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 2月15日(火) ビストロエディブル@吉祥寺 武蔵野カンプス@三鷹
僕はフランス生まれのフランス育ちで、日本に来てまだ1週間経ってないんですが、やはり、故郷の味が恋しくなってしまうもので、今日は、カジュアルフレンチの『ビストロエディブル』に行きました。

このお店、数十店ある吉祥寺のフレンチの中で、食べログ上はトップの評価を得ています。
 
ただ、こういうところに男だけで入るとかはちょっと厳しいというか、実際、「ほとんどが女性客」という店なので、マユモーに一緒に行ってもらいました。
 
料理、とても美味しいし、ガチのフランス料理よりも安いので、確かに良いなあという感じでした。

2軒目は、三鷹の『武蔵野カンプス』。
 
まだ新しい店ですが、やや立地が分かりにくい。そして、ここ、猛烈な良店です。イタリアンの店なのですが、とにかく何でも安い。ビールが400円っていうイタリアンはそれだけで奇跡的だと思うし、料理も安くて美味しい。これは久々に手放しで人に勧められる店です。

なおかつ、この開放的な空間。
というかヤバい。夜の9時でこの閑散っぷりというか貸切っぷりはヤバいんだけど、ほとんど人がいない分、すごい贅沢な気分になる。かといって、これ、客が入らないと店が潰れるから困る、っていう矛盾サイクルになる。ホントに良い店なので、潰しちゃダメだから、みんな行くべきだと思う。

今日は、適当な言葉を言ってダジャレを作るっていう遊びを延々としてたんだけど、「兄弟」ってお題の時に、僕は「今日、大工さんの兄弟来る?」と答えたわけですが、その前にマユモーが一瞬で「東京大学」と答えたので、マユモーのくせになかなかやるじゃないかと思ったけど、僕が「押上に『まるい』っていう有名なもつ焼きやがあるんだよ」って言ったら、マユモーが「それ、どこにあるの?」って言ったので、やっぱこうじゃなきゃダメだよな、って思いました。

なおかつ、マユモーが伊勢神宮に行ってきたという話に対して、僕が素で勘違いして、「ああ、あの辺は神様が集まるから、10月のことを『神有月』って言うんだよな」と言ったら、「それ出雲大社だから」とつっ込まれたので、こういうのはお互い様ですね。
 2月14日(月) 中村屋@吉祥寺
いまとなっては、「古い」「主観的」「科学的じゃない」と罵倒される「マズローの欲求段階説」。

文献ごとに表記の揺れはありますが、それはこのように図示されるのが一般的です。
当然ながら、これは、人間の欲求が段階的に、より高次になってゆくというものを示したものです。

しかし、実は、これはマズローが妥協した説であるということはあまり知られていません。本当は、「自己実現」よりも高次の欲求があることをマズローは知っていた。しかし、マズローはそれをカットして公表したのです。実は、「隠れ三角形」が存在している。それを再表示したものが、この図です。

真のマズローの欲求段階説
つまり、マズローは自己実現の上に、さらに、「ゴリラへの憧憬」「ゴリラ化」の2段階の欲求段階があると説いた。僕自身、これは素晴らしい着眼点だったと思います。

人はみな、自己実現の先に、ゴリラへの憧れを抱き、自らをゴリラ化しようとする。
しかし、それは叶わない。なぜなら、人間は永遠にゴリラに到達できないからです。そのことを知っていたマズローは、表向きの欲求段階説においては「ゴリラへの憧憬」「ゴリラ化」をカットしたのです。

彼は、人の手が及ぶ範囲の欲求としては、自己実現を最も高次な欲求とせざるを得なかったが、実は、人の手が及ばない次元の欲求の存在も気付いていたのです。つまり、これをカットすることにより、彼は心理学者としては賢明な判断をしたが、ひとりの人間としては自分に嘘を吐いたのです。


