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 7月15日(水) 大勝軒@三鷹
「伝言ゲーム」というのがありますね。

これは伝え聞く間に情報がどんどんねじ曲がっていくことの証左を楽しむものです。
裏を返せば、僕たちは「伝言ゲーム」の理念さえ知っていれば耳に入った情報をそのまま鵜呑みにはしないはずなんです。しかし人間はソースが確認されない情報を信じて情動的に勢いでデマを拡散します。だからツイッターのリツイート機能やフェイスブックのシェア機能のことを僕はリアルに「最恐の兵器」だと思っています。

西村博之の「嘘を嘘だと見抜けないと掲示板を使うのは難しい」とはよくいったものです。
現実的に、他人の情報をすぐ信じる人はめちゃくちゃ面倒くさい。というのは最新の情報こそがその人にとって最新の真実になってしまっているからです。分かりやすく、あえて極論でいうと、すでに「米は穀物である」と伝えてある人が後で別の人から「米は魚類である」と伝え聞くとそれがその人にとって最新の真実になっちゃう。ようするに真実の側はひとつしかないのに、解釈する方が真実を捕まえられずにコロコロと迷走する。自分でソースを探して真実を確定せずに人の言うことをそのまま信じる人ってすごく多くて愕然とします。まあ、だいたい「スピリチュアル」とか言ってる人はそっちです。そしてそういう人ほど「自分で生きずに他人で生きる」ため、主体性を持たずに何でもかんでも相談するから周囲の人が振り回される。いくら精一杯にらみをきかせて「自分しか信じるな」ってアドバイスしてもそもそもの自律機能がないので暖簾に腕押しですね。

「伝言ゲーム」の最たるもののひとつがマルコ・ポーロの「東方見聞録」による黄金の国ジパング伝説でしょう。

マルコ・ポーロは日本に来て自国に帰り「黄金の国ジパング」として紹介しました。

という普通っぽく見える文章すら信じてはいけない。
なぜならマルコ・ポーロは日本に来てないからです。ガリヴァーは日本に来ていますけどね。マルコ・ポーロは中国で手に入れたジパングの情報を持ち帰って「東方見聞録」に収録しただけです。ただ、前提として「マルコ・ポーロが日本に来たかどうかなんていまさら確認できない」もっといえば「マルコ・ポーロが実在したかどうかなんていまさら確認できない」というところまで踏み込んでないとならないわけです。でも疑うとキリがないからどこかで妥協するんです。その妥協点が合わない人とはいわゆる「バカの壁」が生じます。

「東方見聞録」には「ジパングの民は偶像崇拝をして礼儀正しいが人肉を最高の美味とする」という趣旨のことが書かれています。この時点でかなり「伝言ゲーム」っぽいですね。「人肉を食べる」という行為の本質的記号は「野蛮」ですが、だからこそジパングの民を野蛮だと思わせたい中国側によって意図的にねじ曲げられているのかもしれない。

本題として、黄金の国ジパングとは何だったのか?というところに切り込みます。
まず、黄金の国ジパングは日本のことなのか?これは正解であると同時に不正解でもあります。
結論からいえば、黄金の国ジパングとは「ホテル三日月」のことです。
「ホテル三日月」はこの世の楽園です。ほら見てください。こんなにも楽園っぽいじゃないですか。

超楽園っぽいホテル三日月
そして「ホテル三日月」には黄金の風呂があります。

ホテル三日月の黄金の風呂
だからこそ「ホテル三日月」は黄金郷として西方に伝えられたのです。
つまり、黄金の国ジパングのことを日本のことだとしている時点で歴史そのものが「伝言ゲーム」に失敗しているのです。

*****

三鷹の『大勝軒』で絶品すぎる油そば。クラシカルスタイルです。
 7月14日(火) 支那そばあおば@武蔵境 まるけん食堂@吉祥寺
一周しておもしろすぎるものがありますよね。

