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 9月15日(火) クロキ@吉祥寺 天下一品@吉祥寺 
黒呼びゴリラは、世界を破壊・創造するゴリラとして畏れられています。

もし、黒呼びゴリラが「黒よ!来い!」と叫ぶと、全時空のあらゆる黒いものが、黒呼びゴリラのもとに集まり、空間がねじれ、時間がゆがみ、世界は滅びるのです。

具体的には、黒呼びゴリラが「黒よ!来い!」と叫ぶと、カラスや、黒猫や、夜や、クロマティや、黒死病や、ブラックホールや、三遊亭楽太郎の腹の中などの、あらゆる黒いものが黒呼びゴリラのもとに集まります。暗黒を司る神々さえ、その作用にあらがうことは不可能であり、サタンやブルゼブブなども、どうすることもできず、為すがままに黒呼びゴリラのもとに集まるのです。無論、時間を超えて、黒いものを呼びますから、黒船も呼びます。黒澤明やクロムウェルといった故人でさえも呼びます。

宇宙を破壊しながら、全時空から黒呼びゴリラのもとへ集まった絶大な量の「黒」は、衝突と合体を繰り返すことによって、「球」となり、巨大化し、ガスを放出します。「黒」と「黒」がぶつかり合うことで生まれる衝突エネルギーは、熱となって「球」を加熱し、「球」の表面はマグマとなり、その際に発生する水蒸気が、長い年月をかけて、「球」の表面を冷やし、1億年を費やして、その「球」は地球となったのです。

いま、我々が暮らしている地球は、そのように形成されたのです。


多分、仕事がひと段落ついたのであろう松原さん企画の飲み会で、『クロキ』に行きました。
ここ、数年の傾向で言えば、松原さんとは、たいてい、彼女の仕事がひと段落した時に飲んでいるはずです。ただ、今日は、「仕事はひと段落したの?」って聞くのを忘れました。

ひとりで、『天下一品』で〆ました。
 9月14日(月) 
「おー」。

クリックすると「おー」です(MP3)
 9月13日(日) 鳥良@吉祥寺 
あまりの天気の良さに、影絵が絶好調。
吉祥寺は秋祭りで朝から晩までハイテンションでした。
 

ただ、これはいけない。
おかめ2人で、ひょっとこ1人ってのはいけない。どっちも1人じゃないと。ディズニーランドにおいて、同時間にミッキーマウスは1匹しかいない、みたいな世界観を、おかめとひょっことでも貫徹してもらいたい。というか、本当はひょっとこも2人いたんですけどね。

「ヨゴリーノ」。
音だけ聞くと、何とも汚れてる感じがするのに、さわやか。

『鳥良』で飲みました。
 9月12日(土) はつね@西荻窪 上総屋眞吉@吉祥寺 千なり瓢箪@吉祥寺 ホープ軒@吉祥寺 
主義別格言集を考える。

理想主義者の格言「塵も積もれば山となる」

現実主義者の格言「山となっても塵は塵」

相対主義者の格言「塵でも山でも良し悪しがある」

懐疑主義者の格言「塵とか山とか存在してない」

虚無主義者の格言「塵とか山とかどうでもいい」

道化主義者の格言「塵と山ってどっちが旨いの?」


道化主義者の圧勝です。
ジョーカーは、ろくすっぽ、前提にさえ入ってこようとしないため、結果として、全てを超越するのです。


西荻窪の『はつね』でタンメンを食べました。
「沁み込んでくるスープ」という基準において、このタンメンはヤバいです。


ハチノスやぼんじりを自宅で調理するというアバンギャルドな人から、ふらりと連絡があったので、『眞吉』で飲みました。
 

そして、とても久々に、『せんなり瓢箪』です。
吉祥寺の名店です。なぜかマスターを交えたカオス飲みに記憶も飛びました。
マスターに出身地を聞いたら、北海道だったので、「おお!僕もなんですよ!」とか言いいつつ、そのことをスッカリ忘れて、3分後くらいに、また、マスターに出身地を聞いたら、「さっき言っただろう!」と怒られたのは覚えています。自分の適当さに感心しました。俺は、ニワトリか!

『ホープ軒』に行った記憶はないのですが、デジカメに映ってたので、ひとりで〆たようです。
 9月11日(金) ホープ軒@吉祥寺
Twitterを見てたら、みんなして「ラプラス、ラプラス」って言い出したので、どんだけ超越的な話が流行り出したんだと思いきや、よく見ると、ラプラスじゃなかったわ。ラブラドールだった。って違う!ライブドアだった。って違う!もう、何でも良いや。アレだ、アレ。アレで良いや。

ということで、ネットで拾ってきた、読み間違いの記事。
いっこだけ、すごい無茶なやつが混ざってたので驚きました。



そんなやつ おらへんやろ〜




そんなやつ オランウータンやろ〜





そんなやつ オランダ人やろ〜





そんなやつ コーランやろ〜




コマネチ!


