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 5月15日(木) らーめん神鐵@吉祥寺 小肥羊@吉祥寺
この前、知り合いの放射線技師から「使用している乳房X線撮影装置からモグラが出てくるので何とかしてほしい」という相談を受けたんですよ。

はじめ僕は「そんなバカなことあるか」と一笑に付していたのですが実際に乳房X線撮影装置をよくみたらモグラがいたんです。

本当に冗談じゃなくて乳房X線撮影装置の中にモグラが確認できますので、みなさんにも分かるように提示しますね。ひとまず、乳房X線撮影装置ってのはマンモグラフィーという呼称の方が一般的なので表記をそのようにします。


マンモグラフィー


マンモグラフィー


マン
モグラフィー


マンモグラフィー

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5月12日に吉祥寺に同時に2店オープンしたムジャキフーズ系の店のひとつ『らーめん神鐵』を回収しました。
家系の味ですがムジャキらしくとにかくきちんと整えたアレンジだと思います。平均を採る能力が高すぎだと思います。

吉祥寺に初めて火鍋専門店がオープンしました。『小肥羊』です。
「麻辣」をコンセプトにしているのですがやはり「麻」の要素がうれしいですね。しっかり痺れます。
これはとても美味しかったです。入ってるテナントが地下で目立たずコロコロ店舗が変わるところなのですがどう展開するのか普通に気になります。
 5月14日(水) つけ麺 結心@吉祥寺 ささの葉@吉祥寺
『ささの葉』がテレビに出ます。

「酒とつまみと男と女」公式サイト
これ、実はマスターが撮影の日に僕も来ていいよとこっそり言ってくれてたのですが別飲みで断念していたのであります。ということで今日の『ささの葉』です。

僕、ナキョ、ユイタソ、ノザリソ
言葉の定義の曖昧な部分に突入しましたよ。今日「ささの葉」でノザリソたちと一緒に飲んでいたありえないくらい元気でスマホすら持っている80歳のおじいさん(ジブリ美術館の深谷さんいわく「どう見ても68歳」)と1時間か2時間話しこんだあたりで、おじいさんが「そういえばこの前、この店に作曲家が来ていた」と言ったんです。僕もびっくりして「ホントですか!?どんな人でしたか!?」と食らいついたんです。おじいさんは「その作曲家は自分で作った曲のCDを店で流していた」と言うもんだから「それ僕じゃねえかよ」となったわけです。

で、まあ、おじいさんが僕に「あなたは作曲家でしょ?」というから僕はとうぜんに「作曲家じゃないです」と答えるじゃないですか。するとおじいさんが「作曲をするのに作曲家じゃないなんてことはおかしい」と言うんですよね。確かに作曲をするのに作曲家じゃないなんてことはおかしいんですよね。ウィキペディア的には作曲家は「音楽を創作(作曲)する人のことであり、とくにそれを生業とする人」と書かれておりました。この場合、「とくにそれを生業とする人」の解釈に齟齬がありますね。僕はこのことについて言葉の定義の曖昧な部分に突入したと感じたのでありました。

『ささの葉』後半は大友克洋さん周辺のお仕事などをしているグラフィックデザイナーの上杉さんやジブリ美術館(予約制)の深谷さんも交えまくっていつものカオス飲みです。

グラフィックデザイナーの上杉さんと僕

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一般的にラーメン屋は企業臭がすると本格的っぽくなくなるんですよね。多分ですが。

最近特にその傾向が強くて松本人志の「一人ごっつ」以降作務衣を着て頭にタオル巻いて職人っぽいオーラを出そうとするラーメン屋が増えています。そういう演出を導入することで作り手はナルシズムに走れるし食べ手は本格的っぽい錯覚を得るんじゃないかと思います。まあ、でも当たり前ですが笑いだろうがラーメンだろうが作務衣はその本質になんら関係ないです。

だからそういうオーラとは真逆のチェーン店はちょっとバカにされる空気があるわけです。とはいってもチェーン店だから云々を気にする人は現実的に少ないのかな。チェーン店だからこそネームバリューがあるし集客力がすさまじく、現実的に『一風堂』は味で『日高屋』は安さで人を入れまくってる。

チェーン店と個人店の中間的手法かなと思うのが「ムジャキフーズ」の「トラスト方式」ですが、これは僕が見えるままにいえば企業臭をひた隠しにして個人店臭を演出する手法です。なので「ムジャキフーズ」の店がオープンしてもそれは表向きには「ムジャキフーズ」とは無関係であるようにふるまわれます。ちなみに吉祥寺の油そばの有名店『ぶぶか』なんかも個人店ではなく「味の民芸フードサービス株式会社(かつての明星)」が経営しています。

吉祥寺にもむかしから「ムジャキフーズ」のラーメン屋がオープンしたり潰れたりしていましたが、5月12日に「ムジャキフーズ」の新店が2店となりあわせでオープンしました。しかし、そういう事情で「ムジャキフーズ」のHPにはその店名は隠されています
この店名が隠された「ムジャキフーズ」の2店が『らーめん神鐵』『つけ麺 結心』ということになります。自由が丘で実績のある『結心』の方から回収します。
 5月13日(火) 支那そば あおば@武蔵境 ささの葉@吉祥寺 ホープ軒@吉祥寺
最近あんまりゴリラネタを書かなくなったゴリラをご存知でしょうか。

このゴリラはかつて毎日のようにゴリラのことだけを日記に書いていたにもかかわらず、いつの間にか執筆癖がゴリラからずれてゴリラネタを書かなくなりました。しかしこのゴリラの根底にはゴリラという精神性が強烈に存在しているためゴリラネタを全く書かなくなるということはありません。

