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 9月30日(火)
どなたかが、僕の歌を「CIRRING」というゲームのBGMとして使ってもらってるのを発見したのですが、これ、難しすぎて、やっても歌に入る前にイントロでゲームオーバーになってしまいます。

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今回のオモコロ特集は、本当に適当すぎて申し訳なかったです。

まあ、「適当で何が悪いの?」みたいなことで乗り越えようと思っていたのですが、その、「適当で何が悪いの?」っていう言い訳が、何日にもまたがって自分の脳内にリフレインするものですから、結局のところ、自分の中でまったく割り切れないくらいに、気になって仕方がないレベルで、ひどい適当さだったのだと思います。いやあ、「自分に嘘はつけない」ってのは、本当に残酷な言葉ですね。
 9月29日(月)
当たり屋から着想を得て、思いついたのが冤罪屋です。

わざと怪しまれるようなことをして逮捕され、それが冤罪であることを盾に慰謝料を取る、というように制度の裏をかくというようなテクニックを用います。話を軽くすれば、例えば、スーパーなどでモノを盗む振り(エア万引き)をして、店の外に出た際に万引きGメンに捕まります。しかし、こちらは何も盗っていません。

あらぬ疑いをかけられたことに、ここぞとばかりに、「こんな消費者をバカにしてる店はない!」「このことをあちらこちらで吹聴してやる!」などと必要以上のイチャモンをつけ、スーパーに慰謝料を請求する、というようなイメージです。これが冤罪屋です。

なんか、ものすごく最低な話をしている気がしますが、人の心に潜む闇は、この程度の話では収まりますまい。どちらにしても、現代社会は、信頼感以上に、不信感が前提にないと何にも行動できないですね。良くも悪くも。

 9月28日(日) 味のそば兵衛@三鷹 魚民@三鷹
『味のそば兵衛』でもりそばの大盛りを食べました。
ラーメンなら、9割方、100円で大盛りになるのに、そばってのは大盛りにすると200円とか300円高くなったりする。

で、ラーメンって最初から量が多いから、僕は、大盛りにすることなんて、まずないどころか、麺半分で注文することが多い。だけど、そばって、だいたい量が少ないから、たいてい大盛りにします。その辺のアレがアレですね。なんかこう、罠ですね。

夜は『魚民』で飲みました。
 9月27日(土) 純蓮@立川
急に、『すみれ』系のラーメンが食べたくなったので立川まで食べに行きました。

『純蓮』の味噌ラーメンです。
わざわざ、電車に乗って食べに来たのに3口くらいで満足してしまう。いくら好みの味だろうが、3口でギブアップです。旨けりゃいっぱい食えるというわけでもないんです。

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自分の記憶の相性とどうにも折り合いのつかないことがあって、いくら覚えようとしても覚えられないことがあります。

例えば、僕は「遂行」っていうのを、「すいこう」と読むのか「ついこう」と読むのか、とっさに判断がつかない。という生活習慣が、もう、10年以上続いております。何回も「すいこう」が正しいと確認しても、毎回、混乱する。

となると、出雲は何県なのか、というのが、何回覚えても忘れます。さっき調べたから、いまこのタイミングでは知ってますが、出雲は島根県です。ただ、もう、5回くらい忘れてるから、ここに書いたところで、また、数日後には忘れるはずです。何度確認したところで忘れるものは忘れますでしょう。

18歳くらいの時の僕は、メナム川とメコン川の配置を世界地図上で完璧に把握していました。世界史のテストとかで、よく引っ掛けで出たから、ことさらに注意して記憶していたのです。ただ、いまとなっては、もう、どっちがどっちだか分かりません。かろうじて、石狩川との区別ができるくらいです。世界史の引っ掛け問題と言えば、コシューシコとコッシュートですね。どちらも人名なんですが、やったこととか、時代とかが全然違う。だけど、名前が似てるから混乱しやすい。この2人に関しては、「混乱しやすいから引っ掛けに気をつけよう」って、必ず、世界史の参考書に書いてありました。そのことは鮮明に覚えてるんだけど、いまとなっては、どっちがどんな時代にどの国で何をした人なのか全く覚えてない。

