久しぶりに『虎洞』に行きました。初めて塩ラーメンを食べる。
すぐ飽きるかも知れませんが、自分の中で、無理矢理、塩ラーメンブームを引き起こそうと企んでいます。それはもう、函館に行きたい。
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これ、キーを一致させたら、気持ちよくハモると思う!
角には、「角神(カドガミ)」が宿っている。
例えば、四角形には、それぞれの角に4つの「角神」が宿っているのです。三角形には3人の「角神」が宿っていますし、六角形には6人の「角神」が宿っている。しかし、円には角がないので「角神」が棲めません。
実に、「角神」は人々に災いをもたらします。
そもそも、角ばったモノに頭をぶつけて死ぬ確率の方が、丸いモノに頭をぶつけて死ぬ確率より高いでしょう。角は常に攻撃的です。根本的に、角は良くない。人体、というか自然界に鋭角がないのはそのためです。
かつては、ロボットだってもっと四角かった。しかし、現在はASIMOのように曲線的で、より人間に近いのが普通です。車にしてもそうでしょう。丸い車体がどんどん増えている。これは、「角神」を排除しようとする、人々の潜在的な防衛機制が働いているからです。
「角神」を極力避けるためには、角を作らないよう、曲線を多用して部屋を設計することを推奨します。それが難しければ、魔除けとして、円が描かれた絵などを部屋に飾るのもひとつの手です。
東急の福岡物産展に来ていた『一味ラーメン』でネギラーメンを食べました。
鬼の子どもたちは「人間ごっご」という遊びをします。
まず、じゃんけんで負けた鬼が人間になって、他の鬼を追いかけて捕まえるのです。そして、今度は捕まえられた鬼が人間になり、他の鬼を追います。
6人くらいで『とき』で焼肉を食べました。
ひとりで屋台で〆ました。屋台、良い。
先日、人食いライオンのテレビを見ましたが、ふと、何だか、「人食いライオン」という呼び方に妙に笑ってしまいました。
人を食ったライオンが、いわゆるライオンとは別のカテゴリーになってる感じが一方的でおもしろい。シマウマを食っても、「シマウマ食いライオン」とは言われないし、キリンを食っても、「キリン食いライオン」って言われないですからね。いやいや、ライオンにとっちゃ、人間もシマウマもキリンもみんな肉だから、という前提が留守になる。それを分かってるから「肉食獣」って定義したんじゃないのかよ、みたいな。「おじいちゃん、何言ってるの?ご飯はいま食べたばかりでしょう?」みたいな。こういう時って、言葉がお手盛りになってしまって、見事に人の恣意性が浮き彫りになります。
こうなってくると、僕も「米食い人間」とか呼ばれてみたい。「で、出たー!米食い人間だー!」みたいな。
『円らく』で飲みました。牛トロ丼が旨すぎた。
10月5日(日) カフェ麦わらぼうし@三鷹 梅の花@吉祥寺 |
ちゃんとした料亭であるところの『梅の花』で飲みました。
この店には定刻になると、東儀秀樹っぽい音楽と共に動き出すカラクリ人形があります。
定刻じゃなかったのですが、人形が動くところを見たそうにしてると、店の人が気を利かせて動かしてくれました。これが大変おもしろかったです。
この、両手で棒を持って体を上下している人形が、いったい何をしたいのかが分からなくて爆笑しました。ただの運動でしょうか。
もし、ただの運動だとすると余計おもしろいです。棒は何のためだよ、という。
や、かなり美しい動きであることは間違いないんだけど、目的がサッパリ分からない。こんな人が会社とかにいたらやばい。休憩時間になると突然席を立って棒を持って上下するの。中継中の国会とかにいたらもっとやばいですね。笑い死ぬと思う。
あと、左側の人形の顔が突然変わるところでも笑いました。
拡大。
お面は感情の変化を司っているのでしょうが、この場合、こちらとしては、急に顔が変わるべきストーリーとか設定が分からないですから、ただただ、その唐突さに笑ってしまうのであります。もう、理由とかなく、急に顔が変わる、ってのが目的なんでしょうね。
「得体の知れない恐怖」ってのがあるけど、カラクリ人形って、「得体の知れない可愛さ」みたいなものを感じてしまいますね。
ああ、そう、急に変わるといえば、ヤフーのニュースの記事も急に変わる。誤字が直る。
「ひゃっほう!間違ってる!さあ、これは、間違いなく後で訂正されるぞ!」と、鬼の首を獲ったように画面にスクリーンショットをかけ、はやる気持ちで誤字訂正を待つ自分の心のさもしさに辟易する部分もありますけれどね、まあ、これも、「人のミスを粗探ししてるヒマがあったら、まず、自分の誤字を直しなさい」っていう話です。