ゴリラという精神性は宇宙のイデアと捉えてかまいません。宇宙が何を目指して存在しているかを考えたことがあるでしょうか。たとえが難しいのですが人間は生きるために存在していますよね。そうでなければそもそも人間は生まれすらしない。

では宇宙は何のために存在しているのか。それはゴリラになるためです。宇宙の本来あるべき姿がゴリラなのです。宇宙はゴリラを志向します。

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『支那そば あおば』で醤油ラーメン。旨い。旨すぎる。

突然、「Web冷え汁」の四万十川さんから飲もうコールが入り、サト、コウイチ・ヤングという定期飲み安定メンバーでで『ささの葉』です。
飲みメンバーが全員感動したクジラ刺し。これは本当に『ささの葉』でしか見られないです。
ハタハタです。食感も旨みもサカナサカナしてて美味しいです。

ひとりで『ホープ軒』で〆たのは夜中の2時だったようです。
写真を撮った記憶もこれを食べた記憶もいっさいないです。
 5月12日(月) いしはら食堂@三鷹 甚作@武蔵関 ひなた屋@鷺ノ宮 すぎ本@鷺ノ宮
昨日の夜遅く、井の頭公園の弁財天に散歩しに行ったんですね。

お堂の周りには誰もいなかった。ふとお堂の方から女性の声で「…在するというのはウソです」って聞こえた気がしたんです。そこから今日にいたるまで僕の環境は一変しました。

今日の朝、僕は新聞を開いてみた。するとあらゆる記事の最後に「今まで書いたことは全部うそです」って書いてある。TPPの交渉の進展、集団的自衛権、美味しんぼの鼻血、バスジャック、すべての記事の最後に「今まで書いたことは全部うそです」って書いてある。そんなバカなことがあるかと思って別の新聞も読んでみる。やはり、どの新聞を見てもあらゆる記事の最後に「今まで書いたことは全部うそです」って書いてある。朝日も。読売も。産経も。

ヤフーニュースを見てみる。
やはり、すべてのニュースの記事の最後に「今まで書いたことは全部うそです」って書いてある。いったい何が起こってるんだ。僕は何を信じればいいんだ。

テレビをつけてニュースを見ました。アナウンサーがあらゆるトピックの最後に「いま言ったことは全部うそです」と付け加えている。
「シャープが3年ぶりに黒字に転じました。いま言ったことは全部うそです」
「オウム真理教の元幹部の井上嘉浩死刑囚が証人出廷しました。いま言ったことは全部うそです」

こんなバカなことがあるか。僕は真っ青になりながらも思い立って吉祥寺の図書館に行ってみました。すると手に取るすべての本の最後のページに「今まで書いたことは全部うそです」って書いてある。聖書にも。吉田兼好の徒然草にも。数学の参考書にも。

もう一度弁財天に行ってみよう。僕は直感的にそう思いました。あそこから何かが狂ったんだ。
僕は閑散とした弁財天の前にふたたび立ちました。僕はお堂をにらみつけて「いったい何が起こってるんだ!」と叫びました。すると女の人の声が聞こえてきました。今度ははっきりと聞こえました。

「あなたがこの世界に存在するというのはウソです」

弁財天のお堂の前には誰も立っていませんでした。つまり、僕は初めから存在しなかったのです。

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1日を『いしはら食堂』からはじめる日はだいたい絶好調です。ハムエッグと納豆の定食410円。

武蔵関の昼時は地元民で満席になる『甚作』。とろろそば。ボリュームがすごい。

鷺ノ宮の知る人ぞ知る焼きとんや『ひなた屋』。それぞれ120円の半焼きレバー、半焼きハツ、半焼きタンを注文したところすさまじい量でした。
しかもかなり旨い肉です。赤星の大瓶が450円の時点でどうかしてますがこのコスパはとんでもない。西荻窪のコスパの化け物『よね田』を超えてる気がします。極狭の店内を常連の酔客が大声でしゃべってる感じですがそれを気にしなければ相当モンスターな名店です。

佐野実の弟子にして西武新宿線のエース『すぎ本』の醤油ラーメン。
ああ、これも完璧でした。最近増えてきた完璧なラーメン屋のひとつだと思います。
 5月11日(日) ピワン@吉祥寺 昆鰹和ジアン@吉祥寺
『ささの葉』で知り合った大学教授の鏡塵=狂塵さんが店内に流れる僕の曲を初めて聴いて涙を流して感動してくれたことがあったんですよ。
この経験は僕にとってある種の音楽に対するコンプレックスのようなものが盛大に瓦解したイベントだったかもしれません。自分が作った曲を聴いて泣いてくれる人が存在するって。結局のところ、僕が曲をつくっていたモチベーションはやはり「人を喜ばせたいから」です。なぜ人を喜ばせたいかというと人を喜ばせることができたら僕自身の承認欲求が満たされるからです。自分のプライドのために「人を喜ばせるかどうか」と格闘するわけですよ。曲の良い悪いなんて人によって違うんだからそもそも勝負の行方なんて分かったもんじゃない。見えない敵と闘ってるっぷりがハンパないですからね。

そんな構えの中でまさか僕という人間が音楽で人の感情に影響を与えることが現実的にできてるなんて。人生の中でそんな経験ができるのはアホみたいに稀有なことだと思うんです。あとやっぱりうれしいのは僕と鏡塵=狂塵教授は同じ年代なのに別の場所で全く別の人生を歩んできた。にもかかわらずたまたま居合わせた居酒屋でたまたま聴いた曲を誉めてくれたというのは僕自身が感動をまぬがれないですよね。