1979年に世に出た西ドイツのミュージシャンによる楽曲「ジンギスカン」の動画はまさにそれでした。30年前にはかっこよかったはずのものが時代の変遷によって爆笑動画でしかなくなっている。見ている間中、呼吸困難になるくらい笑ったのでキャプションを貼っておきます。
ちなみにこの曲は↑モンゴル帝国の太祖チンギス・カンのことを歌ったものです。思いっきり東洋人です。

導入部です。モンゴル帝国の要素ねえよ。

完全にチンギス・カンをバカにしてるだろ。



ヘイ、騎兵たちよ、ホー、騎兵たちよ、
ヘイ、騎兵たちよ、どんどん進め
命令の仕方が雑だしテンションに頼りすぎだろ。そんな指揮官いねえよ。



俺たちはモンゴル人だからな、hahahaha-
どっからどう見てもモンゴル人じゃねえよ。そしてなんで飛んでるんだよ。



一晩で7人の子供を仕込み
仕込めねえよ。

精神崩壊を免れないレベルで時代考証皆無ですね。素晴らしいです。

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『支那そばあおば』で無敵の塩ラーメン。染みすぎる。一年中染みすぎる。

吉祥寺の最後の定食屋聖地『まるけん食堂』で焼肉定食。事実上の生姜焼きです。ヘビー級に旨い。
 7月13日(月) 鏡花@立川 陳建一麻婆豆腐店@立川
その場所には僕を入れて20人の人間がいたんです。

僕は僕以外の19人のうち誰一人として名前を知りませんでした。それどころか、20人が20人ともお互いに名前を知らなかったのです。

というのは誰もが自分の名前を喪失していたんですね。名無しゴリラの作用によって20人は永遠に名前を剥奪されたんです。もう二度といかなる名前も名乗ることは許されません。こうした状況下にもかかわらず僕たちは20人の名簿を作りました。

これがその名簿です。
未完成の名簿に見えるかもしれませんがこれはまぎれもなく完成した名簿です。紛れもなく名前を失った僕たちの名簿です。
NO 名前
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
ちなみに僕は13番です。

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10年以上ぶりくらいに立川の『鏡花』です。

「麻」の響き方が正統派すぎる『陳建一麻婆豆腐店』です。
 7月12日(日) 丸幸@武蔵境 いしはら食堂@三鷹
デビル飯を食べたことがありますか?

まあこの質問は破綻していますね。なぜならデビル飯を食べた人間は絶対に死ぬからです。デビル飯は文字通り「死ぬほど」おいしいんです。あまりにもおいしいのでそのショックで死ぬのがデビル飯です。食べログの点数は5点が上限ですがあの基準でいうとデビル飯のおいしさはだいたい962億点くらいです。

「おいしさ」ってのは厳密にいうと舌で感じるものだけじゃないですよね。
食材の色やテクスチャーなどの視覚的部分。おふくろの味的に小さいころから慣れ親しんだノスタルジーだとか、食材が獲れた季節はいつか産地はどことか、店やシェフの有名度だとか値段の高低だとかの情報的部分。食べるときの自分の体調や気分などの精神的部分。色んなことが複雑に組み合わさって「おいしさ」が生まれる。

ただ、デビル飯に関しては舌で感じる部分のみのおいしさが常軌を逸しています。
ようするに「簡単に宇宙を凌駕するレベルでおいしい」ということになります。宇宙を凌駕するレベルでおいしいものを人間が食べたら即死するのは当然でしょう。ただデビル飯って見た目はそんなにおいしそうじゃないんです。

これがデビル飯です。
実は僕も一度だけデビル飯を食べたことがあるのですが腐ったコーラのような味がしてかなり不味かったです。

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二日酔いに染みすぎる八王子ラーメンを出す武蔵境の『丸幸』。これで470円は狂気の沙汰。

『いしはら食堂』でウインナーエッグをアレンジ。
 7月11日(土) 珍々亭@武蔵境 きらくなお店@三鷹 玄関食堂@三鷹
斬新な感じでフィギュアを飾るとしたらどうすればいいのかということを考えていました。

ルールとしては「いままで絶対に誰もやってないフィギュアの展示方法」という縛りをかける。そういう方法を考えることによって僕のアイデンティティを強化する。その結果、こういう形の展示方法を考えました。

