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 ポクポクライフは2016年5月23日(月)でいったん終えました
今後はインスタグラムで活動します。

ポックリボーイのインスタグラムアカウント

正式アカウントだけじゃなくてwebsta(僕のアカウント)とか色んなビューワーがあるので見てくれる方は適宜アレしてください。まあもし「お気に入り」にポクポクライフとかを入れてくれているようだったらこっち側に変えていただくと同じことにはなると思います。

インスタに特化することでポクポクライフよりも情報量や発信量が増える可能性は多々あります。
 5月23日(月) 大勝軒@永福町
ポクポクライフとしては最後の食べものの写真になりますがこれを永福町『大勝軒』とします。
2007年5月に書いたラーメン用ブログで僕はこの店を「東京で一番好きなラーメン」と表していますが結局いまもそれは変わりません。

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終わりでございます。

ザックリいうとポクポクライフで示したかったのは「この世界で最も強い価値はバカという価値である」という事実でした。もちろんもしかしたらこれは事実ではなく妄想かもしれません。

いずれにしても、僕は「バカ」がこの世界で最も強い価値であることを示さなければならないという使命感を勝手に持っています。たぶんこれはポクポクライフとか関係なく死ぬまで変わりません。

問題なのは「バカ」が最強であることを証明するには「バカ」以外の全ジャンルのこともすべて知ってから判定しなければならないということです。政治も経済も宗教も天文学も生物学も野球もカバディも陶磁器もNTT西日本IP通信網サービス契約約款(電気通信事業法(昭和59年法律第86号))もすべてを知りつくしてからじゃないとそのような判定はできません。まあでもそれは事実上不可能ですよね。かといってそれでも僕はやはり仮説としてでも「バカ最強」っていうのをぶち上げていかなければなりません。

だから僕はできるだけたくさんのことを勉強して、なおかつ、その勉強したことの全ての価値よりも「バカ」の方が高い位置にあると説明する必要があると考えています。僕が色んな検定の勉強をしているのは「それだけが目的」だからです。

ありとあらゆるすべての価値の上に「バカ」が君臨していてほしい。確かに「知性」は人を幸福にします。しかし「真の知性たるバカ」はその比ではなく人を幸福にするみたいな理論を構築したいわけですね。

今日でポクポクライフをやめるにあたって何かしら最低限の「ひねり」が欲しかったのですが、具体的に僕はそれを「僕じゃない人の文章で自分のサイトをやめる」というものを選びました。

毎週末一緒に飲んでいるゲル博士や、音楽的な才能や料理的な才能がすごいコヒちゃんなど、僕は14年間のポクポクライフ運営生活においてリアルにおいても全幅の信頼を寄せられる存在を得ています。

中でも異色なのが「ゆらゆらする生活」の北沢くんです。

彼は17歳だった11年前からポクポクライフを見ていてくれていました。そのつきあいの中で、僕は彼の圧倒的な「才気」なり「知性」なり「感性」なりに少なからず警戒心を持っていたし、ものすごく年下ながらも明確に尊敬心を抱いています。

まあ分かりやすくいうと、北沢くんはめちゃくちゃ頭が良いんです。とんでもなく頭がいい。

2010年に一緒に飲んだ時の北沢くん(北沢くんが22歳で僕が35歳くらい)
即興的な知性が求められるディベート大会みたいなやつでも優勝するわ、熟慮を根拠とした知性がはかられる大学対抗の論文大会みたいなやつでも優勝するわ、みたいないわゆる「お勉強ができる」というような、いわば「わりと無機質で機械的な頭の良さ」は当り前ながら、「生まれちゃったからには人生をよりおもしろく生きぬくためにどうすりゃいいんだ」みたいな有機的で生きた幸福論のようなものに対してアンテナを張る頭の良さが振り切れています。

北沢くんはいまドイツに行っちゃったんだけど、ドイツに行った理由も「頭が良いから」です。
彼の周りには頭が良い人間がいっぱいいて、だからこそ選ばれた者しかドイツに行けないんだけど、彼はそういう苛烈な境遇でも周囲の頭が良い人間の中を勝ち抜いてしまうほど頭が良い人です。結局、頭の良さが日本だけに収まらなかった。ここまでいったらとことん頭の良さで生きてほしいですね。