8ビットサウンド大好きな鏡塵=狂塵教授は持ってるボキャブラリーの海が広大すぎて飲んでしゃべってても発する言葉がいちいちアカデミックでジェットコースター的におもしろい。「とっかかりを作る」を「フックを作る」と言ったり、ポストモダン社会論者ボードリヤールの用語「シミュラークル(文化におけるオリジナルなきコピー)」をナチュラルに出してきたり衒学的というと失礼なのかもしれませんが単純に勉強になるし僕はそういうのが大好きなのでその辺の漫才とかよりおもしろいです。

僕は自分の曲をおもにネットで配信していているため生の人間の感想を聴くことってすごく少ないので泣いて感動とかしてもらえるとのけぞるほどうれしかったのです。そのようなことがあってから僕は調子にのって鏡塵=狂塵教授に僕のCDのレビューをお願いしてみたのですよ。とはいっても「ささの葉」での酒の席でのお願いだからホントに書いてくれるなんてことは期待してない部分もありましたよ。なのに鏡塵=狂塵教授ってばホントに書いてくれたんです。すさまじい超高温の言語展開。怒涛すぎるのであります。

8ビットの幻影と反復 鏡塵=狂塵
 同時代の音楽について語るというのは、実にハードルの高い作業である。同時代史としての文化を通史的に把握することに見られる特有の困難に加えて、「音楽」には言語を用いた批評的アプローチ自体を遠ざけるだけの独自の評価の文脈が存在するからである。例えば、音楽に社会学の立場から接近するためには、還元主義的にならずに「自らがどこの地点からいかなる語法でもって音楽を語っているかをつねに対象化する」こと、言い換えれば「非体系性に開き直るのではなく非体系性に耐え続けること」が求められるという(北田暁大「音楽(研究)とメディア論」吉見俊哉・花田達朗編『社会情報学ハンドブック』東京大学出版会(2004年))――この文章を書き記すにあたって慌てて社会学の入門書を紐解いているような門外漢にとっては、その困難はなおさらである。
 それにも関らずこの文章を記そうとしていることには、2つの理由がある。一つは、今年2月初旬に大学のゼミの卒業生の川口いしや君に連れられて吉祥寺の知る人ぞ知る名店「ささの葉」で飲んでいた際、不意に流れてきたポックリボーイ氏の楽曲に喚起された、主観的な時間概念を揺るがすような曰く言い難い感覚を文字に書き起こしてみたい、という知的関心である。そしてもう一つは、その際に氏から、当方が「8ビット音楽の研究」を行っているという光栄な誤解をいただいていたことに対して、自分が生業として、アカデミズムの片隅でささやかに追求しているいくつかの専門領域の知見から応じてみたい、すなわち、歴史学的手法から着想を得て「8ビット音楽」を語ることははたして可能か、という、偶然の采配への挑戦を試みたいという欲望である。

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 ユークリッド的な幾何的空間の比喩に基づいて「流れる」ものと理解されがちな「時間」について、むしろそのあり方を「積み重なる」ものとして把握し、「想起」いう言語行為の側面を強調すべきであるという主張は、ことさらに目新しいものではない(野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫(2005年))。氏の楽曲がそのような主体性を越境して、物語る主体としての自我の「ゆらぎ」を引き起こすのは、その楽曲に「音」として編成され固定された複数の時間感覚が、その楽曲に触れた者の複数の時間感覚を並列的に「想起」させる装置として機能するからではないかと思われる。
 それでは、氏の楽曲に編み込まれた複数の時間とは何か。冒頭で記したように、音楽という非言語的な対象について語ることは極めて困難であり、氏の楽曲が豊穣に備えるコンテクストを網羅的に指摘することはもとより不可能である。しかしその磁場の一つとして、1970年代後半から80年代にかけて隆盛を迎えたクラフトワークやYMO等に影響を受けた所謂「テクノポップ」、広義に採るならば「ニューウェーブ」を補助線に引くことは、1975年という氏の生年からしても、それほど的外れではないように思われる。彼ら「テクノポップ」の担い手たちが、同時代の所謂「ニューアカデミズム」と共振して同時代的に発揮した影響力は、殊更に説明する必要は無いと思われる(佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書(2009年):なお、氏のリリックに意図的に散りばめられた「日本的」な固有名詞や「言葉遊び」と、ポストモダン的な「諧謔」や「敢えて」の論理との関係は別論としたい)、1984年の段階で筑紫哲也が細野晴臣との対談の中で紹介している以下のエピソードは、本稿の関心から若干の関心を引く。自分の音楽に「永続性を持たせるとか、あんまり興味ない」と述べる細野に対して筑紫は、早稲田の第三舞台においてふんだんに流されるYMOの作品を「もう過去の作品ではあるし、たぶん聴いている人も、やや懐かしのメロディで聴いているんじゃないか」としながらも、そのあり方を「不朽と消費との真ん中に、なんかちがうものがあるかもしれないという気がすごくしましたね」とむしろ肯定的に紹介するのである(筑紫哲哉他『若者たちの神々 V』新潮文庫(1987年))。1980年代という時空間に固定されているかに見える「テクノポップ」にも既に歴史的が同時代的に刻み込まれている。