大根を斜めにして人の頭で支える。そして大根に厚紙を差し込みそこにフィギュアを載せるんです。
これはおそらくいままでに誰もやってないと思うんですね。すでに誰かがやっていたとしたら例によって僕の完敗です。ただこうなるともはやフィギュアには目がいかないですね。

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『珍々亭』で並ネギ卵黄ダブル。
旨すぎる。もはや僕は『珍々亭』の油そばを食べるときは胡椒もラー油も酢も入れないで食べるのがベストになっています。

ジブリ美術館南方の『きらくなお店』。地元民しか行けない立地の大名店。馬刺し新鮮すぎ。
牛ステーキ。ありえないボリュームと旨さで980円。狂っています。
 7月10日(金) 蒙古タンメン中本@吉祥寺 ささの葉@吉祥寺 玄関食堂@三鷹 おやじ@三鷹
iPhoneのsiriとしゃべったけどけっこうおもしろかったです。





















































こいつ頭いいな。
「気の利いた冗談を知らない」というのが反射的なメタボケになっているように、言ってることのだいたいが気の利いた冗談ですね。

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『中本』で今季初の「北極の夏」です。気合の入った辛さで今日も旨い。

『らーめんぺぺ』が23時過ぎにはもう満席閉店していたため気になっていた『おやじ』の冷やしラーメン。
 7月9日(木) 蔦の葉@巣鴨 六感堂@池袋 玄関食堂@三鷹
僕自身は休みの日に一歩も外に出ないってことはまずないんですが、休日の終わりに「今日は一歩も外に出なかった」って後ろめたく言う態度ってあるじゃないですか。

これって実は現代社会を読み解くカギにもなる気がするんですが、どえらい異常なことです。

というか、「何もしない」というのは人間の幸福の一形態です。
なぜなら義務や労働から解き放たれている状態じゃないと「何もしない」は実現されないからです。「どこにも出歩かず家にいる」というのは幸福のエンテレケイアとして成就している。

異常なのは毎日毎日身動き一つとれない朝の通勤電車に乗って会社に行って仕事をしてまた電車で同じ道を帰ってくる方です。好きでやっているならいいんだけど嫌々ガマンしてこれを毎日毎日毎年毎年繰り返す。狂気の沙汰です。こっちの方がはるかに異常です。鼻高々に「私は満員電車に耐え抜いてこの会社で30年も勤め上げた」という発想があるとして、それは裏を返せば30年も狂人として生きてきたことを自慢しているという見方もあるということです。地獄のミサワが見抜くように我慢を自慢したがる日本人はこの傾向がやたらに強い。

異常なんだけどそうしないとお金が稼げないから仕組み的に生きていけない。だから社会の総意として「これは異常ではないんだ」という自己欺瞞を共犯的に形成せざるをえない。それが政治家の仕事でもあるわけです。

ようするに「今日は一歩も外に出なかった」という正常すぎる状態に対して一歩も外に出なかったことがさも異常であるかのような後ろめたさを感じさせる社会の狂気ってすげえな、みたいなことは思いますね。正常と異常が逆転してるんだから。

秩序と狂気は紙一重、っていうか、もう同義なのかもしれない。

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巣鴨の『蔦の葉』です。この時代に生まれてよかったとしかいいようがない完成体です。

豊島区連食2軒目は池袋『六感堂』。ミドリムシが練りこまれた麺を用いた塩グリーンラーメン。
ミドリムシって言ったってムシじゃないですからね。藻です。しかも無味。実質的に大事な要素は栄養素が豊富という1点でしょう。

『玄関食堂』でおばぁ麺カレー炒めパクチー載せ。
 7月8日(水) くら寿司@三鷹 ささの葉@吉祥寺
目の前のミートソースのパスタがうねりだしたんです。

一本一本が蛇のようにうねりだしたんです。
次第にうねりは高速になり一本一本がまとまって球状化しました。ちょうどこう、空洞のある毛糸のような物体になったんです。そしてパスタ球はゆっくりとゆっくりと空中に浮遊しはじめた。5分くらいかけて光を放つ天井の照明の真下まで上ったパスタ球はフォンフォンと回転しはじめました。

