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 3月14日(金) 珍珍亭@武蔵境
数ヶ月前にやった「まさに外道ジェネレータ」の画像をお茶をにごす感じで、こう。


『珍珍亭』で、並ネギ味玉を食べました。無茶をしたような状況下で食べたんです。
 3月13日(木) べっしゃん@東伏見 庄や@武蔵境 さいたま屋@三鷹
マユモーと『べっしゃん』に行きました。

「捕鯨反対!」と連呼しながら、鯨のベーコンを食べました。

鯨のベーコン
僕は捕鯨には反対です。あんまり鯨を獲ると、僕が食べる分の鯨が減るからです。逆に、捕彗星には賛成です。「やあ、僕ね、彗星を食べたんだよ」って自慢したいんです。毎日、自慢したいんです。

『庄や』で、「何か納豆的なものを下さい」と店員にお願いしたら、メニューにないけどマグロ納豆を出してくれました。

イタリアン新潟は食べませんでした。イタリアなのか新潟なのか分からないからです。
アメリカン島根とかだったら食べたかもしれない。ストイックな響きがあるから。

ひとりで、『さいたま屋』で〆ました。
 3月12日(水)








 3月11日(火) 支那そば あおば@武蔵境
いまさら重大なことに気がついて顔面蒼白になりました。

というのは、僕はいままで、「801から1000までの数字の中で、どれが一番好きな数字なのか」ということを考えたことがなかったことに気がついたからです。こういう告白をするのも忍びないのですが、人として終わっていると思いました。小学生の頃の自分が、こんな、いまの自分を知ったら、どれだけガッカリするかと思うと、どうしようもない気持ちになります。小学生の頃の自分は、「まさか、自分が、801から1000までの数字の中でどれが一番好きな数字なのかも考えたことがない大人になるなんて」とは思ってなかったでしょう。

だけど、後ろ向きに考えるのも良くないので、いまからでも、「801〜1000の整数の中でどれが一番好きな数字なのか」を自分に問いかけてみることにしました。

僕は、801から1000の間にいっぱい整数があることを知っています。
しかし、それは数理的に知っているのであり、イメージとして把握しているわけではないのです。つまり、理解に過ぎません。ですから、まず、801〜1000までの数字を全て書き出して、実際にイメージ化することが必要だと考えました。
この作業は、エクセルのオートフィルとかでやったって意味はありません。あれは、機能そのものが数理であって、数の絵的イメージが脳と連動しないからです。数字は「数絵」でもある。それはそれで美しいことなのですが、エクセルは仕様として数にイメージを見出さない。左脳の権化ですから。

801から1000までの数字を書き(描き)出しました。
しかし、欠陥がありました。
誤認というか、結果的に誤字に至る、そういった穴が存在したのです。

ひとつは、906の次が807になってしまったというミスです。さらに、808に続きます。
これはわざとではなく、ずっと、800番台を書き続けてた脳が、まだ900番台に慣れていなくて起きた現象です。807と書いた瞬間、「あ!違う」という認識は得ました。しかし、あろうことか、そのまま、流れで808と続けてしまった。つまり、この試みは、「書く」ということにはリズムが伴い、そのリズムは、時として脳を置き去りにするということも実証したのです。しかし、こういったミスは、人間がコンピューターの下位になるポイントであると同時に、優位に立てるポイントでもあるのです。機械は、与えられた法則から永遠に脱却できない。例え、仮にわざと間違う機能をつけたところで、それさえも乱数に支配された法則に過ぎないのですから。

もうひとつのミスは、946の次が948になってしまい、947が飛んだという点です。
いずれにしても、エクセルには、こういった融通は利かないのです。

ただ、間違えた数字を直すことはしません。
というより、間違えた記載というのは、結果的に事実に昇華するため、「いわゆる間違え」ではなくなります。つまり、個々の事実は、真偽の志向性を凌駕して、絶えず、法則を上書きします。

801〜1000の数字を書き出した後、印象として気に入った数字に○をつけました。
833、857、884、888、919、949、992、999、1000が候補に挙がりました。

そして、僕は、この中で一番好きな数字が1000であるという結論に至りました。
なぜなら、一番大きいし、0が並んでいるのがキレイだし、キリが良いからです。おまけに、「千」という漢字の戴冠さえ経由している。
ただ、これは、あくまで、「801〜1000までの数字」でという秩序下においての話です。
例えば、「799〜1000までの数字」とか「801〜1030までの数字」という別の秩序では、また、好みが違ってくる可能性があるのです。つまり、要素というのは極めて流動的です。