かといって、うどんと蕎麦の違いくらいは分かってるつもりです。ただ、細やかな各論になると、やっぱ、うどんのことも蕎麦のことも全然知らないんですね。いくら見た目が蕎麦っぽくても、実は、定義上、うどんだったりすることがあり得そうじゃないですか。でも、逆に、定義に踊らされたいっていう願望は持ってます。踊ってるうちに新しい定義が生まれてくるかもしれないですから。

この流れで良いのかどうかは知りませんが、「追求」「追及」「追究」の用途の分け方って、日本語として定義が、なおざりな気がしてなりません。という文脈で言うと、「おざなり」と「なおざり」の違いなんかは、もう、カオスですね。


×追及 ○追求
 9月26日(金) もきち@三鷹
どんだけいまさらなこと言うんだよ、って話ですが、ドラマとか漫画とか小説ってのは、たいてい、作り話じゃないですか。

コントや漫才なんかも、言ってしまえば作り話です。よくよく考えたら、こんだけ作り話で溢れてる世界ってのはすごい気がしてきました。テレビやラジオをつけたら作り話が流れ、インターネットを見れば作り話が載ってるし、本屋に行ったら作り話が所狭しと並んでるわけです。

原始時代とかは作り話とかすごい少なかったと思うんですけど、いまって、世の中の情報の内、8割くらいが作り話かもしれない。人間ってのは、作り話依存症なんでしょう。これほどまでに、世界規模で作り話をどんどん捏造するってのは、良く言えば、想像力が豊か、悪く言えば、単にヒマなんでしょう。いや、ヒマなのは、良く言えば、の方で挙げるべきか。

あのですね、ドラマ(作り話)みたいな状況を目撃しました。これがその状況です。
2人の男性が互いの胸ぐらをつかみ合って激しく口論を交わしております。写真には写ってないのですが、近くに女性がひとりいて、「もうやめて」みたいな感じで、すすり泣いている。

聞こえてくる口論を要約すると、ひとりの女性を奪いあって、2人の男がプライドを全開にしてケンカをしているというものでした。「ドラマかよ!」と心の中でつっこんで、その場を去ったのでありますが、ええと、何でしょう、ザックリ言うと、日本は平和だということに尽きますね。ザックリ言いすぎてますが。


『もきち』で飲みました。冷や汁旨いです。
 9月25日(木) 横堀@三鷹 さいたま屋@三鷹
久々に『横堀』で飲みました。
レバサシは、塩かタレか醤油だと、醤油で食べるのが一番好きです。

ひとりで『さいたま屋』で〆ました。
 9月23日(火) 大勝軒@永福町 凧凧@三鷹
感動ゴリラの感動は、僕たちの感動と根本的に質が違います。

まず、僕たちの感動は経験の反復と共に薄れてゆきます。例えば、雪を見たことがない人が初めて雪を見た時の感動を10とします。この感動は2回目に雪を見たときに7になります。3回目には4になります。雪を見れば観るほど、その感動は0に近くなります。

感動に慣れるということは、大人になるということかもしれません。子どもは、初めて経験することばかりで、しょっちゅう感動しています。しかし、感動による感情の揺れ幅というのは、経験と共に小さくなっていくのが普通です。大人がいつまでも新鮮な感動を得るためには、その感動をもたらした対象を客観化することなく(知った気にならず)、感動発見能力を獲得・持続していかなければならない。俗っぽく言えば、常に感性をピカピカに磨いておく必要があるのです。

しかし、感動ゴリラの感動は違います。
彼らは、経験すれば経験するほどに感動が増幅するのです。つまり、初めて雪を見たときの感動を10とすると、2回目に雪を見たときの感動は20になる。3回目には40になる。しまいには、感動のあまり死に至るのです。死ぬほど感動して、死ぬのです。

僕は、彼らが夕日の美しさに感動して死ぬのを見るたびに、少し淋しくなるのです。


永福町の『大勝軒』で中華麺を食べました。

夕方、マジックショーを観ました。

『凧凧(はたはた)』で飲みました。
 9月22日(月) わ@吉祥寺
チベットの高僧が肩にオウムを乗っけていれば、それは様になるかと思います。

しかし、総理大臣が肩にオウムを乗っけていたら、かなりの違和感があるのではないでしょうか。ただ、すべての国の首脳が、全員、肩にオウムを乗っけていれば話は別です。その場合、オウムは逆に「首脳の象徴」としてシンボライズされます。その結果、オウムを肩に乗せてないやつは首脳じゃない、くらいのイメージが植え付けられるのです。