次の瞬間、照明がパリンと割れると同時に光が照明からパスタ球に移る。
パスタ球は光を獲得すると回転を強化し、とつぜん天井を破って星空に向かってギュイーンと上昇しました。

パスタ球はどんどん光を強めて巨大化し高度を上げていきます。
地球から38万キロメートルほど離れたところまで昇るとパスタ球はピタリと静止しました。

そしてついにパスタ球は月となったのです。

夜空を見上げてみてください。
そこにある月はかつてパスタだったのです。正確にいうと「そこにある月はかつてパスタだった」と想像することで人生がちょっとだけ楽しくなると思うんです。

想像は「誰もができる無料のエンターテインメント」ですよね。

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『くら寿司』のうな丼です。あたり前に旨い。
 7月7日(火) そば処 新海@三鷹 おおむら@吉祥寺 玄関食堂@三鷹
たまに書く本気の日記ですが7月7日という日を徹底解析します。

「和食検定」「江戸文化歴史検定」「神社検定」などを通して日本の根本の意味を知らないと色んな現象が明確化しないということが痛感されました。

まず、七夕である7月7日は「五節句」のうちのひとつです。
基本的に「五節句」は「1、3、5、7、9」という一桁の奇数月のゾロ目です。なぜ奇数だけなのかというと、節句のもとになる陰陽五行説では奇数を「陽」として偶数を「陰」としたため、「陽」=「縁起がいい」的なノリが台頭したからです。この「奇数=陽=縁起がいい」というのは日本の慣習を語る上で極めて根源的に重要で、たとえば、七五三は奇数だし、結婚式の祝儀も奇数だし、和食の御膳も奇数です。

1月1日は節目として格が違いすぎるので「五節句」には含めません。
元日が神だとしたら「五節句」はその手下の天使のようなイメージでしょうか。

もろに「和食」の源泉でもありますがそれぞれの節句には「節句食」が絡まっているのもおもしろいんですね。1月7日が七草粥を食べる人日の節句。3月3日が菱餅を食べる桃の節句。5月5日が柏餅を食べる端午の節句。7月7月は七夕の節句ですがマイナーながら節句食はそうめんです。9月9日は節句そのものがマイナーですが菊酒を飲む重陽の節句です。「重陽」という言葉そのものに9という数字に対する陰陽五行説の考え方が反映されています。つまり、一桁の奇数「1、3、5、7、9」の中で最も「重」い「陽(奇数)」という意味です。

正月のおせち料理がその最たるものですが「食文化は時節に依存する」という側面が見られるんです。だから「グルメ」というのは食材だけじゃなく情報や歴史も味わうべき事象なんです。ここまで書いてやっと7月7日の巨視的な位置づけの説明が終わるというボリュームが曲者ですね。

七夕の象徴は「ささの葉」です。
このサイトを見てくれている人は、僕を介して吉祥寺の象徴が「ささの葉」に見えるかもしれません。その意味で「ささの葉」というキーワードは吉祥寺とリンクしている。しかし「ささの葉」はさらに童謡の「たなばたさま」を依代にして吉祥寺に迫ってきます。というのは、童謡の「たなばたさま」は現存する吉祥寺本町の第一小学校の音楽教師だった権藤花代が作詞しているからです。日本人なら誰でも知っている「たなばたさま」は吉祥寺で生まれている。

つまり

ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら 金銀砂子
わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる


という歌詞の世界観が、まだ田舎だった吉祥寺の風景を切り取ったものである可能性があるということです。歌詞の中にある「金銀砂子」があいまいになっていてはいけないので砂子の画像を載せておきます。

砂子筒
この金箔が砂子です。通常は日本画に用いられる画材ですが、「砂子」というだけで「金や銀の箔を細かい粉にしたもの」という意味を持つので「金銀砂子」と丁寧に言わなくても大丈夫です。