あ、そうそう。北沢くんはむかしから姉ちゃん(去年カナダに移住した)とともにポクポクライフを見てくれていたんです。すっごい些細な話ですがこの北沢姉弟は僕のことをふたりして「ポックリボーイー!ポックリボーイー!」と「さん付け」とかなしで親しげに呼んでくれるんですよね。

2014年の北沢姉と北沢くんと僕
だいたいの人は僕のことを「ポックリさん」「ポックリボーイさん」って呼んでくれて、それはそれでもちろん全然ありがたいんだけど、敬称とかなしで「ポックリボーイ」って生で呼んでくれるのが実は僕としては距離感的に一番うれしいです。

ということで、僕が全幅の信頼を置く北沢くんの文章でポクポクライフを〆たいと思いますが、まあ北沢くんは本当に上手に読者代表的なことで書いてくれましたよね。

僕は基本的に「ポクポクライフをやめるから何か書いて」としか言ってないんだけど、北沢くんは頭が良すぎて全部僕の意図を汲んだものを書いてくれました。むろんこうなることは分かっててやったことなので「これも僕の計算どおりだな」という話なのですが、一方的なお願いで原稿を書かせておいてそんなことをいうのは不遜にもほどがありますよね。

かといってガチで僕の想い描くポクポクライフの終わり方に沿った趣旨のことをやっぱ北沢くんは書いてくれちゃうんです。

日本に帰ってきたらまた『ささの葉』だね。原稿料としておごらなきゃなりません。少なくとも刺し盛りのマグロ部分だけは。


ポクポクライフ最終回に対して北沢くんが書いてくれた文章

ポクポクライフが15年目を直前にして、更新を停止するということを聞きました。それに際して、何かを書いてと言われましたので、何かを書こうと思います。

ポクポクライフの更新が終わるということを耳にした時、みんなこう思ったはずです。「ポックリボーイが存在する限り、ポクポクライフはいつまでも続くと思っていた」と。僕もそうです。

僕がいつからポクポクライフを見ているかというと、17歳だった11年前、2005年からです。当時は、ブログやSNSのような手軽な発信手段がなくて、「自ら発信する障壁」がものすごく高かった。ネット上の情報は限られていたので、インターネットにおもしろを求める人たちは、大体同じようなサイトを見ていました。それがテキストサイトと呼ばれる界隈です。そのなかでも、ポクポクライフは異彩を放っていたように思います。

毎日わけわからない文章を上げるし、かと思うと油絵が載ったり、漫画があがっていたり、バカな音声や映像も上げる。自己顕示欲のマルチメディアな濃縮されぐらいが凄まじかった。そして、それらが抜群に面白いので、高校生の僕は完全に虜にされてしまいました。

11年前、僕は、ポックリボーイのバカ音声をiPodにダウンロードして、高校への通学途中に聞いていました。それぐらい好きだった。

ここで驚くべきことは、「僕がポクポクライフを好きなことを、当時ポックリボーイは全く知らなかった」ということです。今のデジタルネイティブ世代には信じられないことかもしれませんが、“いいね”も“コメント欄”もない時代には、コンテンツへの好意を作者へ伝えられないのは普通のことだったのです。そこには、ただ、粛々とポクポクライフをアップロードするポックリボーイと、それを一人でニヤニヤみる高校生の僕が居て、その傍らでアクセスカウンターが静かに回っていました。

数年後、僕のホームページにポクポクライフへのラブコールを書いたり、mixiが出来てメッセージを送ったりして、自分のことを認知してもらい、ついに、ポックリボーイに直接会って、ポクポクライフへの思いを直接伝えることができたのです。僕が19歳の時だったと思います。

インターネットで聞いた声と同じ人が目の前に現れた時、天と地がひっくりかえるような、インターネットとリアルがひっくりかえるような感覚になりました。なぜなら、僕にとって、ポックリボーイはポクポクライフの中に生きている人だったからです。

