんなに猿は素晴らしい存在か、どんなに猿は脳パワ−が優れているか。どんなに猿は茶色いか。男は主人のそういったところが非常に気に入らない。主人は気分次第でどんな話題も自慢話に替えてしまうのである。
 誠意不足の生物学者に拠れば、猿が激減した理由は猿が別の存在に変化したからであるということである。太古の時代、世界中に溢れかえっていた猿達は、言語を発明したことに拠り、脳パワ−が高められ別の存在に変身したのである。世界中の存在はかつては皆猿であったのだと云う。しかし、此の学説は説得力に欠けるため、支持する者はあまりいない。猿が猿であることを辞め、他の存在になるという発想は空想に過ぎない。例えば、粘土をいくら林檎の形に似せようとも、それは粘土であって林檎ではありえない。物理上、ありえないことなのだ。仮に、猿がいくら形を変えようとも、猿は猿である。猿が脳パワ−を発達させたとしても、それは脳パワ−を発達させた猿に過ぎない。誠意不足の生物学者は、確かに物理学上は猿が猿以外のものになることはないと云うが、生物学上は猿が猿以外のものになることはありえると云う。しかし、このような詭弁が世界に通用するはずもなく、誰一人として、誠意不足の生物学者の話など聴こうとはしない。論理とはその論理に拠ってその論理自体の正しさを証明することが出来ないクズでしかない。意味とは何か。不可解。

 酷く落ち込んだ男が一本の樹に寄り掛かっている。世界を虚仮にする道化師がその周りで無邪気に掛けずり回っている。何のために落ち込んでいるのか男には解らない。落ち込んでいる理由についてはいくつか思い当る処はある。それでもやはり、何のために落ち込んでいるのかということは全く解らない。無論、解るつもりなど、男には無いのだが。
 たいていの存在にとって、世界を虚仮にする道化師の無邪気さには気が滅入るものである。彼は何かに真剣に取り組むということを識らない。時には、世界中の球体全てを嘲笑い、時には、世界中の温度が三十六度以上のもの全てを怒鳴り散らす。彼をそのように駆り立てるものは、彼自身の無邪気さに他ならない。
 男は、自分の周りを掛けずり回っていた道化師の襟首を掴み、その顔に強烈なパンチを放った。世界を虚仮にする道化師は男のパンチを余裕を持ってひらりとかわし、男から距離を置いた処でケラケラと笑っていた。パンチをかわしたはずの道化師の顔からは大量の血液が流れ出していた。どうやら、熊に噛まれたらしい。
 道化師は男を手招きし、自分についてくるように促した。
 落ちれば確実に死ぬ崖。男が道化師につれてこられたのは崖であった。男が崖の下を覗き込んでみると、底が見えない。空間達が怯えているのが男には感じられた。世界を虚仮にする道化師は助走をつけ、勢いよく崖から飛び降りた。男はそれを見て、落ち込んでいた気分が多少回復した。
 五時間程経った時、凄まじい衝撃音が崖の下から返ってきた。男は崖の下に降りて道化師の様子を確認することにした。男は空間を縮小することに拠って、一瞬にして崖の下に到達した。
 そ処で男が見たものは、熊を相手にトランプをする世界を虚仮にする道化師であった。此の時ばかりは、さすがの男も自分の鼻面に強烈な蹴りを入れるしかなかった。無き、意味。

 男は自己の中に、ある種の逃避癖があることを認識していた。それは、男が男以外の存在であることに深く関連する。男は自分以外の存在としての男であることを自らに強要しているのである。此れは逃避ではないか。逃避とは、ある事象に対する不快を回避する主観的な現象である。つまり、男はある事象に対して、不快感を抱いているのだ。利己的な概念としての状態、すなわち、想像において、男は男以外の存在としての男と重なり合う状態を回避する。そのために、男は幾度となく利己的な時空を捏造する必要があった。一立方メートルに満たない宇宙が、その逃げなければならない不快と深く結びついていることは男には解っていた。永遠は男を嘲笑う。負けずに、男は永遠を嘲笑う。両者ともに、多少の強がりがあった。
 