歌詞の「五色の短冊」ですが、ここで最初の話に戻ります。
五行説は「万象は5種類の要素から成り立つという思想」です。つまり「木、火、土、金、水」が万象に対応している。味でいえば「木(酸)、火(苦)、土(甘)、金(辛)、水(塩辛さ)」、臓器でいえば「木(肝)、火(心)、土(脾)、金(肺)、水(腎)」、季節でいえば「木(春)、火(夏)、土(土用)、金(秋)、水(冬)」となる。ていうか無理やり5種類にするために四季に「土用」という概念を後付けしているという点で五行説は猛烈に強引なのです。

そして、「五色の短冊」の「五色」が「木(青)、火(赤)、土(黄)、金(白)、水(黒)」です。
これも和食の食器の色や食材などの配列で意識される概念です。繰り返しますが和食は陰陽五行説を踏まえないとその根源に触れられません。「五色の短冊」で画像検索するとちゃんとこの色の配列での短冊が出てきます。

正しい「五色の短冊」
ただ、黒は、全ての色の王様で日本では最も高貴とされた紫に差し変わっていたりもしますね。

7月7日の公式な節句食はそうめんなのですが、一応、民間の記念日会社に冷やし中華の日として登録されていた経緯もあります。だけど、いま登録を調べると出てこないですね。抹消されている気配がプンプン漂います。

そのようなことで、今日食べるべきものはそうめんと冷やし中華なのでありました。

『そば処 新海』のそうめん。色彩の踊り方がいい感じです。

吉祥寺の『おおむら』の冷やし中華はすさまじく平均値な冷やし中華です。

これ以上なく正直な空間こと『玄関食堂』です。
左から、僕、東京大学卒業生げんちゃん、最近モテまくってるエリート社会人まっちゃん、スタジオジブリ深谷さんです。

フワフワなオムレツにネバネバな納豆がマッチしすぎる納豆オムレツパクチーのせ。
 7月6日(月) 蒙古タンメン中本@吉祥寺 玄関食堂@三鷹
「プリン直結病」という奇病があります。

人生がプリンに直結して終わる奇病です。
具体例としては、一生懸命働いて定年を迎え趣味をたしなみながら少しゆっくりしようかなと思った矢先に急に身体がプリンに変化して人生が終了するというような病です。

これは原因不明の難病です。いつ何時、この奇病が襲ってくるか分からない。

いままでに、発表会でピアノを弾いている途中で身体がプリンになって人生が終了したり、地震で倒壊した家屋に取り残された人を必死に救出している最中に身体がプリンになって人生が終了したり、高層ビルから投身自殺をはかり落下している最中に身体がプリンになって人生が終了したりした事例が報告されています。

身体が突然プリンに変化して人生が終了するというのは素晴らしいですね。僕の率直な感想をいえば「理想的な死」だと思います。

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『中本』の7月限定は超絶小刻みです。
冷やし担々麺、完全に僕の好みです。

そして、『玄関食堂』のおばぁ麺も今日は奇しくも冷やし担々麺でした。間違いないやつです。
 7月5日(日) 蒼龍唐玉堂@吉祥寺
イナバ物置の「100人乗っても大丈夫」はフレーズそのもののインパクトもさることながら実際に物置の上に100人が乗っている見た目の印象も絶大です。
ただ、ひとつの可能性として「100人乗ったら大噴火」というのもありだと思うんです。
物置の上に100人目の人が乗った瞬間、あたかも大規模な黒ひげ危機一髪みたいな感じで物置が爆発して100人が天空に吹っ飛ぶんです。

そこで全員地面に落ちて死ぬというのも普通なのでもうちょっと新展開を考えましょうか。

物置の噴火によって方々に吹っ飛んだ100人は物置のはるか上空の一点に再集合する。
そしてひとつの塊と化した100人は翼の生えた巨大な象に変化する。象は翼を悠々と羽ばたかせて天空を駆け上るんです。そして旅客機と衝突する。爆発した旅客機から乗客500人が方々へ空へ投げ出される。