当然、首脳会談などでは、首脳ではなく、オウムがしゃべります。本体だからです。


『わ』で飲みました。
 9月21日(日)
汚名挽回だか名誉挽回だか、汚名返上だか名誉返上だかで混乱する感じ。

トラウトサーモンとか、あんまり頻繁に使う単語じゃないから自分の記憶にも自信がございません。こう、堂々と「トウラトサーモン」って書かれると、それが正しいんじゃないのかと思ったりする。

で、個別のパッケージに目を移す。
すると、「トラウトサーモン」ってなってるから、「そうだよなあ、トウラトな訳がないよなあ」みたいに、一瞬でも「トウラト」が正しいと思った過去を闇にほうむり去ってしまう。もう、なかったことにする。

ふと、思ったのは、誤字と虚偽表示の境目はどこなんだろうってことです。
いっそのこと、ホッケ(火星産)とか書いてあったら、素直にニンマリできる気がします。この辺って時勢的に全然シャレが通じなくなってますでしょう。でも、いくら何でもギスギスしすぎなんじゃないでしょうか。鶏卵をキャビアと偽って売ってもらうくらいしないと緊張がほぐれない。

参考検索。

 9月20日(土)
背中、あるいは、胃袋の中に人がいるような状況や、津田梅子の家系の鼻が素晴らしかったことを表現している歌を聴いたことはあるでしょうか。「ない」と答えた方の中にも、実は自分が自覚してないだけで、聴いたことがある人がいっぱいいるはずです。

その歌こそが、「背か胃に人 津田家の鼻」です。

多くの場合、歌の詞には、「裏詞」が潜んでいる。表に出ている詞の裏に、作詞者のもうひとつの意図があるのです。「真の意図」と言っていいでしょう。

「世界にひとつだけの花」の裏詞こそが、「背か胃に人 津田家の鼻」なのです。
表面上の文言だけまんま追うのでは、一向に裏詞は見えてきません。裏詞を掘り当てるためには、表の詞を充分に分析し、読み解かなければならない。日本人は、古来より掛詞という風流な文章テクニックを伝えてきました。それは、「真の意図」を裏詞に潜ませるという形で、現代でも確かに生きているのです。

僕はこの裏詞を読み解いた時、作詞者である槇原敬之の「真の意図」を理解することができて、感動で涙が溢れてきました。下に貼った動画に、「背か胃に人 津田家の鼻」の詞を字幕で表示してみました。ぜひ、槇原敬之の「真の意図」を知ってもらいたいと思います。

動画:背か胃に人 津田家の鼻
 9月19日(金) 大茂@吉祥寺
「エヌ氏の晩餐会」を観に行ってきました。

生のお芝居を観るのは初めてで、そわそわしてましたが、はじまったらガッツリ引き込まれて最後まで笑い倒して観ました。何だかもう、色んな要素に圧倒されて、最終的に、たいそうな衝撃を受けてしまっている自分を自覚しました。23日まで演ってるそうですよ!
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『大茂』で飲んだ!
 9月18日(木) 一風堂@吉祥寺
ここで描いたパラパラ漫画。右の青い人の耳を途中で描き忘れてる。

『一風堂』で白丸にネギをトッピングしました。
 9月17日(水) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
ハンカチ落としってあるじゃないですか。

あれ、ハンカチ落としじゃなくてオムレツ落としだったらゲームが成立しないと思うんですよ。オムレツって落としたらグチャグチャになるでしょう?それを拾い集めるのは至難の業ですから。あと、ライオン落としとかもダメでしょうね。まず、ライオンを落とす以前に持つのが大変でしょう。多分、持つ前に食われますからね。

だから、ハンカチ落としってのはよくできてるなあと思いました。昔の人は、色々考えたんでしょうね。オムレツにするか、ライオンにするかとかで。で、ハンカチが良いってことになった。これで、プロジェクトXみたいなのでやってもらいたいですね。

ハンカチ落としにいたるまでの開発者の様々な苦労とかを想像すると、目頭が熱くなります。


『中本』で北極を食べました。
 9月16日(火)
カウアウエア

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