真実を闇に葬り去る者だけが、真実を識っているのである。男がいくら時空を捏造した処で、真実は曲げられない。意味など無くてよい。しかし、果たして本当にそうなのか。

 男の目の前に颯爽と現われたのは、虹色の馬にまたがるいかれた有政府主義者である。男がいかれた有政府主義者に殴りかかろうとすると、いかれた有政府主義者は間髪入れずに男を褒めちぎりはじめた。
「やあやあ、落ち着きたまえ、一定の条件下における奇跡的存在よ。ものには順序と秩序がある。春の次に冬が来るのではあまりにせっかちだ。私の憎々しい顔面を殴りつける前に、まずは挨拶されることを提案しよう。嗚呼、貴方は素晴らしい。そして、素晴らしくない」
 男はこれから始まるであろう、いかれた有政府主義者の長い話に身構えることにした。 「私は貴方に一つ云いたい。『保守的すぎる世界について』という論題である。
 何時の時代でも、誰かが新たな事象の運用法が発見された時、それに、よく解釈もせず、否定の一手で応える者がいる。
 例えば、新しいコミニュケ−ションの方法が生まれた時。近頃、共通の文字盤を通じての会話が可能になったのは貴方も御存じのはずだ。その文字盤に言葉を書き込むと、書き込まれた言葉は頭が優秀な光に拠って暗記され、空間を瞬時に超える。そして、光は覚えた言葉を別の文字盤に書き出す。こうして、言葉は空間を超越し、あらゆる場所と場所をつなぎ、他者との会話を可能にした。光に拠る、超空のコミニュケ−ション。現在や、存在は文字盤を介し、同時に複数の存在との会話も出来るのである。
 さて、そ処にきて、文字盤を通じ、匿名の存在と恋に墜ちる者が出現した。その中には婚姻に至る者までも現われた。一部の、心理学者達や論評に長けた者達は此の現象を胡散臭い顔で見据えている。話を聴いてみると、どうも、顔の見えない相手と文字盤を通じて出会う、という匿名性が気に入らないらしい。
 私が云いたいのは、その心理学者達や論評に長けた者達が間違っているということではない。ただ、彼らは保守的であるということを示したいのである。保守とは、既存の事象のみを対象にとる。私に云わせれば、匿名の存在と会話を交わす、婚姻する、云々の是非など誰も識るよしがない。しかし、彼らは、保守的な意見のみ、保守的な推測のみ、保守的な見方のみを提示しているのである。
 保守は過去を、革新は未来を、それぞれに志向すると云われる。年を経ると経験が身に付く。経験は過去そのものであり、経験は存在の未来を確かに助けてゆく。しかし、経験は偏見を生み出す。何をも経験しない者が偏見を持ち得ることなど不可能であろう。経験しない存在など想定できない。つまり、過去の無い存在など想定できない。それゆえ、たいていの存在は過去に固執する。存在とは過去の集積でしかないからである。過去の集積でしかない存在が過去に固執しない訳がない。
 いわば、世界は過去に向かう。革新という概念も保守という概念のカテゴリ−に属するのである。『空は青い』此れは、近頃、新たな偏見に拠って証明されたように、偏見でしかなかった。『木は木だ』此れが偏見であるということも、近々、新たな偏見に拠って、証明されるに違いない。存在は経験を積み、同時に過去を重ねる。積み重ねた経験と過去が存在に与えてくれるものは、何物にも替えがたい偏見であるのだ。
 一定の条件の下では奇跡的な存在である貴方ならば、もう、お分りであろう。
 現在、私が進講してきたことでさえも私の偏見に過ぎないということを。幸か不幸か、存在は偏見という方法でしか事象を判別できない。
 以上のことから、私は此処で、世界システム思考体系の構造を一つ暴露してみせよう。 『存在が存在するかぎり、存在は保守的にならざるを得ない』
 存在が自らの思考を故意に停止させるのことがあるのはなぜか。それは、存在することに拠って、受けなければならない難から、自らを保守することに他ならない。存在が革新という言葉を用いて伝統を破壊するのはなぜか。それは、新しい環境を創造し、快適な過去を積み上げるためである。存在が食料が豊富な場所から、食料が存在しない場所に置かれたならば、存在は再び、食料の存在する場所へ赴くであろう。それは、存在が食料があったという過去を識っているからである。そして、存在は再びその過去へ回帰しようするのである。革新など何処にもない。世界は保守的であるのだ。
 匿名のコミニュケ−ションを胡散臭く見ていた心理学者達や論評に長けた者達の中にはおそらく、匿名のコミニュケ−ションが契機となって、婚姻に至ったものはいない。それゆえに、彼らは匿名のコミニュケ−ションをマイナス方向の現象として捉える。経験のないことは臭いものであり、そのようなものには、すべからく蓋をしなければならないのである。彼らは、そのようにして偏見を用いることに拠り自己が経験してきたことをを正当化し、自己そのものを保守するのである。
 微々たる保守。強大たる保守。いずれにせよ、世界には保守が溢れている。存在はその保守についての価値判断を下すことは許されてはいない。気が付いた時には既に保守。何という、過去への執着心。存在は過去無くして時空を埋めることは出来ないのである」
 男は、いかれた有政府主義者に最敬礼をし、その直後、唾を吐きかけてやった。唾は有政府主義者の額に当たり、ぴしゃりと弾けた。男が吐き出した唾液には華やかな色彩のイモリが約二十匹生息していた。
 いかれた有政府主義者が黒いマントを翻すと、虹色の馬は前脚を高く蹴りあげ勢い良くいなないた。次の瞬間、虹色の馬は一気に走りだした。有政府主義者は女を抱くことしか考えていない。どんな言動をとろうが、どんな行動をとろうが、彼が思いつくのは、いかに快適な射精をするかということでしかないのである。自分の主人がどのような思想の持ち主であるのかということは、虹色の馬には識る由もないことであるが、同時に、興味もないことである。いずれにしても、虹色の馬は虹色であった。まるで、意味が無い。