『支那そば あおば』でつけめんを食べました。
 3月10日(月) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
すごい堂々とした虚偽表示。
動物園で、「これはコアラだよ!」っていう看板が掲示されている檻の中に、実際いるのがヌエ、みたいな。「今日のゲストは江原啓之さんです!」っていう紹介のあとに出てきたのが宜保愛子、みたいな。まあ、コアラもヌエも、江原啓之も宜保愛子も、どっちも同じようなもんなんですけど。僕の前世は、宜保愛子なんですが。


『中本』で冷やし味噌ラーメンを食べました。

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動画:等身大 4歳児インタビュー「大きくなったら何になりたい?」
 3月9日(日) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
アルゴリズム放心

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窓のサイトが素晴らしい。ここ

「機能・特長」のページから、様々な種類の窓の開き方が動画で見られるのですが、なかなか、うっとりします。リバーシブルウィンドウがかっこいいです。

世の中には毎日窓のことばかり考えてる人だっているのでしょう。窓、奥が深い。

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つじあやの、CDで聴いたって、それこそ、1メートルくらいの至近距離で本人が歌ってるみたいなことになってる。歌が近い。

「風になる」のサビの、「駆けのぼる」の「か」の、おもに喉の力で、きわどくスマートにクイッてやる発声の感じが素敵。「かぁ」ってのが良い。音階で言うところの「ド」なんですけど、こんな清涼な「ド」は、なかなかない。「ドイツ」の「ド」に匹敵しますよ。

同じように、「くちびるを染めてゆく」の「そ」も良いです。むしろ、こっちの方が好き。「そ」は「か」よりも攻撃力がなくて平和的ですから。「そ」、良い、「そ」。「そぉ」ってのが良い。フワッってなる感じの。音が、63度の角度で上昇し、すごい晴れた南東の空に溶け込むように消えてゆく感じの。

この「か」と「そ」をいっぱい聴きたい、ってので、こうしてみた。過疎。


『中本』で初めて蒙古丼を食べました。
ご飯の量が多くて、いっぱい残しました。写真では分かりにくいと思いますが、実際のご飯の量は木星くらいあります。
 3月8日(土) 蒙古タンメン中本@吉祥寺





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テンションが上がる。ついでに、小麦の価格も上がる。スプーンは曲がる。泣く子は黙る。

ケロログトップページ

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『中本』で北極を食べましたが、むせました。
むせて思ったんですが、美しくむせる方法というのはあるのでしょうか。つまり、「むせ美」という概念は存在しうるのでしょうか。そもそも、「むせる」という行為に美は連動しておりません。しかし、「むせる」という行為に美が連動してはならないという決まりもない。
 3月7日(金) やる気茶屋@吉祥寺 吉祥寺どんぶり@吉祥寺
静観ゴリラほど物事を静観する者はいません。

どんなに切迫した事態であろうと、静観に徹するのです。
火山が噴火しようが、子どもが川で溺れようが、味噌ラーメンを注文したのに塩ラーメンが出てこようが、昨日まで一重まぶただったあの子が急に二重になっていようが、その様子をひたすら静観します。

何にも動じないその静穏な様は、全てを悟っているかのように見えて、この世のものとは思えないほど厳粛で美しい。ですから、静観ゴリラが何かを静観している様子を見た者は、必ず、ため息を漏らす。

しかし、静観ゴリラが唯一静観できないことがあります。静観ゴリラでさえも、見たら動揺してしまうほど凄いものがあるのです。

それは、これを読んでいるあなたの輝きです。
あなたの、そのキラメキ、その眩しさに静観ゴリラは動揺を免れません。


サトさんとコウイチ君が急に吉祥寺に来てくれるというので、仕事をそっちのけにして飲みました。まあ、仕事と言っても、ウェットティシュをドライヤーで乾かして、再び、水分で湿らせ、それをドライヤーで乾かす、という仕事ですが。時給は、マクドナルドのスマイルと同額です。つまり、9兆円です。

ひとりで『吉祥寺どんぶり』で〆ました。
 3月6日(木)
大好きな飲み屋であるところの、『カッパ』のTシャツを入手しました。店員が着てるやつ。

「もつやきせんもん店カッパ」と書いてある

いくら僕が行きつけの飲み屋のTシャツを入手してうれしがったところで、『カッパ』に関心がない人は、「え?このTシャツ、防弾機能ないよね?」って思うわけでしょう?「防弾機能がないTシャツに何の価値があるの?」って思うわけでしょう?