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 ところで1980年代とは、平仮名の「おたく」が「発見」される一方、下北沢などの都市で展開されていた上述のような文化状況を揶揄的に表現する「サブカル」という呼称が生まれることにより、広義の「サブカルチャー」が内攻的な対立軸を形成する時代でもある。この両者が共有した「たったひとつのもの」として宮沢章夫が回顧的に「発見」したのが、1983年にアーケードで稼働を開始した『ゼビウス』であったことは、本稿にとって大きな意味がある(宮沢章夫『東京大学80年代地下文化論講義』白夜書房(2006年))。周知のように、シューティングゲームでありながら「余白」に「物語」がある(かのように)構造を備えていた『ゼビウス』は、その後の日本のゲーム文化における「物語性」重視の傾向への転轍機とも言うべき画期的な役割を果たしたが(さやわか『僕たちのゲーム史』星海社新書(2012年))、その稼働開始の翌年――ちょうど同作がファミリーコンピュータに移植されて大ヒットした年でもある――に細野晴臣が『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を監修していることは、上記の二つの文化トライブの「相互乗り入れ」関係を象徴的に示してもいるが、このような関係は10年後の鈴木治行にとって「そのチープっぽさが往年のテクノ・ミュージックのようにある種の懐かしさをもって我々をくすぐる」ものとして懐古する対象となっている。コンピュータ・ゲーム始まって以来の電子音が「そもそもマニエリスムを予感させる」と述べる鈴木にとっては、現在の環境ではほぼ体感することのない処理落ちによるタイムラグが「全く音楽にとって何ら必然性のないところで起きる」ものとして、その「マニエリスム性」の噴出の「裂け目」として語られている(鈴木治行「ゲーム音楽に噴出するマニエリスム」藤井雅実・澤野雅樹編著『人はなぜゲームするのか――電脳空間のフィロソフィア』洋泉社(1993年))。
 ゼロ年代から10年代にかけて、電子音=デジタルという音の次元は、その主戦場をネット上に移しているが、その担い手となった初音ミクとニコニコ動画の「セカイ」においては、そのアーキテクチャの「蓄積」を忌避する「擬似同期」型の特質と、ユーザーの履歴を間主観的に束ねる、すなわち「物語る」主体が不在であるが故に、「歴史」は不要なものとなる、という予測がなされていた(濱野智史「初音ミク、あるいは市場・組織・歴史に関するノート」『ユリイカ』40巻15号(2008年))。しかし、初音ミクの「キャラクター性」についてのユーザーの解釈が「世代」によって微細な差異を「蓄積」した結果、ボーカロイド文化自体が既にこの10年近くの間に変質し、『悪ノ娘』や『カゲロウプロジェクト』などの、アーキテクチャの質を逆用しながら「物語」を色濃く紡ぐものへと変質しつつある(さやわか『一〇年代文化論』星海社新書(2014年))。ゲーム音楽という平面もまた、「物語」の想起というダイナミズムの「蓄積」を被っている。

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 井の頭線によって結ばれている渋谷から下北沢、そして吉祥寺というエリアは「情報の市場」としての「文化圏域」を形成している。しかし、下北沢が1980年代に担っていたサブカルチャーの場の論理は、1970年代に吉祥寺が帯びていた磁場でもある(宮沢前掲『東京大学80年代地下文化論講義』)。すなわちこの「文化圏域」には、中央線沿線という「歴史」に裏打ちされたサブカルチャーと80年代渋谷的消費文化との間に存するグラデーションに加え、広義のサブカルチャー内部における「世代」の差異というグラデーションが内包されている。「個性」のある都市を存続させていく鍵となるのは、重層的な価値観の差異、特に、世代間の差異を越境することであると思われるが(東浩紀・北田暁大『東京から考える』NHK出版(2007年))、とりわけ、サブカルチャー内部においては、その営為の中に必然的に刻まれる時間軸、すなわち「歴史」を意図的に想起させるような、ある種の「装置」が有効であるのかもしれない。吉祥寺の奥まった路地に流れる氏の音楽によって、かつてサブカルチャーに心惹かれた者たちと、これからサブカルチャーの深みに嵌る者たちが、物理的な時間軸を越えたノスタルジアによって8ビットで連帯する可能性が、そこには確かに存在するように思われる──銘酒「司牡丹」の酔いによる夢想かもしれないが。


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今日はパクチーデーにします。

『ピワン』のカレーはめちゃくちゃ旨いです。圧倒的に旨い。このヴィジュアルは一切嘘をついていません。
5人入ったら満席というハモニカ横丁の小さな店なのですがとにかく「AKIRA」の大友克洋さん周辺のクリエイターが常連で集まってきます。で、最近はインスタグラムのおかげで『ピワン』の常連が『ささの葉』の常連とかぶりまくってる。先日はついに『ピワン』のマスターまで『ささの葉』にやってくるというミラクルが生じておりました。今後メディアの露出も増えてゆく最強の注目店ですが吉祥寺でカレーを食べるならここです。

そして、なんとポクポクライフや僕のインスタグラムを見て京都から吉祥寺にやってきたというkyoko_3211さんも今日『ピワン』に来ておりましたし、さらには勝どきの『かねます』や武蔵関の『三浦亭』にまで行ってましたよ。kyoko_3211さんと同じ昨日にヒョッコリ君が『かねます』に行ってるし、kyoko_3211さんが昨日参加していた野鳥・植物の自然観察を行う「井の頭かんさつ会」は僕が毎日のように飲んでるジブリ美術館(予約制)の深谷さんや井の頭バードリサーチ代表の高野丈さんなど知り合いが参加やら主催してるやつだったので世界の狭さがめちゃくちゃおもしろかったです。