 色彩を従える画家は、「至高なる絵画」を描かなければならない。画家は、そのような絵画を描きたいという自発的な意志を持ってはいなかった。しかし、色彩を従える画家は「至高なる絵画」を描くように、世界に定義されていた。その絵を描くために、色彩を従える画家は莫大な枚数の画布を無駄にしている。
 至高なる状況を想定することでさえそう簡単なことではない。それを一枚の絵画の中にに格納するとなればなおさらのことである。色彩を従える画家ほどの存在でもその作業は困難を極めるものとなるのである。
 色彩を従える画家にとって、通常の存在の可視範囲は恐ろしいほどに狭量であると云わざるを得ない。たいていの存在は網膜という道具を用いてしかものを見られない。しかも此れは光なくして機能しないという。彼等は光という外的な刺激に依存してものを見るため、光の外にある色彩を認識することは出来ない。つまり、アカ色やアオ色は認識できても、イヨ色やモヘステロン色は認識できないのである。此れは色彩を従える画家にとって非常に嘆かわしいことであった。実際に、色彩を従える画家の習作の中に、イヨ系色を用いて描いた作品が何点かあるのだが、此等を他の存在に見せた時、たいていの者は何も描かれていないと認識したのである。表現したものが伝わらないのでは絵画を描くことの意味をそもそも、イヨ系色やその他光外色の絵の具は外部からはほぼ入手不可能であるため、全て、画家が自ら造らなければならなかった。
 色彩を従える画家は「至高なる絵画」の制作にあたって、初期段階の頃は画布に絵の具を伸せていくという手法を用いていたが、近頃は、直接、空間に色を着けていくという方法を採るようになった。画布を用いた方法だとどのように努力しても平面的な表現になりがちだし、失敗した時の画布が無駄になる。空間に、直接、色を伸せてゆく方法ならば、より現実態に即した具体的な表現が可能になる。しかし、至高なる状況というものが現実態に似通った形態、もしくは現実態の延長線上にある形態をとるのかどうかは、未だ画家には解らないことであった。