でもね、Tシャツに防弾機能を求めちゃダメですよ。普通、Tシャツに防弾機能はないのだから。
 3月5日(水) 支那そば あおば@武蔵境 カッパ@吉祥寺 月の花@三鷹 さいたま屋@三鷹
マユモーが、「大河内欣也っているじゃない?あの、エアギターの人」と訊いてきました。

マユモーは、「北海道」と「ホームページ」を言い間違えるくらい、逆バリアフリーな言語野を装備しておりますから、「金剛地武志」と「大河内欣也」を言い間違える程度は驚くに値しないのかもしれません。ただ、セオリーどおりに言わせていただければ、人名をニュアンスという価値だけでゴリ押すのもたいがいにしてもらいたい。

マユモーと『カッパ』に行きました。

『月の花』に行きました。

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僕は、麺類と言えば、断然うどん派なのですが、たまにはラーメンも良いかなと思ったので、『あおば』で塩ラーメンを食べました。
ラーメンって、たまに食べるから旨い。毎日食べると絶対飽きる。

僕は、麺類と言えば、断然パスタ派なのですが、たまには、ラーメンに浮気してみようかな(笑)と思ったので、飲んだ後、一人で『さいたま屋』で〆ました。

卓上に唐辛子があるラーメン屋に行くと、つい、北極の影を求めてしまい、赤く染めてしまいます。その結果、翌日のお腹の調子が悪いです。
あんまり、赤いラーメンを食べると、マッカーサーの反感を買うのではないか、と心配になってきます。マッカーサーの反感を買うとチョコレートがもらえなくなるのではないでしょうか。アメリカ人の良いところは、何を差し置いても、チョコレートをくれるところでしょう。僕も言ってみたかった。「ギブミー きのこの山」って。
 3月4日(火)
北島三郎の曲名における「男率」がすごい。で、どれもこれも、それっぽいから感心します。
「男飛車」ってのが、投げやりなのか、はたまた、すごい奥深いのかが分からないところにカオスめいたパワーを感じてしまいました。飛車は単体でも響きがかっこいいですよね。角よりかっこいい。つまりは、「男飛車」の方が、「男角」より、ちゃんと、かっこいい。

そもそも、飛車と角は、将棋におけるかっこ良さが他の駒と比べて別格です。
だって、最初の将棋盤の配置において、あいつらだけ左右対称に逆らってるじゃないですか。右と左の対称性に反逆しているのは、飛車と角しかいないんだから。しかも、一方は縦横で、一方は斜めですよ。あの2人だけ、個性派俳優ですよ。むしろ、王将が助演で、飛車と角が主演みたいなもんじゃないですか。

飛車を見てると、香車が健気に思えてしょうがないんですよ。
ましてや、前に進む移動単位が「1マス」の歩なんて。僕はね、歩の両親に会って言ってあげたいですよ。「あなたの子どもは誰よりも堅実で、誰よりも真面目で、誰よりもわきまえてる」って。
しかも、カクと対になってるのが、スケじゃなくて、飛車ですから。水戸黄門を否定してるも同然じゃないですか。カクの字が違うけれども。

話を戻して、「沖縄の女」って歌があるのもすごい。おいおい、函館のやつはどうなったんだ、っていう。

まあ、何か適当な名詞を拾って、前か後ろに「男」って付けりゃ、何だってサブちゃんワールドになっちゃうのかもしれない。そうじゃなくても、車田正美とか、本宮ひろ志とか、宮下あきらなんかの方向に転がってくんじゃないでしょうか。それにしても、本宮ひろ志と宮下あきらの混同と、峰竜太と竜雷太の混同ってのは、そこに至る要素として、相似形なんじゃないかと思います。
 3月3日(月) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
『蒙古タンメン中本』でお内裏様にお雛様をトッピングして食べました。
はじめて、お内裏様にお雛様をトッピングしたものを食べたのですが、唐辛子が効いててけっこう旨いと思いました。また食べても良いなと思いました。また食べるかもしれない。いつかきっと必ず絶対に食べるかもしれない。グミを。グミは好きですね。

ただ、金太郎飴は、もう、もしかしたら、死ぬまで食べないかもしれません。
子ども時代に比べると、金太郎飴に対する関心が格段に薄くなったからです。いや、飴そのものに対する関心が失われてます。もっと言えば、金太郎に対する関心さえ激減しています。