『昆鰹和ジアン』のトムヤムラーメン。めちゃくちゃ旨いしパクチーがパーフェクトに合います。
 5月10日(土) S+J@吉祥寺 ささの葉@吉祥寺 ホープ軒@吉祥寺 谷記@吉祥寺
16年来の親友であるヒョッコリ君ですが北沢姉から「ヒョッコリさんはモデルの三浦理志に似てる」という報告を受けて比べたところ似すぎだろこれ。遠目だと見分けつかねえだろこれ。
ちなみにヒョッコリ君がどういう人間かというと、ひとことでいえば話していることに一切心が入ってない人間です。話自体は涙がでるレベルで笑わされるほどおもしろくて流暢でうまいのですが、その話そのものに心が入ってない。その点で高田純次と完全にノリが一致しています。高田純次がそうであるようにだいたいの発言が信用できないです。

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吉祥寺ヨドバシ裏の新しいカフェ『S+J』でパスタランチです。
完全にオシャレです。オシャレという要素に満ちあふれたカフェです。

『ささの葉』です。めったに女の子にモテない僕ですが今日は違いました。
たまたまとなりに居合わせたキャピキャピの女の子(52歳)にめちゃくちゃ気に入っていただき「キスしても良い?」と言われ頬に口づけまでいただいたあげく「あ〜んして」的な展開にまで発展しました。

女の子(52歳)に牡蠣をあ〜んする僕
あでやかで豊満な刺し盛り。
岩牡蠣をこれでもかと蒸します。
ホタテの精巣と卵巣。

『ホープ軒』でひとりで〆ました。
が、〆たあとにジブリ美術館(予約制)の深谷さんが連れてきたいつもの『ささの葉』の若手たち、川口いしや君、いしや君の彼女(前田敦子似)、照沼健太君、はるにゃんiimioさんと『谷記』で夜中まで飲み倒しました。
 5月9日(金) まる。@荻窪 神鶏@荻窪 ふんよう亭@荻窪 ささの葉@吉祥寺 中華街@吉祥寺
モデルが気になって商品選びどころではない楽天サイトをちょっとまとめてみました。

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アドリブ的に荻窪飲みにしました。前からずっと気になってた『煮込みや まる。』です。ここ店の前通るといつも満席なのですが今日もラス2席のギリギリで入店できました。
煮込み(塩味)と肉豆腐(醤油味)を注文したましたがめちゃくちゃ旨いです。空間や大道具や小道具もかなり考えられています。

福岡名物の「とりかわ」を出す『神鶏』も荻窪の南口ゾーンにあります。
とりかわ99円がすごくいい感じです。ていうかここも満席だったのでちょっと待ってから入りました。

これまた満席で数回ふられた後にやっと入れた『ふんよう亭』。
グラフィックデザイナーの上杉さんや「ささの葉」のマスターが推すレベルで評判のいい豚足がトロトロすぎます。離乳食かよ!ってくらいですね。これは衝撃的な旨さでした。

4軒目で『ささの葉』です。
手前からヒョッコリ君、僕、スウェーデンから来てるモデルのアントン、ヒカリさん。ゲル博士に撮ってもらいました。
今日の刺し盛りの美しさはエルドラドの財宝級ですね。

『中華街』で朝まで飲んだ気がします。
 5月8日(木) いしはら食堂@三鷹 高尾@武蔵関 蒙古タンメン中本@吉祥寺
 ささの葉@吉祥寺 麺処 縁(えにし)@吉祥寺
牛丼屋に入って食券を買って席に座った直後の記憶がないんですよ。

ただ間違いないのは僕はいま春という季節を失ってしまったということです。
この前僕は井の頭公園で水面に散った桜の写真をツイッターにアップして2千リツイート以上されました。そのパクツイは一番でかいやつで2千どころじゃないリツイートを迸らせていましたが、どちらにしても、あの花筏は春がもたらす最高の芸術でした。他にも杉並区の桜を自転車で追い回したりして春を全身で感じました。さらには根津神社に満開のつつじを見に行きましたし、別の日には亀戸天神で満開の藤を見てそこでも春を思う存分感じたんです。極めつけは秩父の芝桜を見に行きましたよ。すごく春だった。

でもいま僕の目の前から春は消えてしまった。
いま僕の目の前には深い深い漆黒の闇だけが広がっているんです。あたかも忌むべき最終戦争ハルマゲドンが起こってしまった後の世界のように真っ暗で何もなくて誰もいない肌寒い空間。まるでいままで歩いてきた道を曲がったら急に景色が変わっみたいだ。

…待てよ?曲がった…?

もしかしたら僕は季節を曲げてしまったのか?だから春が消えたのか?