 色彩を従える画家が制作する「至高なる絵画」の進捗状況を理由もなく見学するため、男は画家のアトリエに向かうことにした。
 男はアトリエまで徒歩で行くのが面倒だったので、航空機を利用することにした。男は家から五十q北にある航空機の券売機で券を入手し、そ処から百q南にある男の家に戻った。飛行場は男の家から五十q北の処にあった。
 何処かで見たような舟の形をした航空機で、男と同乗したのは様々な種の動物のつがいであった。男の席は航空機の前方で、隣の席には天空まで首が伸びたキリンの雄の方が座っていた。航空機の天井はキリンの首が通るように丸く穴が開いている。航空機の後方には、天空まで首が伸びたキリンの雌の方が乗っていたので、航空機の天井には合計二つの穴が開いている。そのため、地上から航空機を見上げる存在達は巨大なブランコが空を移動しているのだと解釈した。男は正直な処、不愉快であった。キリンのつがいがどのような方法を用いて航空機に乗船したのか解らないのである。キリンが航空機に乗船するためには天空の彼方にある首を一度地上に降ろして機内に乗り込み、天井の穴に首を通さなければならない。やまびこが好きな数学者の計算に拠れば、キリンが天空の彼方にある首を地上まで降ろしてくるには二千三百光年かかる。つまり、キリンは二千三百光年前に此の航空機に乗船してなければならなかったはずだ。しかし、数日前に、男は此のキリンの首を殴ったばかりである。その時は、確かにキリンの首は天空まで伸びていた。不可解。
 機内食が用意されてないことに激怒した男は、同乗していた名も無き鳥の雌を捕まえて口に入れた。しかし、男の胃袋は鳥を受け付けなかった。吐き出された鳥は不機嫌な顔をして、翼をばたばたやりつつ、身体にまとわりつく男の胃液を振り払っていた。男は渋々、ありもしない鞄の中から一本のナイフを取り出し、それを不味そうに頬張った。
 いつしか、名も無き鳥の雌は男の強力な胃液を振り払いきれず骨になっていた。此れを見た男は一つのインスピレーションを得た。鳥が溶けて骨だけになったということは、鳥の体内には確かに骨が在ったということである。そうすると、その骨はどのような方法を以て鳥の体内に入りこんだのであろうか。いや、そうではない。鳥の体内には、鳥が存在した当初から、骨が在ったのだ。
 此の航空機はキリンの首が天空にある状態のまま造られたに違いない。キリンを包み込むように設計されたのだ。つまり、航空機が存在した当初から、キリンは航空機の中に在ったのである。そのことに気が付いた男は、同時に、そのことに気が付くことに意味が無いことに気が付いた。
 航空機は約二十年のフライトを終え、色彩を従える画家が棲んでいる世界に着陸した。実の処、航空機の燃料は離陸してから数時間で既に切れていたのだが、航空機はその類い稀なる気合いの力で飛行し続けたのである。二十年間で航空機が飛行した距離は延べ二oにも及んでいた。男の家から画家のアトリエまでの距離は三qであった。

 男が色彩を従える画家のアトリエに入った時、画家はまさに「至高なる絵画」の制作中であった。画家は「薔薇が思うように咲かなかった時の色」を様々な努力を重ねて創りだそうとしている。作業に熱中するあまりいつまでも来客者に気づかない画家を男はうんざりとしながら見ていた。
画家は時空を画布にして作品を創作していたのである。
画家はお茶の代わりにターコイズブルーのペンキ缶を男に差し出した。喉が多少乾いていたので、男はペンキ缶を一気に胃の中に流し込んだ。男はターコイズブルーに染まる自己の胃の中を認識していた。それでもやはり、一立方ミリメートルに満たない宇宙はターコイズブルーに染まらないことは男にも確信できた。
男はふと永遠とはどのような色彩だったのか考えてみた。二度も殺されたわりには、男は永遠が何色なのか知らない。画家によれば永遠の色とはあらゆる手段によっても、表現できない色であるという。此れは画家が云うと説得力がある。
普通の存在はたいてい五つの感覚しか持っていない。画家もその例外ではない。しかし、画家は五感覚のうち、視覚については類いまれなる秀逸な機能を備えている。画家はいわゆる概念的な対象の色彩を認識できるのである。そのため、画家の云うことは、普通の存在には理解できないということが多々あった。
「今日という日は午前中は桃色だが、午後からは灰色になりそうだな」
「哲学者は青い奴らが多いから、たいてい紫になりがちだ。なぜなら、彼らの多くが赤い時間を過ごすからな」
その画家が、永遠の色とはあらゆる手段によっても表現できない色であるというのである。しかし、画家は、表現できないというだけで、永遠の色がどのような色彩なのかは識っている。世界には、画家に従属しない色などは一色もない。世界に拠ってそのように定義されている。ただ、画家が表現できない色彩は確かに在った。
男は、いやと言うほど識っている永遠という存在の色彩を思い出してみようとした。無論、その試みは失敗に終わり、男の中にはびこる一立方ミリメートルがポスッテルポスッテルと痛んだ。それにしても、やはり、意味は無かった。