『中村屋』でだしかけと卵かけご飯を食べました。
 2月13日(日) 井泉亭@吉祥寺
浅井力三をご存知でしょうか。
 
数十年前に東山動物園の3頭のゴリラを手なづけ、世界で初めてゴリラショーを行った飼育員であり、ゴリラを語る上では最重要人物の1人ではないかと思います。浅井さんは、2001年に78歳で亡くなっています。そして、浅井さんがゴリラショーを行ったゴリラの内、ゴン太は1973年に約16歳で死亡、プッピーは1979年に23歳で死亡ということで、浅井さんより早く亡くなっているのですが、オキだけはだいぶ生きました。去年の年末に「日本最高齢のゴリラが死んだ」というニュースがあったのがオキのことです。

ゴン太とプッピーが死んだ時、浅井さんの嘆きっぷりはハンパなかったと言いますが、そういう意味では、オキは浅井さんよりも長く生きたので、偉かったのかもしれません。

さて、近頃は辞書でゴリラと引くと、ゴリラの性格について「穏やか」「臆病」「神経質」的なことがちゃんと書かれるようになりましたが、さすがに昔は、辞書の段階でゴリラの性格を誤解しているものあり、なかなか興味深い。これは昭和40年代に発行された辞書のゴリラの項目です。
完全にキングコングのイメージです。

この前放送された「ダーウィンが来た!」のゴリラのやつをNHKのサイトで買って、ドリーム坊や(7歳)に見せたら10分で飽きてどこかに行ってしまいました。


井の頭公園には茶屋が結構あるのですが、その中で一番古いのが、江戸時代から続いている『井泉亭』です。太宰治や野口雨情も来てましたよ的な茶屋です。
 
いまでも、井戸水を料理に使っているよう。

安藤広重が描いた井の頭公園の「弁財天の社雪の景」という絵に『井泉亭』と思われる建物が描いてある的な話もあります。
べらぼうに家庭的なカレーが売りです。
 2月12日(土) 春木屋@吉祥寺 旅人食堂@吉祥寺
「寒さ」という言葉に、「寒さ」以外の意味はないと思う。
ドッペルゲンガール(2歳)の語彙が急速に伸び、動きも相当増えてきたことから、最近は、ドリーム坊や(7歳)と盛んに遊ぶようになってきました。バカみたいに楽しそうな声がとなりのへやから聞こえてきたので見に行ったら、もう、こんなんです。
 

吉祥寺はタイ料理屋とかかなり多い。
「その吉祥寺でエスニックといえば?」ってなっても、真っ先に名前が挙がってきてもおかしくないのが『旅人食堂』です。
 
「トムヤムクン」とか無限に飲めそうなくらい好きです。
 
しかし、例によって、こういう店は女性客がほとんど。
 
*****

『春木屋』の中華そば。
 2月11日(金) ビストロナナカマド@吉祥寺
すごい部署があったものです。

雑居ビルの7階にある完全に穴場のフレンチ『ビストロナナカマド』に行きました。
ビルの外階段の踊り場からの吉祥寺の様子。この角度で吉祥寺を見るのはレアです。

僕はフランス生まれのフランス育ちで、まだ日本に来てから1週間経ってないのですが、やはり故郷の味が恋しくて、フランス料理を食べに来ました。
 
まだ箸の使い方に慣れてないので、ナイフとフォークでする食事は安心します。
このデザートの色彩、完璧ですね。ポップ&キュートとは、まさにこのことです。
これを見た瞬間に僕が思い出したのは、AKB48の「ヘビーローテーション」のPV(YOU TEBE)です。色彩としては、完全に世界観が一致しています。

「ヘビーローテーション」のPVを作ったのはサイケの達人であるところの蜷川実花ということですが、上のデザートの写真の彩度を上げれば、さらに蜷川実花感が増すような気がする。
このデザートの色彩における「ヘビーローテーション」を彷彿させるっぷりに感化されて、ゴリラコーラスで「ヘビーローテーション」をうたいました。

クリックするとMP3
 2月10日(木)
喜びの裏にある狂気

 2月9日(水) 多摩味@三鷹
ハチマキゴリラをご存じでしょうか。

そもそも、ハチマキというもの自体の存在が非常にスピリチュアルであり日本的です。それこそ、ハチマキについて語りはじめると「武士道」にまで到達するのではないか?というくらいに、ハチマキは日本人特有の精神論とリンクしているのではないでしょうか。