僕は牛丼屋に入った際に何の食券を買ったのか必死に考えたんです。
そして思い出しました。僕は「ハルマゲドン(春曲丼)」と書かれた食券を買ったんだ。

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『いしはら食堂』で焼き鮭、納豆、生卵の定食。普通すぎることが至高を生み出しまくっています。

とんかつ激戦区である武蔵関『高尾』のヒレかつ定食。老舗感がずんずん響くとんかつでした。

久々の『中本』で吉祥寺店期間限定の「ベジリナ」を食べました。

遅い時間からの『ささの葉』です。大トロがありました。とけまくる。
スルメイカの煮付けです。

昨日ヨドバシ裏にオープンした『麺処 縁(えにし)』で〆ました。
 5月7日(水) ドラマカフェ@吉祥寺
ここ数年でけっこう死の近くまで行ったんですよね。

おととしは呼吸不能寸前まで喉が腫れて気管切開するまでにいたったり、今年の3月には吐血して意識不明で倒れたり。

このタイミングでちょっと「死」というものを考えたときに出た結論が「死はぜんぜんあり」というものでした。なぜなら、いま僕はわりと長らく続く人生の絶頂期だからです。思春期とかはコンプレックスやら社会に出たくなさでひたすらびびって精神が泥沼以上に淀んでいたのに25歳を超えたあたりからバカみたいにどんどんノンストレスになっていってしまった。その頃から如実に自分自身の思い込みやしがらみから解放され、世の中や人々や自分に対する諦念がいい感じに醸造され、警戒心は減少の一途をたどったと思います。

たぶん25歳を過ぎたくらいからいまに至るまで僕がこの世界に存在する楽しさは加速度的に増幅しています。世界はおそろしく楽しい。端的にいえばそういう状態です。皮肉なことに、2年前に死にかけたというイベントさえも、先月死にかけたというイベントさえもその楽しさの中に含まれてしまっている。臨死すらエンターテインメント。何もかもが楽しいというフィーバー状態。そんな最中に還らぬ人になったら僕だけの問題としては最高に幸せな死に方です。

それだけに逆に考えてみたのですが、現状に納得してないまま死ぬことほどキツいことはないと思うわけです。思い悩んで自殺とか苛烈な闘病生活や老衰で先が見えずに衰弱死とかそういうのはキツい。であれば、これほどまでにノンストレスで楽しさだけで満ちているこのタイミングで急に死ぬのはまるで問題にはならない。つまり、あのまま死んでいても僕はいっさいの後悔はなかったなと思っています。言いかえれば、いま僕はいつ死んでも後悔しない状態をキープしているので恵まれすぎにもほどがあるということです。

そういう意味において僕は「死」というのは必ずしもネガティブなものじゃないと言いたいわけです。確実に訪れるものを否定しすぎるのはナンセンスなんじゃないか。あまりにも「死=ネガティブ」の関連づけが過剰な気がするんです。

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去年、吉祥寺オープンの無料Wi-Fiカフェ『ドラマカフェ』で茄子とベーコンのアラビアータ。
オニオンバーガーです。ちょうどいいです。色んな意味でちょうどいいハンバーガーです。
『ドラマカフェ』は空間設計の洗練度がかなり吉祥寺っぽいです。色んな要素が吉祥寺っぽいです。
 5月6日(火) 道玄@高田馬場 ささの葉@吉祥寺 富士そば@吉祥寺
今日の「ささの葉」は吉祥寺濃度が高すぎました。絶頂に達したと言っていいです。

最初、僕は4月28日の日記でも書いた空手の達人である辰ちゃんと飲んでいたのですが、辰ちゃんが帰った後でこのあり様です。これが吉祥寺ですね。これ以上の吉祥寺はそうそうないですよ。
手前からアートな手芸を迸らせるHIKARIさん、大友克洋さん絡みのコラボアニメ作品のポスターを手掛けているグラフィックデザイナーの上杉季明さん、ハモニカ横丁で殺人的に旨いカレーを出している吉祥寺最注目店『ピワン』のマスターてつさん、行列ができる移動パン屋『吉ぱん』や『カフェユッカ』を経ていまは『朝食ボッカ』をやりながらこういう料理本なんかを出してる村山由紀子さん、『ささの葉』のリヴァイ兵長ことジブリ美術館(予約制)の深谷さん、孤高の進学塾経営者えーしんさん、数々の飲食店を渡り歩く業界人の入江さん。

ここに写せなかったけどヒョッコリ君や週末ライターの川口いしや君とその彼女(前田敦子似)やかつて「真剣10代しゃべり場」に出たり「知的書評合戦ビブリオバトル」でチャンピオンになったりしてるくらいしゃべりが達者な坪井遥君もいました。最終的には「ナウシカ」やら「Qoo」を手掛けたアニメーターの小原秀一さんまで来て壮絶な盛り上がりをみせていたのであります。

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高田馬場にオープンしたばかりの奈良の天理ラーメンを食べに行こうとしたのですが途中の『道玄』が気になりすぎてこっちにしてしまいました。牛のローストビーフが贅沢なチャーギュウ麺です。

5日連続の『ささの葉』で刺し盛り。やはりどうあがいても絶句級に旨いです。
キンキの煮付けです。ブラボーすぎます。

これはたぶん『富士そば』のラーメンなのですが食べた記憶は一切ないです。写真を撮った記憶も一切ないです。
 5月5日(月) 味噌屋八郎商店@新宿 ささの葉@吉祥寺
ガリガリ君のパイン味が当たったことによって当たり棒が累計7本になりました。
当たり棒は随分前から集めてますね。平安時代くらいから集めてます。
ガリガリ君の当たり棒はガリガリ君よりも価値が高いです。ガリガリ君は60円ですがガリガリ君の当たり棒は僕基準で61円の価値があるため当たり棒とガリガリ君を交換するということは考えられません。ですから僕は赤城乳業の工場見学に行きたいということはなくガリガリ君の当たり棒製造工場に行きたいですね。

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新宿のラーメン激戦区小滝橋通りの『味噌屋八郎商店』です。『なんつッ亭』の味噌ラーメン専門ブランド。濃いウマですね。