そうです。ポックリボーイはポクポクライフの中に生きているように思えました。
ポックリボーイがポクポクライフを作ったのではなく、ポクポクライフという土壌があってはじめてポックリボーイが居るように思えました。

ホームページを更新したことへのリアクションってほとんどアクセス数だけです。
ポックリボーイは、ほぼリアクションがないなかで毎日更新していたということになります。フォロワー0のツイッターアカウントで、毎日、ツイートよりも100倍以上めんどくさい手順で更新してきたような感じです。

今考えると、ホームページというのは、もはや宛名のない怪文書と同じの類なのかもしれません。これを、14年間にわたって続けてきた。どれほどの思いが詰まっているか。更新をやめることがどれだけの決断か。

SNS登場以前のネットにおいては、自分が自分であるということをネット上で確立するには、その拠り所となるホームページが必要でした。ネット上のポックリボーイのアイデンティティーは、「ポクポクライフ」という名刺があって初めて成り立っていました。インターネットにおけるコミュニケーションの肝がリアルタイム性になり、情報と個人を紐付けるものは、ツイッターやインスタグラムのアカウント名に変わりました。

つまり、ポクポクライフがなくしても、ポックリボーイはポックリボーイとして存在できるようになった。寂しいけれども、自由になったということでもあります。

ポクポクライフを初めて見た時、17歳だった僕は、いま今28歳になりました。その間には、浪人したり、大阪に引っ越したり、ドイツに引っ越したりといろいろなことがありました。ポックリボーイが、ポクポクライフを始めたのも、同じ28歳だったそうです。僕が今のポックリボーイと同じ歳になる13年後、うーん、ポックリボーイはまだポックリボーイとして吉祥寺で飲んでいるような気がします。

その頃、SNSにも、インターネットにも飽きたら、文章や絵を紙に書いて、吉祥寺で撒き散らすのって、どうですか?それを楽しみにこっそり見る人は必ず居ると思うので。

あの時ポクポクライフを見ていた高校生の僕みたいに。

 5月22日(日) パッサテンポ@吉祥寺 いしはら食堂@三鷹
どんな無茶な発想でもいいから世界平和を実現する方法を示しなさい。

といわれたら僕はどういうアイデアを出すべきでしょうか。
少し考えてみたのですがそれを目指すなら人類は名前を失います。いいかえれば「個」である必要性がなくなる。

それは蟻がそうであるように蜂がそうであるように「個」ではなく「集合体」が生命としての意味を持つようになるのです。集団さえ保つように機能すれば個体の識別など意味がない。もっと具体的にいえば人類の脳はひとつにまとまります。

人口は60億人いるのに脳はひとつという「集合生命」が完成する。それが僕の提示しうる「世界平和」の形態です。

60億人が60億通りの意志を持っているのにひとつの思想を強制すればそれはファシズムですが、最初から60億人がひとつの意志しか持たないならそれは「究極の平和」でしょう。

地球の限られた資源はひとつしかない意志によって60億人に平等に分配される。
障害者をどうするか。高齢者をどうするか。植物状態の人間をどうするか。結論がどうなったとしてもそれらの問題はひとつの意志によって決められるので争いは起こりません。

物理は10億であろうと60億であろうと1兆であろうと精神はひとつ。

これが僕が描きうる「世界平和」です。

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吉祥寺のフレンチ『パッサテンポ』で気合の入ったパスタ。

『いしはら食堂』です。超絶にうまいしゃけ焼き納豆生卵。
 5月21日(土) 向日葵@三鷹 龍朋@神楽坂 天下一品@神楽坂 串鳥@吉祥寺
むかしアシッドさんっていう特殊なおじさんがいたんです。

手から強力な酸を出してあらゆるものを溶かしてしまう。
見た目は普通です。草刈正雄を少しだけ太らせた感じのおじさんでした。アシッドさんは前科持ちでむかし酸で他人の子どもを殺してしまったことがあるんですね。故意ではなく事故だったらしいのですが具体的にはどのような経緯で子どもを殺したのか明らかにされていませんでした。手から酸を出す人間という特殊ケースなので警察も混乱を避けてあんまりこの事件を外に出さなかったんです。