*****

『ホープ軒』で、半麺、かため、にんにくSを食べました。
今日の『ホープ軒』の写真は、なかなかリアリティーがあって、気に入っています。どの辺が、リアリティーがあるかというと、ノリの上にネギがのってる点ですね。
これは、漫画やアニメに出てくるラーメンにはないでしょう。ノリにネギをのせるとリアリティーが増すということに頭が行ってないからです。
 9月10日(木) やまもと@三鷹
友人のフィンランド土産。
まさに、ムーミン生誕の国であるフィンランドの、僕がものすごく憧れているスナフキンのハーモニカですよ。建前的には、ドリーム坊や(6歳)へのお土産として買われたこのハーモニカが、結局は、僕のオモチャになることを見越されていたセレクトに「ぐうの音」も出ません。ところで、「ぐうの音」って、どこで聴けるの?普通に、タワレコとかで試聴できるの?

これをきっかけに、久々に、スナフキン語録をネットで巡回して見てました。
どこにも属さず、何をも所有せず、刹那を生きるスナフキンの言葉は、幼少期に得た種々の原体験のごとき高い純度で、心に突き刺さります。

思うに、スナフキンは、ニヒリズム(あっち側)の一歩手前で、ヒューマニズム(こっち側)に留まっている。社会を前提に命を持ってしまった以上、どうしようもなく押し寄せてくる諦念や厭世観を、土俵際ギリギリで確固たる希望に変換しようとする強さ、切なさ。鉄面皮なのかポーカーフェイスなのか判断しかねる、あの表情の奥に見え隠れする、熱く揺るぎようのない信念。孤独の痛みや自由の重みを、何事もなかったかのように、ひた隠しにしながら飄々とした態度を演出するスナフキンの哀愁は、否応もなく胸に響きます。

スナフキンは、哲学者のように、善がり気味な怨恨を、饒舌に論じたてるようなことはしません。スナフキンは、尾崎豊のように、周到な僻事を、口角泡を立てて、まくしたてるようなことはしません。スナフキンは、余計なことは何一つ言わない。演出上、彼は、自主的に発言するのではなく、ムーミンに突かれて、仕方なくシンプルに発言するからです。要するに、スナフキンはかっこ良すぎです。この世界で、最もかっこ良い存在であると言わざるを得ない。

僕が好きなスナフキン語録

あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ。


いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。


君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。


ぼくはこの目で見ないものは信じない。そのかわり、この目で見たものはどんなにばかげたものでも信じるよ。


あんまり大袈裟に考えすぎない様にしろよ。何でも大きくしすぎちゃ駄目だぜ。


長い旅行に必要なのは、大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ。


明日も、きのうも、遠く離れている。



これらのセリフを、自分なりにプロファイリングして、僕も、「スナフキンが言いそうなセリフ」を考えてみました。
スナフキンが言いそうなセリフ

雲が自由なんじゃない。ほら、よく見てごらん。空が、雲を自由にさせているのさ。


捨てるモノも、無くすモノもない。最初から、何も持ってないからね。


鳥はね、飛ぶために翼があるんじゃない。たまたま、翼があったから飛んでるだけさ。


なぜ、分からないことまで、分かろうとするんだい?分からないことは、分からないままで良いじゃないか。それが、分かるってことさ。


これ、本当に孔雀なの?ダチョウかと思ったよ。ていうか、汚いし、臭いね。うわ、クッサー(笑)


さっきから君は、キクラゲばかり食べているね。


その残尿感をドラクエに例えると、どんな感じ?


かろうじて炭酸は残ってるけど、ぬるくなってるね。飲めたものじゃないよ。


そんなにお茶漬けを勧めてくるってことは、君は永谷園の回し者かい?