ノザリソから「ささのはなう」メールをもらったのでノリノリで『ささの葉』です。
手前はまゆゆ似のエカリソちゃん。奥にヒョッコリ君。

こっちからだと、手前からエカリソ(社会人2年目)、ナキョ(社会人2年目)、ノザリソ(4月から社会人なりたて)の早稲田大学卒業したて3人組、そして奥の男性がアートさんです。
アートさんはものすごく画家のことに詳しい。いや多分色んなことに詳しいんだけど画家のことも詳しいのです。だから僕がアートさんと『ささの葉』で会うといつも画家の話ばかりします。きっかけは僕がモンドリアンのTシャツを着てたからですが、クリムトがどうだとかマティスがどうだとかカンディンスキーがどうだとかそういう話をいっぱいするのです。アートさんは優しくて話がおもしろいのでこんな若い女の子でもトークで持っていきますよ。

やっぱり神がかっている『ささの葉』の刺し盛り。
ノザリソたちが食べていたキンキの煮付け。
『ささの葉』にキンキがあるのはものすごく久しぶりだし、僕は魚の中で一番旨いと思うのがノドグロと並んでキンキなのでこれはすごく良い。すごく良いですよ。これはとてもすごく良いです。
 5月4日(日) めっちゃタンメン@目黒 珍来亭@吉祥寺 ささの葉@吉祥寺
「女性ひとりでも入れる」という枕詞の真意を整理したいんすよ。

帰納法で考えると答えが明解になるのでいくつかこの言葉が頻繁に使われる例を挙げます。一般的に店側は「女性ひとりでも入れるラーメン屋」「女性ひとりでも入れる焼肉屋」「女性ひとりでも入れる牛丼屋」というのをよくうたいます。

ここで抽出されるキーワードは「ラーメン屋」「焼肉屋」「牛丼屋」です。つまり「女性ひとりでも入れる」という言葉は「圧倒的に男性客が多い店」に帰納していますよね。反対に「圧倒的に男性客が多い店はどこか?」と考えると、やはり「ラーメン屋」「焼肉屋」「牛丼屋」などが挙がるので逆に演繹的な実証が得られます。

しかし、現実的に女性の入店を禁じている「ラーメン屋」「焼肉屋」「牛丼屋」はありません。むしろめちゃくちゃ来させようとしているからこそ店側は「女性ひとりでも入れる」という誘い文句で猛攻をかけています。なぜ、女性がひとりでこれらの飲食店に入りにくいかというとおそらくは「引け目」です。「男性客しかいないから入りにくい」「『お一人様ですか?』と確認されるのが刺さる」というような引け目です。

これは僕にとってのカフェやイタリアンやフレンチと同じです。カフェやイタリアンやフレンチにランチで行くと男性客は僕だけで店内はたいていマダムまみれになっているのが通常です。ただ、僕は「吉祥寺で行ってない飲食店をゼロにする」という建前的な目的があるのでガンガンひとりで入ります。

さて、むしろここからが本題ですが、僕は「女性ひとりでも入れる飲食店」や「男性ひとりでも入れる飲食店」に根本的な「すごさ」をいっさい感じません。僕がすごいと思うのは「女性8兆人でも入れる犬小屋」とか「男性10兆人でも入れるペットボトル」だからです。さらにいえば「男女問わず何人たりとも入れない牛丼屋」とか「人間はおろか神すら入れない牛丼屋」くらいであれば本当にすごいと思います。

要するに、僕は「すごい」という価値が好きなのです。

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目黒の『めっちゃタンメン』で念願の納豆ミソタンメンを食べました。納豆の量も充分で素晴らしいです。

『ささの葉』満席なので『珍来亭』というパターンはよくあります。夜特製の油ラーメンの秀逸さがヤバいのです。生玉子が旨さをあおることこの上ありません。

『ささの葉』で桜えびのかきあげ。旨みのつまり方が異常です。
カブです。カブ単体でも旨いのにかつお節がその旨みを押し上げてくる。
もはや狂気の沙汰としか思えないマグロ脳天の炙り。今日もウマ死にました。
 5月3日(土) 味功@国領 とんくる@笹塚 ささの葉@吉祥寺
吉祥寺を中心に年間延べ951軒の飲食店を食べ歩いた結果、やっぱり「ささの葉」が吉祥寺でぶっちぎりで一番うまい居酒屋であることを語る音声レビューです。

クリックするとレビューが載ってるページに飛びます

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この機会にあわせて僕の盟友である四万十川篤彦の「web冷え汁」における「ささの葉」の記事も紹介します。自分で料理をするのが趣味でもある四万十川氏の鋭利な視点が効いた手がつけられないほど秀逸な記事です。

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名古屋の台湾ラーメンといえば『味仙』ですが、その暖簾分けの店が国領の『味功』です。東京で台湾ラーメンを食べられるのは貴重すぎました。

笹塚の『とんくる』。まろやかでクリーミー。完成度が高いです。

『ささの葉』でとり貝です。もう時期が終わりらしいです。
そして、まさかの『小ざさ』の羊羹がサービスで出てきました。
朝8時半に配られる整理券をゲットするために早朝の4時とかから並ばないと買えない羊羹で吉祥寺では最も激レアなスイーツです。羊羹が苦手な僕でもこれは美味しかったです。
 5月2日(金) いしはら食堂@三鷹 名前を言ってはいけないあの店@三鷹 ささの葉@吉祥寺
 一風堂@吉祥寺
環境省が例年より1か月前倒しして5月1日からクールビズをスタートさせましたね。