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今日の昼間は彦根城に行ってきました。
彦根城のマスコットである「ひこにゃん」がいたので思わずシャッターを切りました。

彦根城のゆるキャラとしてお馴染み「ひこにゃん」 |
『カフェ麦わらぼうし』でクリームパスタを食べました。
三鷹の森フェスティバル(音楽祭っぽいイベント)がやってたので、それもちょっと見た。カキ氷の色が相変わらず健康的です。ブルーハワイとメロン。
このイベントで、17時から竹仲絵里が出るから、ミーハー根性でちょっと見たいなあと思ってたのですが、14時くらいのリハーサルで、竹仲絵里が「アー」とか「ウー」とか歌ってるのを聴いて満足しました。歌ってのは、「アー」とか「ウー」で充分ですね。いちいち、バカ丁寧にちゃんとした日本語で世界観とか作らなくても良いと思います。
「おみおつけ」を漢字で書くと「御御御付」って言うなら、「大奥」を平仮名で書くと「おおおく」じゃないですか。
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美しいカタツムリがいました。
と思ったけど、よく見ると、これはカタツムリじゃなくて、目玉親父なのでした。
だまし絵は、平面の中だけではなく、現実の中にも潜んでいるから油断なりません。
今日は、吉祥寺でおもちゃ市がやってました。
「彦根城」のマスコットであるひこにゃんがいたので記念撮影をしました。

写真右:ひこにゃん(彦根城のゆるキャラ)と記念撮影 |
『味のそば兵衛』でつけとろを食べました。
5歳児用の引き算ドリルに0が出てきた。
0がある数式ってのは、すごいことです。さらには、0しかない数式のやばさは尋常じゃない。
例えば、「0+0−0×0+0=0」みたいな数式って当たり前に成立しちゃうじゃないですか。これ、カオスです。というかもう、めちゃくちゃに無駄な数式だと思うんですね。だって、何も起こってないから。現実には何も起こってないのに、数式だけ成立しちゃうなんて恐ろしいったらない。
タケシ君は梨を2個持ってます。花子さんは梨を3個持ってます。合計で梨はいくつ?みたいな健全な話じゃないんです。タケシ君はグーで0人の人間を殴りました。花子さんは棍棒で0人の人間を殴りました。ボクシングの世界チャンピオンのダイスケ君にいたっては、目にも止まらぬ早業で、次々に、0人もの人間を殴りました。じゃあ、殴られた人間は全部で何人でしょう?ってことです。何も起こってないのに、さも、何かが起こってるかのように振舞う数式がやばいんですね。
0ってのは使い方を間違えると、僕らが想像もつかないような、未知のパワーを発すると思うんです。正直、僕は0が怖いんですね。0は数理に預けるべきではない。基本的に人が立ち入ってはいけない領域の概念だと思います。百歩譲って、頭がおかしい哲学者が取り扱うべき概念でしょう。
こんなやばい概念を本当に5歳児に教えて良いのでしょうか。
何かこう、5歳児に機関銃を持たせるような恐怖に似た危機感を抱いてしまう。0は二十歳を過ぎてからにした方が良くないですか。考え方によっては、お酒とかタバコよりも性質が悪い。
まあ、そうはいっても、僕は、0は本当に0なのかってことを疑ってます。0とか言ってるけど、本当は6なんじゃないの?みたいな。お前、0っていう覆面を被ってるだけで、本当は2なんだろう?みたいな。だって、本当の0が実在するなら、それは純然たる「無」でなければならない。そして、それが純然たる「無」である以上は、0という呼称さえ、かわすはずです。言い換えれば、「真の0は数理の中に存在しない」のです。
布団です。
よく見ると、シーツに落書きがある。
かお。
早速、犯人に間違いないドリーム坊や(5歳)をとっ捕まえて、「何でこんなことしたの?」と訊くと、「お布団は、どっちが上で、どっちが下か分からないから描いた」と答えた。じゃあ、良し。というか、もっとやれ。
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『寿栄広』で飲みました。
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