人工呼吸を専門職とする一族が、昨今の不景気によって暴挙にでているらしい。意識も失っていない健全な存在に、突如飛びかかり人工呼吸をはじめる。挙句の果てに、人工呼吸を施した存在から、代金と称し、不当に財産を要求するというのである。
男にもその被害は及んだ。
男はある水のない世界で、水泳を楽しんでいた。そのプールは水ではなく、使い古された雑巾で満たされたプールだった。男はいつものとおり、関節をあらぬ方向に屈曲させながら得体の知れない格好で遊泳していた。関節が奇妙に絡まった男の体はいつしか完全な球体となった。男は雑巾で満たされたプールの中を光速の刻みで弾みながら回転を始めた。もはや、それは泳ぎとは云えなかった。
突然、「大丈夫ですか。それとも大丈夫じゃないですか」という声とともに1人の存在がプールサイドに現れた。人工呼吸を専門職とする一族の一人である。人工呼吸を専門職とする一族の一人は、突然男に飛びつき、しっかりとしがみついた。その一連の動きはやはり光速のスピードであった。
凄まじい勢いで、男は一族の一人に唇を塞がれた。直後、男の肺の中に大量の空気が吹き込まれる。後にやまびこが好きな数学者に、この時吹き込まれた空気の量を算出させてみると、50リットルということであった。男は、この人工呼吸について特に快も不快も感じなかったが、なんとなく一族の肺の中に息を吹き返してみた。後にやまびこが好きな数学者に、この時吹き込まれた空気の量を算出させてみると、二万三千六百トンということであった。
無論、一族の一人は一瞬にして破裂した。男はその一族が人工呼吸の代金を欲していることを識っていた。男は代金を払うことについて義務感こそあれど何ら抵抗感はなかったのだが、払うべき対象がいなくなってしまったので、その場でタンゴを踊った。意味は無い。