そういう事情もあってアシッドさんと親しくする人はひとりもおらず、みんなアシッドさんが現れるとおびえるように避けていました。たとえばアシッドさんがスーパーで買い物をする時なんかもアシッドさんの会計に当たったレジのお姉さんは露骨に「不運な目に遭った」という表情をしていましたね。だからアシッドさんの目はものすごく深い深い孤独に染まっているように見えました。まあ、でも子どもを殺したんだから自業自得だと思っていました。

ただ、その事件以降、アシッドさんは手から酸を出すことを必死で抑えるようになったらしく、誰もアシッドさんが手から酸を出すのを見たことがないんですよね。だから、「手から酸が出るなんてデマだ」という人も多かった。もちろん僕もそっち派です。だって、生物学的に考えて人間の手から酸なんて出るわけがないでしょう。

ある日、僕がバスで関西に行くことがあったんです。
バスが休憩でサービスエリアに止まった際に僕がトイレに行くために降りる時に分かったんですがなんとアシッドさんが同じバスに乗っていたんです。正直、ちょっと気持ち悪いなとは思いましたが、まあ、そいうこともあるわな、ってことでやりすごしました。バスが再び目的地に向かって発進すると僕は眠くなってひと寝入りを決めました。

「メリメリ…」という不穏な音が上の方から聞こえてきて僕は目が覚めました。
その時バスはトンネルを走っていました。「メリメリメリ!」音は強くなっていき、次の瞬間、ドドドドドド!という轟音とともにバスの天井の上に何かが激しく落ちてきました。あちこちから悲鳴が上がります。バスの天井はへこみ僕の頭上すれすれにまで迫ってきました。僕は「ああ、ここで死ぬんだな…」と思いました。

まさか自分がトンネル天井板崩落事故に巻き込まれるなんて思ってもいなかった。
ていうか、こういう事故に巻き込まれると思っている人なんてひとりもいないんじゃないですかね。誰もが「自分だけは安全」という無根拠な思い込みによってノウノウと生きている。あとで分かったことですがこの時点で絶命していた人もバス内にたくさんいました。

ほとんど身動きがとれない。天井はまだミシミシとへこみつづけています。「…こっちだ!」という声がバスの前方から上がりました。狭い中央の通路を何とか這いつくばって声の方に向かうとアシッドさんがいました。

大きなダメージを負った身体を必死に奮わせて手から強力な酸を出し、バスの車体を内部からみるみる溶かしています。そしてその先でバスを覆う崩落したコンクリートも溶かしていきます。1時間くらいかけて全てを溶かしきったあとアシッドさんの後を追って自力で脱出できたのは僕を入れて5人でした。脱出の直後バスは完全にぺちゃんこになりました。

崩落のダメージと酸を出したことによって消耗しきって倒れたままのアシッドさんは三色の小さな花束を悲しそうな目をしながら僕に託してそのまま息絶えました。

それはお墓に供えるための仏花でした。
アシッドさんはむかし事故で殺してしまった子どもの墓参りに行くためにこのバスに乗っていたのです。命日だったんですね。そしてアシッドさんの命日にもなってしまった。

僕はアシッドさんがどのような過去を持っていたのかいまだに知りません。
そして知る必要もないと思っています。そんなことはまるでどうだっていい。アシッドさんがどういう人なのかを知るには彼が最期に成し遂げたことを知っていれば充分だからです。

ただ、深い孤独を抱えさせたまま彼を逝かせてしまった僕を含む社会のあり方に納得はできていません。このことはアシッドさんにもらったこの命をもって一生かけて考えていきたいと思っています。

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三鷹狐久保にオープンした『向日葵』です。

神楽坂のソウルフード中華『龍朋』における最強チャーハン。
ラーメンもパワフルです。

神楽坂の『天下一品』は京都本店直営です。都内だと神楽坂と高円寺しか直営は存在せずこの2店だけは納豆トッピングができます。

『串鳥』で手羽先バルログ。
 5月20日(金) 中華食堂ゆるり@西国立 イズミル@阿佐ヶ谷 YO-HO's cafe Lanai@阿佐ヶ谷
 ささの葉@吉祥寺 ホープ軒本舗@吉祥寺
世界では色んなことが起こっています。