しかし、旅客機のあった点からはるか上空に駆け上がった翼の生えた象に向かって500人が再集合します。再びひとつのかたまりと化した象と500人は渾然一体としながら神々しい毘盧遮那仏に姿を変えます。毘盧遮那仏は法を説き全人類を救済するために地上へと降ります。

この毘盧遮那仏こそがエル・カンターレ、つまり僕たちの希望である降霊芸人こと大川隆法大先生なんです。

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『蒼龍唐玉堂』の鶏パクチー麺です。あっさりながらも凛々しい味がしました。
 7月4日(土) ろく月@浅草橋 ささの葉@吉祥寺 玄関食堂@三鷹
「キミ色に染まって…」の15秒動画をアップしました。たかまゆ出演です。

キミ色に染まって…

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浅草橋の『ろく月』です。とんこつをひたすら洗練させた絶品スープ。

最近の『ささの葉』はひたすらに鮎推しです。
旨み凝縮の刺し盛り。

『玄関食堂』です。今年はこのメンバーで神輿を担ぎます。担ぐわけがない。
おばぁ麺の冷やしバージョン。麺の躍動感がすごい。
 7月3日(金) ささの葉@吉祥寺 玄関食堂@三鷹
言語センスは得点制の弓道に通じるなと思います。

起こっている事象に対してより的確な文章を充てることは、的に対してより中心の図星に矢を当てることに通じている。

例えは何でもいいんだけど、ある人は「ラーメンはとんこつが好きだ」という。ある人は「醤油ラーメンしか認めない」という。さらにある人は「ラーメンにはミミズを入れた方が旨い」という。この状況に対して「好みは人それぞれだよ」という文章を充てることですね。

選択可能な表現はバラエティに富んでいる。
文字通りに「好みは三者三様だよ」と表現するか、一般論に還元して「好みは十人十色だよ」と表現するか、さらに極端にして「好みは千差万別だよ」と表現するか。この言語的引き出しをガンガンに強化することで日本語のおもしろさが加速するんだと思います。「蓼食う虫も好き好き」とか出てきてもいい。

起こっている事象は常に流動的に変化しています。
その変化を他者に伝達可能な形で言葉として切り取るためには、激しい戦場で敵兵の動きを予測しながら的確に矢を命中させる黄忠のごとき冷酷無比なエラーのなさが求められると思います。

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『ささの葉』です。鮎が食べられてラッキー。

『玄関食堂』でおばぁ麺カレーバージョン。ワシワシ食べます。
 7月2日(木) 支那そばあおば@武蔵境 蒼龍唐玉堂@吉祥寺 玄関食堂@三鷹 珍来亭@吉祥寺
「吉祥寺のカワイサ番長」ことたかまゆと『珍来亭』です。
たかまゆは「吉祥寺のしょこたん」とも呼べる気がしますがカワイサが異常です。
僕は精神が鍛えられているから大丈夫なのですが、たかまゆとふたりでハモニカ横丁を歩いていると彼女を見た男たちはあまりのカワイサに心臓発作を起こしてバタバタ死にます。だから、たかまゆが歩いた道は死体だらけ。

ただ、たかまゆに殺意はないので殺人罪にはなりません。でもテロには該当するのかな。カワイサテロ。

たかまゆは尋常じゃないほどのGLAYファンで何度もコンサートにも行っているのですが僕は僕でGLAYが死ぬほど好きなのでずっとGLAYの話ばかりしていました。

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『支那そばあおば』の塩ラーメン。隙がなさすぎる。

『蒼龍唐玉堂』で冷やし青山椒担々麺。パクチーが良すぎています。
 7月1日(水) たいよう@武蔵小山 吉野家@吉祥寺
水槽を見ていたらものすごい柄の魚がいたんですよ。
こんな感じで水槽に口で吸い付いて貼りつくんだけど、この柄を見てたら思いっきり精神が引きずり込まれますね。なんなんだこの不思議すぎる模様は。ずっと凝視しているうちに使徒にしか見えなくなりました。
なので、いっそのこと明確に使徒っぽくしちゃいました。

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武蔵小山の『たいよう』でもち豚ロースカツ定食。旨すぎる。

『吉野家』で納豆牛丼。病みつきです。

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