男は、何処にでもある陳腐な権力によって捕らえられた。タンゴを踊ったことがその原因である。逆に、男が人工呼吸を専門職とする一族を殺害したことについては何一つお咎めはなかった。
肌色の冠を被った裁判官は、男に対して、なぜタンゴを踊ったのか問い尋ねた。男は、今回ばかりはある程度自己の非を認めていたが、タンゴを踊ったことに動機など無い。そのことを裁判官に伝えると、はじめ、裁判官の冠はみるみる蒼ざめてゆき、そのうち徐々に赤みを帯びだした。怒りの頂点に達した裁判官の冠はついには紅蓮の色彩をたたえていた。何処にでもある陳腐な権力にとってみれば、動機のない行為など存在しないのである。男は、かつていかれた有政府主義者が話していたことを思い出した。
「『動機』とは何か。それは、目標へ向かう意志である。存在は何をするにも此の『動機』から逃れられない。動機を持つにしても、『動機』は必要なのである。」
しかし、それを思い出すことによって状況が改善される余地はない。男はその場でタンゴを踊った。此れにも動機は無い。積怒がたたって、冠が真っ白になった裁判官はその場で気を失った。男は白目をむいた裁判官の近くに寄り、その耳元で適当に卑猥なキーワードを5つほど囁いてみた。すると、気絶しているはずの裁判官の冠は桃色に変色し、陰茎はものの見事に勃起した。このことは、裁判官が気絶したふりをしていることの確固たる証拠であった。
男が何処にでもある陳腐な権力によって監禁されたのは、普通の存在なら鼻が曲がってしまうような異臭を放つ無辺際の沼の中であった。沼は何処までも底なしのようで、男の体はズブズブと沼の奥底に沈み続けていた。男は、このような状況下では呼吸をするにも意味がないということに気がつき、とりあえず呼吸を停止した。
沼の中だから、汚泥のせいで視聴覚だけは状況は判別できない。そのため、男は別の感覚を用いて事象を捉えることにした。沼の中には、頭上にステーキ一枚も乗らないような小さな皿を載せ、口が鳥のくちばしの様に突出している緑色の存在がいた。亀のような甲羅を背負い、手足の指の間には水かきが備わっている。
緑色の存在は男を見るや否や、男の肛門に腕を突っ込み、肝臓をえぐり出した。そしてそれを美味そうに頬張った。無論、男の肝臓は即座に再生する。しかし、再生の度に緑色の存在に肝臓を喰われてしまう。「肝臓がそんなに美味いものなのか」と思った男は、緑色の存在の肛門に腕を突っ込み、肝臓をえぐり出してみた。緑色だった。男はそれを口の中に入れてみた。ふわりと口腔内に拡散する魚介系の風味。柔らかさを充分に備えた肉の食感は極めて優しい。噛むほどに唾液の分泌が加速され、まろやかな旨みが舌の上に染みてくる。此れは相当な美味である。しかし、男の胃は本調子ではないらしく、すぐに吐き出してしまった。このような状況下で、男の体はさらに沼の底へズブズブと沈んでゆく。
ふと、男が目をやると、先程まで旺盛な食欲と共に精気に満ちあふれていたはずの緑色の存在が少し白味を帯びて、うつ伏せになっていた。おそらく、男に肝臓を抜かれたため、瀕死の状態になったのだろう。男は自らの肛門に腕を突っ込み、再生済みの肝臓を取り出した。そのまま、男は緑色の存在に自分の肝臓を移植してやった。男にとってはどうでも良いことであったが、これがいわゆる善意と呼ばれているものかもしれない。間もなくして、緑色の存在は、もとの精気を取り戻した。
ナイフを食べさせてやろうと、男は緑色の存在のくちばしを強引にこじ開けて、合計二十三本のナイフを口の中に放り込んでやった。緑色の存在の胃袋は放り込まれた二十三本のナイフの内、十五本のナイフによってズタズタになり、さらにその内、八本のナイフは緑色の存在の体外にまで突き出てきた。緑色の血液が、緑色の存在の体から逃げるように、噴出したり流れ出たりしていた。その血液は、汚泥の中でも充分確認できるほど鮮やかな緑色だったため、男はその血液をいくらかすくい取り、ありもしない鞄の中に入れた。出血多量のため再び瀕死の状態に陥った緑色の存在に、男はまた自らの肝臓を喰わせてやった。さらに、やったこともない縫合手術などを施してやると、緑色の存在は次第に精気を取り戻した。
男が沼の中を二百三十四年ほど、沈みつづけたある日。男は緑色の存在の頭上に載っていた皿を強引にはずしてみた。ベリッという肉が剥がれる音と共に、皿は比較的勢いよくはずれた。男はうれしそうな表情を取り繕って、その皿をありもしない鞄の中に入れた。
皿を失った緑色の存在は、動くことをしなくなった。男はまた自分の肝臓を緑色の存在の口の中に押し込めた。しかし、緑色の存在は身動き一つしない。男は緑色の存在が死んだことを識った。男はナイフを取り出すと、ゆっくりと緑色の存在の頭部の皿があった場所に刺しこんだ。とたんに、その部分は蛙に変化し、さらにその下の部分が亀に変化し、沼の中へ凄まじい勢いで拡散してゆく。緑色の存在は、頭の方から足の方へ、順番に蛙と亀に孵っているのである。ただ、くちばしだけは崩れずに残っていた。
蛙、蛙、蛙、亀、亀、蛙、亀。蛙、亀、亀。蛙、蛙、蛙、亀、亀、蛙、亀。
男はその光景を見て泣いた。特に蛙が出てくる時は声を上げて泣いた。意味は当然無い。ついに緑色の存在の足が蛙と亀に変化した時、男は絶叫をあげた。男の目の前には、緑色の存在が唯一残していったくちばしだけが浮かんでいる。そのくちばしに触れようと、男が手を差し出そうとすると、くちばしは変容を開始し一羽の鳥になった。鳥は沼の中にもかかわらず、軽やかに飛行を始めた。男はその光景を見て一瞬呆然とした。次の瞬間、表情を完全にこわばらせた男はありもしない鞄の中から、ナイフを一本取り出して身構えた。一立方ミリメートルに満たない宇宙は、いまや普段の痛みなど問題にならないほどの激痛を抱えている。

その鳥は不死鳥であったのだ。永遠が飼っている鳥である。
男の周囲に居た時間はもはや完全に掻き消されていた。

言語を超えた事象が二十九回と言語を超えない事象が十五回起こった。もしくは起こらなかった。もしくは起こった。もしくは起こらなかった。永遠の繰り返し。

ニシン3匹、トビウオ2匹。千手観音、手が4本。あなたのハートは缶コーヒー。

男は、真実を闇に葬り去る者の存在を確かに認識した。


世界の南に位置する砂漠。その砂漠の砂は実際は、一粒一粒が蛙の生きた眼球であった。しかし、いまだかつて、その砂漠の砂をよく観たことがある者は誰もいなかったので、砂が蛙の眼であるという事実は有って無いような事実でしかない。
現在となっては、男は識っていた。この砂漠はかつて生活を共にした、緑色の存在が変化した蛙の眼球で構成された砂漠であるということを。存在に理由があるとすれば、果たしてそれは言語で語りえる範疇にあることなのだろうか。特に、意味は無いだろう。