おそらく、太郎業界では、金太郎は桃太郎に次いで太郎シェアを占めると思います。
つまり、ビール業界でいうところのアサヒビールが桃太郎であり、キリンビールが金太郎と言えます。この2大太郎は激しく拮抗しています。そして、桃太郎と金太郎の後に、サッポロビールであるところの浦島太郎が追随する。

では、太郎業界でいうところのサントリーは誰か?
おそらく、それは、石原裕次郎の物真似でお馴染みの、ゆうたろうではないでしょうか。

 3月2日(日) Miso Ism(ミソイズム)@吉祥寺
目を覆いたくなるような惨状でも、ありのままに伝える義務があります。


クリックすると音声が流れます

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『Miso Ism(ミソイズム)』で味噌ラーメンを食べました。
この店に来た以上、味噌ラーメンという選択肢しかなかったのです。つまり、運命づけられていた。
 3月1日(土) 一二三@吉祥寺 箸や@三鷹
血液サラサラになるつもりは、さらさら、ない。

更新が、何かとサラサラしないので、いっそ、断片的なトピックを連ねます。ライトな感覚で、ライトなことを書き連ねます。

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「ワンデーアキュビュー」の「アキュ」という音韻にストレスを感じる。言いにくい。
「アキュ」は、ちょっと横暴すぎやしませんか。
直後に「ビュー」が続くんだから、なおさらですよ。「ュ」の連続は、基本的に回避すべきです。
いや、「種々」とか、「授受」とかなら、リズムとして言いやすいから良いんだけど、難しい音韻である「アキュ」を最初に持ってきて、次に、「ビュー」は、せわしない。

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ドリーム坊や(4歳)の言うことが、いちいち、推理パターンを子ども時代に戻す。
ししゃもに興味を示すドリーム坊や(4歳)

ドリーム坊や「これは何?」

僕「ししゃもだよ。タマゴがいっぱい詰まってるよ」

ドリーム坊や「ししゃもに種はある?」

僕「ないね」
そのまま、「ないね」と答えてしまう自分の脳の低回転っぷりがよろしくない。

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効果音にひたすら耳を預けたい。
TSUTAYAで「効果音」関係のCDを衝動借りしました。
それにしても、頭ごなしに「効果音」って定義されたら、効果音以上の意味を持つ音も、効果音を超えられなくなるのではないか、という心配を得ました。

屁の音も、宇多田ヒカルの声も、チャイコフスキーの交響楽も、同じく聴覚を根拠とした「音」なのに、なぜ、扱いとか人の集まり方とか好みに差異があるのかという、根本的な問いの解答が自分なりに出ていません。つまり、音に対する意味や価値の割り振り方の法則が明らかにされていません。だって、どんな天才音楽家が作る曲よりも、普通に、屁の音の方が人類として普遍的な音じゃないですか。この辺を嫌味ったらしく掘り下げてゆけば、芸術とか、そういう大仰なものを、緩慢なノリでパコーン!と殴ってあげられる気がするんです。

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仕事の合間、久々に、『一二三』に行きました。『わ』の2、3軒隣りにあります。
看板すら出してないも同然の店で、「隠れ家」寄りの店です。とはいって、ちゃっかりと、しっかりとマスコミには出るという、大人の事情もつまむ周到さを持ち合わせたお店です。
ここ、吉祥寺で一番ラーメンを作るのが遅いお店です。や、『生郎』とタイを張る。
良く言えば、「一球入魂」的なアレで、一杯づつ、すごい丁寧にラーメンを作るのですね。店主が、回転率よりも自分のペースを優先します。


夜は、『箸や』でユルリと飲みました。

タンドリービーフの串焼き

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数日前の話ですが、夜、オモコロのヂル君から着信があることに気がつきました。

連絡網じゃなくて、電話で直接コンタクトってことは、「オモコロ関係の緊急的な何かの話かな?」とか思って、電話を掛けなおした。

電話に出るなり、ヂル君が、「いまNHKに羽生が出てる」という旨のことを言ってきた。
ああ、羽生がテレビに出てくることを教えてくれてありがとう。まあ、それはさておき、本題は何?みたいなことになるわけじゃないですか。本題、なかった。いや、本題、最初の一言で終わってった。羽生がテレビに出てることを僕に伝えるのが本題だった。ビックリした。親切心を間違った方向に使ってる。

羽生が出てるテレビは夢中で見ましたけれども。

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何はともあれ、ディズニーリゾートに行きたいです。あそこは難しさがなくて良い。

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