新しい星が生まれたり風が吹いたり波が立ったりロバが生まれたり人が喧嘩したり。しかし自然現象としてはあらゆる出来事も重要ではありません。

ただ、出来事の軽重を判断する主体がいる。そのひとつが人間です。人間にとって最も重いものは何でしょうか。それはおそらく「死」です。

だからニュースというのはテロだの大震災だの「死」のボリュームが大きいほど比例して大きく取り上げられます。それでもやはり自然現象としては人間の「死」など何の意味もない。人類が存在しようとしまいと自然にとっては何の感慨もないことです。地球が滅ぼうが自然はそれをニュースにしない。それは「ただの現象」です。

たとえば消費税が上がると貧困層が苦しみ間接的に「死」の問題が浮上するから大きな問題になる。人が死なない存在なら税金が上がろうと下がろうと関係がない。人が死なない存在ならそもそも戦争も食糧難も貧富の差もない。あらゆる問題は「死」とリンクしています。

それを踏まえて僕たちはニュースと接しているでしょうか。
実はニュースは「主体的に」見るものではない。「受動的に」見せられるものだと思っていい。僕たちが見聞できるニュースはマスメディアが用意するものです。ベッキーの報道もイスラム国の報道もすべて報道機関が「これは報道すべき事柄だ」と決めて主観的に報道しているものです。

報道機関が用意したニュースばかりを見る必要はない。まるで洗脳と同じ作用です。
何が有益な情報なのかは自分で決める。その上でニュースと接すべきです。北朝鮮がミサイルを日本に発射するというニュースを知っていると飛んできたときの対処ができうるということがある一方で、別にミサイルが飛んできて死んだっていいからテレビなんて見ないという立場があってよいということです。

重要なのはやはり僕たちはニュースを見ているのではなく見せられているという俯瞰です。
タレントの不倫がけしからんと言っている人はその怒りの題材をマスメディアに用意されたわけで完全に踊らされているという「見方」も備えておくことです。

ニュースばかり話題にしているとその世界にしか視点がまわらず、それこそ報道される内容だけでしか話が関連づけられずに陰謀論を唱え出すでしょう。見せられたニュースだけを題材に世界が動いていると思い込んで自己完結的なパズルをおっぱじめるんです。世界はそんなに狭くありません。メディアが鹿爪らしく発する「世界情勢」なんて言葉は何にも意味がない。

極論をいえばニュースなんて存在していない。
ヤフーニュースや今日の新聞に載っている記事は巨視的・客観的な重要事項ではなく単純に報道機関の視点です。

となりに住んでいるじいさんがスイカを4個食べてもニュースにはならない。それは報道機関によってニュースとして選ばれない。しかし「何が重要か」を決めるのは報道機関ではなく自分です。どこかの国で5万人が死んだ災害の情報が重要なのか。それともとなりに住んでいるじいさんがスイカを4個食べたという情報が重要なのか。それを決めるのは誰でもなく自分です。

僕が思う「この世界で常に最も重要なニュース」は「いま自分自身がこの世界で生きている」という大事件です。これを超えるニュースなど生きている限りありえません。ここを常に起点にしていないとあらゆる情報は何の意味もなさないと思っています。

ポクポクライフも終盤なのでちょっと「僕の基本的な考え方」をあらためて載せておきました。

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西国立の医食同源コンセプトの『中華食堂ゆるり』で麻婆豆腐茄子飯。

トルコ料理の有名店『イズミル』でドネル・ケバブ。肉々しい。
羊肉の串ことシシ・ケバブ。

同じく阿佐ヶ谷の『YO-HO's cafe Lanai』で強烈においしいオックステールスープ。
スパムも超うまいです。

輝く『ささの葉』の刺し盛り。
エボダイとタカベ。
 5月19日(木) いぬい@牛浜 福実@牛浜 ささの葉@吉祥寺 富士そば@吉祥寺
クマに襲われて死ぬと全て意味がなくなりますよね。