凄まじく筋肉質の地獄犬が三つの頭をブルンブルンと揺らしながら駆け回る。大地が揺れる。その振動で、世界を虚仮にする道化師はケラケラ笑いながら転倒した。道化師が転ぶ度に、赤豚、青豚、黄豚の三匹の豚が赤、青、黄色の順番で鳴いた。
赤豚「機運!」、青豚「時運!」、黄豚「命運!」と。
どうしたら、このようなことに意味があると云えるのだろうか。

誰も識らない銀河の果ての誰も識らない居酒屋の主人がまた科学的新仮説を披露した。
「イカやタコが分泌するあの黒い液体で書家が文字を書くと、その書は高く売れる」
主人のこの仮説はいつものように世間で騒然の話題になった。無名、高名を問わず、書家という書家はこぞってイカやタコを捕まえに海岸へ殺到した。この仮説が科学的に正しい事象であるのかどうか。証明するには、実際に書家がイカやタコが分泌するあの黒い液体で書かれた書を売り出さなくてはならない。科学界は膨大な関心を書家達に注いだ。しかし、こぞって海に集まってくる書家達に目をつけた鮫達も、こぞって書家という書家を喰った。ついには、喰われに喰われた書家という書家は絶滅の危機に瀕した。
誠意不足な生物学者などは「書家が減ったら、鮫が増える」という著作物を出版する始末である。
事態を重く見た世界書家愛護協会は、何処にでもある陳腐な権力に二つの要請書を提出した。
1. このような事態を招いた居酒屋のマスターの罪を認定し、獄中にぶち込んでもらいたい。
2. 絶滅の危機に瀕している書家を天然記念物に認定してもらいたい。
何処にでもある陳腐な権力による裁判のため、居酒屋の主人はしぶしぶ出廷した。被告人としての主人の言い分は「『イカやタコが分泌するあの黒い液体で書家が文字を書くと、その書は高く売れる』という定義は現時点では仮説であるにしても、直に科学的事実であることが証明されるものであり、自分が法廷に呼びつけられる筋合いは全く在り得ない」ということである。
肌色の冠を被った裁判官は「二週間以内にその仮説が事実であることを証明しないと有罪とする」という判決を下した。ぶしつけに証明責任を負わされた居酒屋の主人は、不服そうな表情で、途轍もなく悲しい物語を裁判官に向かって語った。その話を聞いた裁判官の冠は深い藍色に変色し、涙で顔を濡らした。
我に返った裁判官の冠は次第に真紅に染まり、裁判官は激怒した。この瞬間、主人の有罪は二週間を待つまでもなく確定した。無いのは意味である。

天然記念物に認定された書家は、厳重な保護が必要であるという世界書家愛護協会の判断により、海から最も遠い場所に設置された保護区に集められた。
ただ、世界書家愛護協会がしくじったのは、保護区内の施設に充分な墨と紙と筆を用意しなかったことである。墨と紙と筆を持つ裕福な書家と、墨と紙と筆を持たない貧しい書家が両極端に分かれはじめ、ものの見事に貧富の差は拡大していったのである。
貧しい書家達は、裕福な書家達が捨てたボロボロの紙に腐敗した筆と墨を用いて書を書くしかできなかった。書家保護区歴1789年、ついに貧しい書家の怒りは爆発した。貧しい書家達は、ボロボロの紙の上に腐乱した墨と筆で「公平」という文字が書かれた旗を高らかに掲揚する。貧しい書家達は、裕福な書家達の宮殿に押しかけ、これを次々に破壊した。最も権力のある書王は、自らの王宮の広場へ連行され、公衆の面前でギロチンにかけられたのである。これが俗に言う「腐乱書革命」である。多くの書家の血が流れ、多くの書家の命が失われた。蓋を開けてみれば、より一層書家は絶滅の危機に瀕することになったのである。さて、それにしても、意味が無い。

ポクポクライフ

ポックリボーイの部屋