まだ、キクラゲ食ってんのかよ。



『やまもと』で飲みました。
 

 9月9日(水) 
以前、「マクドナルド」と間違えて、「サクジョナルド」に入ってしまったことがあります。

この店に入ると、様々なものが削除されます。
ドラクエなどのプレイデータも削除されてしまうので、安易にDSなどは持ち込まないほうが賢明です。

これは、その時、「サクジョナルド」に入った際に、僕が持っていた本です。
中を見ると、かなり、削除されていることが分かると思います。
「キャア気分」とか「キュウー気分」とか以外の部分はすべて削除されてしまったため、もはや、何が書いてあるのか分かりません。いったい何の気分なのかが、1ミクロンも分かりません。それ以前に、「キャア気分」とか「キュウー気分」なんてものは存在しません。そんなものは、広辞苑に載ってません。

また、法律の条文さえも、「サクジョナルド」のせいで削除されてしまうので注意が必要です。
刑法第二条第一項の条文があっさりと削除されてしまいました。
もし、仮に、刑法の全条文が削除されてしまったら、この国は事実上の無法地帯になってしまうでしょう。そうなると、メシアを求める声が高まり、この世界はケンシロウの独壇場になってしまう。


逆に、不要なデータとか、幼少期のトラウマなど、削除したいものがあれば、「サクジョナルド」に持ち込むと良いかもしれません。

「サクジョナルド」は、みんなに「サック」と呼ばれて親しまれています。ただ、関西では「サクド」と略すのが一般的みたいです。マスコットの「ジョナルド」は、顔面の一部が削除された、愛嬌たっぷりのキャラクターです。
他にも、「マクドナルド」と間違えやすい店として、入店すると、砂糖と塩を間違えたり、さまざまな錯誤を繰り返すようになる「サクゴナルド」や、入店すると、色んな覚悟を要求される「カクゴナルド」や、自己陶酔者ばかりが集う「マクドナルシスト」などがあります。愛川欽也が店長を務める「マクド・なるほど!ザ・ワールド」は1996年に閉店しています。
 9月8日(火) 大勝軒@永福町
内在ゴリラほど、内在するゴリラはいません。

彼は、森羅万象の中に内在しています。
ピラミッドの中にも、空の中にも、小田和正の中にも、内在しています。精神が深い者の中には、何頭もの内在ゴリラが内在している。例えば、瀬戸内寂聴の中には、13頭の内在ゴリラが内在していますし、羽生善治の中には、5,764頭の内在ゴリラが内在しています。

自覚しているか、無自覚かは別として、例えば、いまこれを読んでいるあなたの中にも、内在ゴリラが、最低1頭は内在しているのです。内在ゴリラの特徴は、あくまでも物事の中に内在するのであり、物理の外側には存在しないということです。だから、内在ゴリラは実体を持ちません。

さらに、内在ゴリラは、それ以上、内側のない場所、つまり、「究極の内側」に到達します。そこは潜在意識よりも遥かに深い場所にあります。潜在意識が深海くらいの深さとするなら、「究極の内側」は核くらい深い場所にあります。

あなたが、もし、「究極の内側」よりも、さらに、深く潜ろうとした場合、精神世界と物理世界のバランスが崩れ、世界が予定していないバグが発生した結果、根室港に出ます。ただ、どうせ、根室に行くなら花咲ガニが美味しい季節だと良いですね。調べたら、7月〜9月くらいが旬のようですよ。え?誰ですか?タラバガニの方が良い、なんて言ってる人は(笑)


永福町の『大勝軒』で中華麺を食べました。
 9月7日(月) 宝来家@新宿
マウンテンゴリラをご存知でしょうか。

え?ご存じなんですか?知ってるの?うそー!?
ちょっと!僕が紹介するゴリラで、知ってたのって、初めてじゃないですか。ビックリしたわー!えー?何で知ってるの?こっちの世界じゃ、マウンテンゴリラって、そんなにメジャーでしたっけ?いやあ、ビックリしたわー(笑)


ど昭和の新宿思い出横丁。
どこも同じような店なので、2メートル置きにデジャヴを起こします。
ただ、どこも同じような店なのに、満席の店とそうじゃない店の差が激しい。多分、満席の店が好きな人は、隙間が嫌いな人であり、ガラガラの店が好きな人は隙間が(隙間だけに)好きな人です。

『宝来家』です。

ひとりで〆た屋台のラーメンの不味さに感動しました。
にんにくラーメン800円という価格設定も凄い(ショバ代転嫁?)のですが、ここまで不味いと一切の文句はありません。むしろ、リピートしても良いです。いままで食べた500軒以上のラーメンの中でも3本の指に入る不味さに、思わず、完食しました。もちろん、屋台は設備面で、ちゃんと厨房を持つ店に比べれば大分不利です。自宅でスープを仕込んでると言っていた屋台もありました。それにしても、屋台は屋台のチープな良さがあります。最近は、適度に旨いラーメンが増えすぎておもしろみに欠けるので、こういう刺激は歓迎します。
 9月6日(日) 甲斐@久我山
破天荒って、ずっと、引田天功の弟子だと思ってました。