ハチマキとヘアバンドは、見た目は似てても意義が異なるのです。
主に、ハチマキは、運動会や祭りや神風特攻など、「気合い」とか「精神統一」が必要とされる勝負どころに用いられるため、それは極めて儀式的です。しかし、僕のような素人の考えでは、むしろ、布を頭に巻くと変に血行が悪くなって、気合いを入れたり精神統一をしたりするには逆効果なのではないか?という現実的なアプローチでの心配をしてしまうのです。というか、ハチマキを巻くという行為に実用的な価値などひとつもないだろうとさえ思います。しかし、遡れば、ハチマキをする伝統はハチマキゴリラが生み出したものです。

かつて、天照大神と戦っていたハチマキゴリラが、ある日、天照大神の不意打ちを食らい、矢で頭を射抜かれたことがあった。放っておくと、脳味噌が頭蓋から漏れ死に至るため、「このままではいけない」と思ったゴリラは頭に布を巻いた。一度失いかけた脳味噌が布で救われたことによって、このゴリラの気合いは高まり、精神力も以前とは比べ物にならないくらい高まり、天照大神を殴り殺して返り討ちにすることに成功したのです。これがハチマキの由来です。

それ以来、日本人は、何か重要な局面に際した時にハチマキを巻くようになったのであり、本来、ハチマキは脳漏れを防ぐためのものだったのです。


『多摩味』でカレーラーメンを食べました。
 2月8日(火) ホープ軒@吉祥寺
時々、「出オチ」っていう言葉自体が出オチなのではないかと思います。

「おい、それ出オチじゃねえかよ」ってことは誰でも言えるんですけど、普段、僕たちは、どれほど、話に「起承転結」を持たせて、なおかつ、「結(オチ)」に責任持ってるのか。

だいたい、地球が出オチです。
地球の登場シーンにて、「丸いのかよ!青いのかよ!こんなところで猿が進化するのかよ!」あたりで、あっという間にオチています。にもかかわらず、いったい、何十億年、この地球は、この出オチだけで間を持たせてるのか。

『ホープ軒』で中華そばを食べました。
 2月7日(月)
ゼンジー北京

ガンジー北京

ヨッシー北京
 2月6日(日)
ドッペルゲンガール(2歳)語録

「イチゴも、果物も、ブドウもシュキだよ!」

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ドリーム坊や(7歳)語録

「九九の『1の段』は、5ずつふえてくだけの『5の段』よりもぜんぜん難しい。だって、『イン』って言いにくいから」

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動画を編集しました。

動画:ファッキングジャップは鳴り止まないっ
 2月5日(土) 八つ浜@三鷹
「エジプトはナイルの賜物」

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ドッペルゲンガール(2歳)に「津軽海峡冬景色」を教え始めました。

クリックするとMP3
この歌は日本人にとってあまりにも大事な歌です。


『八つ浜』のうな重。
 2月4日(金) 異端児@吉祥寺
人のことを住所で呼ぶゴリラほど、人のことを住所で呼ぶ者はいません。

このゴリラは、人を見ただけで、その人が現在どこに住んでいるのか特定できる能力を持っています。ですから、ある人を見ると、「やあ、北海道旭川市五里羅町2−4−1さん」などと言ってきます。では、ホームレスなり、海賊なり、スナフキンなり、住所が不定の人をどう呼ぶのか?という疑問が生じます。その場合は、その人が物理的に最も長く滞在したことがある場所の住所で呼ぶし、場合によっては、その人が愛着を持っている土地の住所で呼ぶのです。

また、このゴリラは、住所を言えば、世界中どこでも、そこに誰が住んでいるのかを言い当てることができます。例えば、「北海道旭川市五里羅町2−4−1に住んでる人は誰?」と聞くと、「ビルゲイツ」などと正しく答えることができる。さらには、その人がどのような経歴を持ち、どのような人間なのかを、かなり詳細に説明することができます。つまり、このゴリラの能力は、個人情報保護法との兼ね合いはあるにしても、工夫すれば、配送・郵便事業などにおいて、いや、あらゆる事業において非常に役に立つと僕は考えています。