たとえば「原発反対!」とか「安保法制反対!」とかそういうデモを行っている人がいたとしてクマに襲われて死ぬと全て意味がなくなります。もはや原発とか安保法制以前の問題ですよね。

先進国の首脳が集まって重要な取り決めを行うにしても取り決めを行っている最中にクマに襲われて死ぬと全て意味がなくなるのです。

そう考えるとこの世で一番案ずるべきことは「クマに襲われるのは怖い」ということになります。

みなさんは「まさか自分がクマに襲われることはあるまい」と思っていませんか?
もしそう思っているのなら救いようのないクズですね。そんなやつはクマに襲われて死んだ方がいいです。どんな人間もクマに襲われる可能性はあるのです。確率でいうと100%です。誰もがみな100%の確率でクマに襲われる。

つまり原発とか安保法制は僕にとってはまるでどうでもよくてクマに襲われることの方が恐ろしいのです。だから僕はどのような内容であろうとデモを行っている人を見ると「そんな心配よりもクマに襲われる心配をしろよ」と思っています。

というかデモを遠目に見ながら不敵な笑みを浮かべ「そんな心配よりもクマに襲われる心配をしてはいかがかな…」と呟きメガネの真ん中を一本指で上げてますからね。

なぜならクマに襲われて死ぬと全て意味がなくなるからです。

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牛浜の『いぬい』。落ち着き払った妙味。

マグロ節を使う24時間営業の『福実』です。パンチ力あり。

『ささの葉』。マスターとスタジオジブリ深谷さん。

『富士そば』で〆ました。
 5月18日(水) ラーメン二郎@荻窪
何度か言っていることかもしれませんが僕が仏教をおもしろいと思うのは「ひたすらにネガティブだから」です。

「一切皆苦」という言葉から仏教は始まりますからね。
「一切が皆苦しい」がスタートラインなんだからもうどうしようもない。

そしてこの苦悩は死んだ後も永遠に続きます。それが「輪廻転生」です。
僕らの感覚だと死んでもまた生まれ変わることって「やった!ラッキー!」と思うんだけど、仏教は真逆で「生きることは苦しむこと」だと考えます。だから「永遠に生まれ変わる=永遠に苦しむ」という理屈になる。

輪廻転生に終止符を打つ方法は唯一「解脱して涅槃に至ること」のみです。
ポイントは、釈迦もそれを使ったように涅槃への入口はこの世である「人間道」にしかないということです。

人間は「天界道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六道のいずれかを輪廻転生し続けるが、唯一「人間道」にのみループから脱出できる出口があると説明されるんです。

本題はここからですが、「人間道」の上に「天界道」がありますね。
神の国っぽい印象を持ちますが、実はここの住人である天人も煩悩から解放されていません。だから天人も死んだら再び六道に転生します。

ランクの高い天人は身体も性別も持ちません。ランクの低い天人は身体も性別もあります。
天人は寿命が長くて生きているうちは苦悩もほぼ皆無で人間の比ではなくめちゃくちゃ楽しい。天女である弁天様を想起すれば分かりやすいのですが天人は空をふわふわ舞って楽しげな音楽を奏でます。

ジブリ映画の「かぐや姫」で流れていた天人の演奏はまさに天人っぽい絶望的に享楽的で虚無感豊かな傑作でした。あの音楽は凶器でしかない。

その天人が長寿の末に死ぬ前に見せる兆候「天人五衰」がシュールすぎるんですね。
「衣服が垢で油染みる」「頭の花が萎える」「身体が汚れて臭い出す」「腋の下から汗が流れ出る」「自分の席に戻るのを嫌がる」ってやつです。全部が卑怯すぎるくらいおもしろいんだけど特に「頭の花が萎える」ってのがおもしろすぎますね。そもそもとして頭に花が付いているのがふざけてるじゃないですか。

それが死ぬ直前に萎えるとかもうギャグじゃないですか。
僕なんか指差して「あ!あの天人の頭の花萎えてる!もうすぐ死ぬぞ!」とか言うと思うんですよね。

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リニューアル後初めての荻窪『ラーメン二郎』です。
めちゃくちゃ旨いのでリピートすると思います。
 5月17日(火) 大勝軒@永福町
たかまゆ出演の「キミ色に染まって…」60秒動画です。