*****

ちょっと前の話になりますが、会社経営・ギター演奏家・作曲家・音楽講師・音響アドバイザー・プロジェクトプランナー・公的資金活用アドバイザーという、30万もの肩書きを持つアグレッシブ過ぎる大友さんが飼っているミドリフグの名前を付けました。

付けた名前は、「SMAP」です。

SMAP
写真でしか見てないのですが、自分が名前を付けた魚が今日も錦糸町で生きている、と思うとうれしくなります。ふと、思い出しては、「SMAP、元気かなあ」などと気にしています。その延長で、「森君、元気かなあ」などと気にしています。

そして、大友さんに、僕が飼っている金魚に名前を付けてとお願いしたところ、快く命名してくれました。名前は、「ぽりす」です。

ぽりす
「今の乱れた社会を正してくれる金魚に育って欲しい。暴走族に意見の言える金魚に育てて欲しい。」という、溢れんばかりの善意に包み込まれた命名に、なぜか、反省しました。

あと、数ヶ月前にもらった時点ではすぐ死ぬと思っていたドジョウですが、生きています。
一晩で6匹中3匹死んだのですが、残った3匹はまったく元気です。名前は、「液体ヘリウム」と「アノミー的自殺」と「消費者庁」です。
金魚とドジョウは同じ水槽で飼えるようです。ただ、将来的に、僕はここにシロナガスクジラも入れようと思っています。


久しぶりに、エビワンタンの総本山であるところの『たんたん亭』のラーメンでも食べようと、ダラチャリ(だらだら自転車をこぐ)で久我山まで行ったのですが、『たんたん亭』は久我山ではなく、浜田山でした。

2回目となる『甲斐』のラーメンです。
『春木屋』ルーツのラーメンなので見た目が似ています。味は違います。こっちは節系が強いです。

あと、「ダラチャリ」という言葉は僕が初めて使ったかもしれないと思って、グーグルで調べてみたら5件ヒットしました。
 9月5日(土) はつね@西荻窪
アカペラのイベントを吉祥寺の「STAR PINE'S CAFE」でやるってことで、このイベントをプロデュースしてる阿多さんから「会場にライオンはいないから安心して遊びにきなよ」と誘ってくれたので、行ってきました。「本当にライオンいないの?本当は飢えに飢えたのが5頭くらいいるんじゃないの?」なんて疑心暗鬼だったのですが、実際、会場にはライオンはいなくて、本当に良かったです。

生アカペラの迫力は想像以上にすごくて、荘厳なボイスパーカッションやハモりが、胸の奥までドーンドーンと響いてきて、終始、圧倒されました。「宝船」という女性6人グループのパフォーマンスは、「1音でも、半音でも外したらアウト」という、神がかった領域さえも、小指一本でいなしており、もはや、「上手い」というレベルを、とうに超越しておりましたから、僕は思わず、「鈍器で頭を殴られ、かつ、便器に携帯を落とした」ような衝撃を受けました。言語化に堪えない、もの凄い力で引き込まれます。もっと言えば、「鈍器で頭を殴られ、便器に携帯を落として、ペンキで顔を塗ったくられ、元気があれば何でもできて、西に疲れた母あれば行って、その稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろという」くらいの衝撃を受けました。

今日は、圧倒的な「ハモり」を生で体感したので、僕が知っている「ハモり」について雑学の話をしたいと思います。そもそも、「ハモる」というのは語源として、「鱧(はも)を売る」が転じたものです。「ハーモニー」とは全く関係ないです。「鱧を売る」→「はもうる」→「ハモる」という具合です。

江戸時代中期に、築地近辺に、「鱧売り」という行商がたくさんうろついていました。
鱧売りは、鱧を売る際に、「鱧はいらんかね〜」という掛け声を発していたのですが、必ず、複数人で音階を割り振り、和音にして呼びかけていたんです。それが、「ハモる」の語源です。

言葉で説明するより、実際に、僕が当時の鱧売りの掛け声を忠実に再現してみましたので、これを聞いていただくのが、最も手っ取り早いです。

クリックすると音が鳴ります
最終的に、この鱧売りの掛け声は騒音問題に発展し、時の町奉行であった大岡越前が、この掛け声を違法なものとして取り締まったため、江戸時代の後期には、慣習として完全に廃れてしまったということです。


いつなん時も麗しい『はつね』のタンメン。
 9月4日(金) 蒙古タンメン中本@吉祥寺
電車に乗ると、ガタンゴトン揺れますよね。

あれ、電車の揺れだと思っている人が、結構、多いんじゃないかと思いますが、実際は、茶運び人形が歩くことによる揺れです。
電車自体は常に静止しています。電車というのは、実際に動くように設計されてません。あれは、ずっと止まってる。電車は、茶運び人形に運ばれているんです。それで、ガタンゴトン揺れる。
自分から見える範囲じゃなくて、常に、鳥瞰図で自分を意識する。目を使っちゃいけない。いったん、科学を捨てて、感じる。電車は、茶運び人形に運ばれて揺れている。