ただ、このゴリラをそのような事業に活用することはできません。なぜなら、そんなゴリラは僕の脳内にしか存在しないからです。


『異端児』のとんこつ。
 2月3日(木) 珍来亭@吉祥寺
「思い出地獄」という地獄を考えました。

これは、短期間の思い出が永遠に繰り返されるという地獄です。例えば、「強制的におばあちゃんの食べかけのタクワンを食べさせられた約3分の出来事」とか「ラーメン屋で注文を忘れられ10分も無駄にした」などの、命にかかわるほどの嫌さではないが、ちょっとした嫌さに彩られた出来事の思い出が永遠に繰り返されるという地獄です。まあ、ちょっとした嫌な出来事も「永遠に」繰り返されるとなると、めちゃくちゃ嫌なのであり、だからこそ地獄なのです。


『珍来亭』で飲みました。
 
 2月2日(水)
萬田久子の子孫
 2月1日(火) 大衆@吉祥寺
見慣れゴリラほど見慣れたゴリラはいません。

考えてみれば、「見慣れる」というのは雑駁な概念です。
例えば、僕たちはタモリを見慣れていますが、それは、テレビの中のタモリを見慣れているのであって、本物のタモリを見慣れているわけではない。つまり、僕たちはタモリの虚像に見慣れている。

別のアプローチを採れば、僕たちは、人間そのものは見慣れていますが個人になると見慣れていない。僕たちが見たことがある人はホンのわずかしかおらず、世界には見たことがない人が何十億人もいます。もはや、「世界は見たことがない人で構成されている」と言ってよい。

僕たちはリンゴを見ても驚かない。リンゴを見たら、「リンゴだ」と認識する。それはリンゴを見慣れているからです。初めてリンゴを見たら「これは何だろう?」という反応になる。

ところが、実は、全てのリンゴは初めて見るものなのです。
「リンゴ」で大きく括れば、リンゴは見慣れたものですが、個別的に見れば、リンゴは他にひとつとして同じものがない。その意味で、本来、「全てのリンゴは見慣れていない」のです。僕たちは、「リンゴ」という括りの中でのみ、リンゴを見慣れているのであって、その先に踏み込むとリンゴなんて見慣れてないのです。

本題です。
ここで、一般的によく見る感じのゴリラの姿を想像していただけますか。いま、あなたの頭にちゃんとゴリラの姿が浮かんでますでしょうか。それです。それが紛れもなくあなたの見慣れゴリラです。

見慣れたゴリラというのは人によって違うのです。その人がどのようなゴリラを見てきたかで見慣れたゴリラも変わるということです。


最後に来た時から1年は経ってないと思うけど、『大衆』で飲みました。
このお店は、ネタで飲みに行く分にはもってこいですね。
畳で言うと、四畳とか五畳くらいの小さな店なんだけど、もう、80歳くらいのじいちゃんが一人でやってて、出入りの際に太鼓鳴らしてくれる。それがすごいシュール。

そして、やり方が頑固。
「最低焼き鳥5本注文しないと他のメニューは一切注文できない」みたいなこと言う。そんなこと、どこにも書いてないのに。焼き鳥1本100円だから、最低500円からのスタートになる。お通し代は取らないけど。

そして、あくまでも個人的な意味での相対的な感想として、焼き鳥は不味いです。でももう、僕は美味いから行くとか、不味いから行かないとか、そういう価値で語れない店が無くなるのは勘弁願いたい。とにかく、古い店が無くなってはいけないと思う。だって、古いから。古いもんは、むやみやたらに無くしちゃダメでしょう。古いもんを無くすと、この世から古いもんが無くなるんですから。それにしたって、レバ刺しは美味しいです。

こういうタイプの店、どう考えても今後少なくなるんだけど、何で少なくなるかというと、とりもなおさず、こういう店に若者が行かなくなるからです。世代が途切れるからです。そして、こういう店が無くなって困るのは、地元民ではなく、国家だと思ってます。この店は、それほどに「日本」だと思ってます。

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