ふだん僕はフォーマルさを強制される場所じゃなければクールビズであろうとなかろうと一年中ネクタイをしません。むかしはネクタイをしていましたけど、数年前に酒に酔って自転車で転んだ時に鎖骨にヒビが入り一時期は痛くてネクタイを結ぶことができなかったのです。ヒビが治ってもそのままネクタイをする習慣は復活しないままいまにいたります。

ただ、5月1日からクールビズになったというニュースが流れたものだから買い物をした際にお店のおばちゃんがネクタイをしていない僕を見て「クールビズですね?」と言ってきたんです。「いや、もともとネクタイはしてません」と答えるのはちょっと野暮な気がして、とっさに「そうなんですよ。やっぱネクタイがないと楽ですね」とか適当なことを答えたわけです。

こういうのってあると思うんですよ。嘘も方便とまでは言いませんが、遮るまでもなく流れるべき会話の方向というのがあるじゃないですか。真偽よりも会話の流れの方を大切にすべきシーンっていうのがある。

まあそうはいっても僕が酔っぱらうと真偽も会話も流れも全部ぶった切りますけどね。本音の部分では真偽であろうと会話の流れであろうとどうだっていいと思っているからです。ですから「1+1は何?」と聞かれて脈絡もなく「モルワイデ図法万歳!」と答えることすらなんら差支えないと思っています。というより社会を脈絡という呪縛から解放するためにはその方が正しいです。

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今日の『ささの葉』の写真です。インスタのフォロワーさんのを借りました。
もうね、どんだけ楽しいんだよ、っていう顔してますよね。ゲル博士が撮ったらしいんだけど僕はこの写真撮った記憶は皆無です。何なの、このいつ死んでもおかしくないレベルの楽しそうさは。こんなに楽しかったらそりゃ『ささの葉』に行くわけですよ。

朝一で『いしはら食堂』スタートです。
普通すぎて旨すぎています。永遠にこの日本に存在してほしい理想の定食屋です。

武蔵関の地元民に愛されまくっている街の中華屋『金華』で醤油ラーメン。
塩分が強い僕好みのラーメンでした。ここは本当に美味しいです。また来るでしょう。

復活した『名前を言ってはいけないあの店』の刺し盛り。
ここより旨い初ガツオは知らないのです。次元が違いますよ。カツオだけじゃなくて全てが凶暴な旨さです。

コハダと〆サバです。光物の競演ですね。激ウマです。

『名前を言ってはいけないあの店』はもととんかつ屋なのでとんかつがめちゃくちゃ旨い。

そして『ささの葉』です。スルメイカの煮付け。ヤバいです。

『一風堂』で〆たのは夜中の2時なのですがいっさい記憶がないです。
 5月1日(木) 阿左美冷蔵@上長瀞 慈げん@上熊谷 きくちひろき@熊谷 屯縁房@武蔵関
的を得た自己分析ができないのですが最近の僕は花を追いすぎです。

桜に関しても都内の名所を何箇所も巡ったし、つつじを見に根津神社に行ったし、藤を見に亀戸天神にも行ってしまった。基本的な要素として日々旨いものを食べに都内のあちこちに出向くのが苦痛じゃなくなって出不精的な性格が克服されたことも影響しているとは思います。

しかし、基本的にこんなことは考えられなかったのです。むしろ僕は草木に興味がある人のことをよほどヒマな趣味のない人としか思ってなかったはずなんです。たとえば、僕の父は若い頃から草木に興味をもって庭の手入れとかも自分でしてたけどファミコンや漫画やテレビに興味がいっていた僕にはまったく意味が分からなかった。

それがこの有り様で秩父の羊山公園の芝桜を見に行くレベルになってしまいました。そして実際に見に行って「うわあキレイだなあ!来てよかったなあ!」と身を持って痛感するハメになってしまっています。
富良野のラベンダー畑とかもけっこうな頻度で行ってますけど特になんとも思ったことはないんですが、今後はそうじゃなくなるのかもしれません。本当に自分でもよく分からない。
でもいいっすわ、これは。

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せっかく秩父まで来たならかき氷もセットですね。
天然水の蔵元が本気で製氷する『阿左美冷蔵』は休日だと大行列ができる超絶有名店ですが今日はなんとノー行列でした。連休の狭間とはいえ平日パワー恐るべし。
一番人気の乙女の苺ミルクです。
イチゴシロップと練乳をかけながら食べるのですがさすがにフワフワです。無重力かよ、という。確かにこんなに美味しいかき氷は食べたことがない。

そうはいってもそこから秩父鉄道に乗って上熊谷まで行けば今日時点で食べログに登録のある埼玉県内の飲食店30600軒中1位の『慈げん』というかき氷屋があるのです。点数は4.29点という神がかった数値になっています。抹茶あずきをオーダーしましたがこれもヤバいです。
なんかもう泣きそうになるくらいシャワシャワサクサクしてて手の施しようがないです。世の中にはこういう恐ろしい食べ物がまだまだ存在しているのですね。

熊谷の『きくちひろき』は『一条流がんこラーメン』のDNAを継ぐ塩分がバシッと効いた醤油ラーメンを出しています。
むかしから僕はこの塩分バシッラーメンに弱いのです。旨すぎます。

武蔵関の『屯縁房』で豚レバ刺しです。ごま油アレンジが吉祥寺の『カッパ』とは違うのですがこれは本気で絶品です。このボリュームで280円はありえない。
ここで飲んでるのでリアルタイムでインスタにアップしたらそれを見た近所に住んでるフォロワーが店に来たのですが僕が帰るタイミングでした。その男の子はやはり『ささの葉』に行きたいと言っていたのでありました。行くべきでしょう。

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