そもそも論として、この世界は、茶運び人形のお盆の上に載ってるんです。


『中本』で冷やし五目蒙古タンメンを食べました。
 9月3日(木) 江ぐち@三鷹
北海道から段ボールが届きました。

クール便だったので、「毛ガニかな?」と思い、中を開けると、森が出てきました。
よく見ると、森ではなく、枝豆でした。多分、道楽で作ったものだと思いますが、量をわきまえてもらいたい。主食じゃないんだから。

*****

僕が知っている都市伝説をひとつ紹介します。

九州の玄界灘と全く同じ形態の海域が世界のどこかに存在するらしいんですね。その海域を見た者は、死期が近いとされます。その海域は、ドッペル玄界灘と呼ばれているそうです。


『江ぐち』でもやしチャーシューメンを食べました。
 9月2日(水) ○麺堂@東伏見
神格化ゴリラをご存知でしょうか。

このゴリラが触れたものは全て神になります。
逆に言えば、このゴリラが触れたものだけが神になるのです。アヌビスや、キリストや、ゼウスや、恵比須や、田代まさしは、この神格化ゴリラに触られたから神になったのです。ですから、もし、神格化ゴリラがあなたが掛けているメガネに触れたら、そのメガネはたちまち神々しい輝きを放つ神になり、誰もがひれ伏すようになります。

では、アラーのような、偶像化されうることのない、つまり、実体を持たない神は、どうやって、神になったのかというと、神格化ゴリラが「アラー」という概念そのものに触れたのです。神格化ゴリラは、物理の中だけに存在しているわけではないので、概念をも触れることができるのです。例えば、神格化ゴリラが、秋という概念に触れれば、秋は神になります。この場合、春夏冬は、ある種、「ただの民衆」のまま置き去りになります。

神々は、自らを創り出した神格化ゴリラを畏れ敬います。
神格化ゴリラは、まさに、神々にとっての神だと言えましょう。しかし、そのような神格化ゴリラでも、触れられない存在がいます。それは、マリオです。

マリオはキノコを食べると大きくなり、花を食べると手から火の玉を出します。星を食べると無敵にさえなります。そんな意味の分からない存在は、さすがの神格化ゴリラでも畏れおののきます。神格化ゴリラはマリオを見たとたん、怖くて逃げ出してしまいます。特に、花を食べると手から火の玉が出るというのは、あまりにも難解な事態であり、最も、神格化ゴリラがマリオを畏れるポイントなのです。花を食べると手から火の玉が出るというのは、はっきり言って、ナスカの地上絵よりも不可解です。おそらく、この宇宙で一番意味が分かりません。

かつて、小学生だった僕は、マリオをやってるときに、花を食べると手から火の玉が出るという、極めて難解な現象に対して、一切のつっこみを入れず、何の疑問も抱かずにプレイしていた同級生たちが、心底すごいと思いました。何なんだよ、ファイアフラワーっていう発想は(笑)


久々に、『○麺堂』でラーメンを食べました。
 9月1日(火)
セブンイレブンのサラダドレッシングが別売りになって結構経ちます。
困ってしまうのは、商品によってはドレッシングが付いているものもある、ということです。
これによって、「サラダなら何でもいいや」くらいのテンションで、商品をよくも見ないで適当にサラダを買った際、すでにサラダにドレッシングが付いているのに、別売りのドレッシングを買ってしまうということがありました。

ここで提案したいのは、「ドレッシングが付いているか付いていないか分からないサラダ」です。
運が良ければ、サラダの底の方にドレッシングが付いているし、運が悪ければドレッシングは付いていません。ただ、ドレッシングを使いたくないという人もいるでしょうから、付いているのが運が良いのか悪いのかは個人によりけりでしょう。そういう意味で、「ドレッシングが付いているか付いていないか分からないサラダ」を売り出せば、購入者にちょっとした博打感を与えることができると思うのです。

これはもう面倒くさくて仕方ありません。
何かを集めて応募とかって、主婦とか小学生くらいモチベーションが高くないとつとまらない。

こうなってくると、別売りのドレッシングではなく、別売りの解毒剤も購入する必要があります。

勝手に犯罪者扱いされるのは、たまったものではないです。
なおかつ、サラダに自首を勧められるのは不本意です。せめて、人に勧めてもらいたい。

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