「キミ色に染まって…」60秒動画

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永福町『大勝軒』です。
生卵ダブルの宇宙。
 5月16日(月) 成蹊前ラーメン@吉祥寺 らーめんぺぺ@三鷹
僕は森羅万象を剥がす能力を手に入れました。

いままで僕が剥がせたものはせいぜいシールだったり毛布だったり木の皮くらいにとどまっていたのです。
しかし、いまの僕は森羅万象を剥がすことができます。

ためしに月を剥がしてみたところ中から身体を丸めた大きなウサギが現れて、待ってましたと言わんばかりに体勢を立て直して宇宙に向かって逃げていきました。僕はあわててウサギを捕まえて再び月を被せたのです。

僕に剥がせないものなどない。
次に僕は太陽を剥がしてみました。すると太陽の中から太陽神ウィツィロポチトリが現れました。僕は太陽神ウィツィロポチトリをその場で捕食して自らを太陽神と化した後、自分自身の分身を生みました。そして分身を新たな太陽としてこの銀河に残し、別の銀河へと移りました。

究極的に剥がせる物理は何だろうと考えた結果、僕は宇宙そのものを剥がすことにしました。そして僕は宇宙を剥がしました。

宇宙を剥がすと中から僕が現れました。
なるほど。宇宙とは僕のことだったのか。そして、僕は宇宙の中から出てきた僕に取り込まれたのです。こうして存在しているのがいまの僕です。いまの僕には森羅万象を剥がす能力はありません。

しかし、もう一度あの能力を手に入れたら絶対に剥がしてみたいものがあります。それは永遠です。永遠を剥がすと中から何が出てくるのだろう。

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『成蹊前ラーメン』です。カレー味っすね。

『らーめんぺぺ』で一番です。
 5月15日(日) 楓@荻窪 いしはら食堂@三鷹
もし太陽系が好きならば仮に「惑星寿司屋」を見つけても入店しないほうがいいです。

これは新鮮な太陽系の惑星を握ってくれる寿司屋です。
その店で「大将、地球握ってよ!」と言おうものなら地球はあなたの口の中で咀嚼されて滅亡する。地球だけじゃなく太陽を食べても太陽系のすべての惑星から光と熱が失われてしまいます。

実のところ、いま僕はまさに「惑星寿司屋」に来ています。ネタケースの地球が青々しくて美味しそうです。

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野方のミシュランビブグルマン掲載店『花道』が別の味噌ラーメン専門店ブランド『楓』をオープンしました。濃厚で生姜餡がたっぷり。

最強すぎる『いしはら食堂』でしゃけ焼き納豆生卵。
 5月14日(土) いつみ屋@府中本町 とんび@府中 大黒屋@武蔵小金井 鶴亀屋@武蔵小金井 玄関食堂@三鷹
人生を心機一転させるため思いっきり環境を変える一環で新居に引っ越したももみの家でパーティーでした。
ももみ渾身のローストビーフ。

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府中本町の『いつみ屋』です。超絶に実直。まじめすぎる逸品でした。

2軒目は府中の『とんび』です。グイグイ来ます。

武蔵小金井の『大黒屋』です。

西荻窪『ひごもんず』系列の『鶴亀屋』で台湾ラーメン。
 5月13日(金) 鶉@武蔵境 ささの葉@吉祥寺
僕の場合、左右のこめかみを同時に指で押すとイスタンブールにワープしてしまいます。

おそらく庄野真代がうたった「飛んでイスタンブール」という歌は僕と同じ症状の人を題材に作られたものだと思います。なぜ左右のこめかみを同時に指で押すと、新疆ウイグル自治区ではなくイスタンブールに飛ぶのかは僕もよく分かりません。

僕自身はどうせならイスタンブールではなく新疆ウイグル自治区に行きたいと思っています。
だから、こめかみの手術をして新疆ウイグル自治区にワープできるようにしたいと思っています。

でも、手術が失敗して、静岡県の世界真光文明教団総本山にワープするようになっちゃったりして(笑)

世界真光文明教団総本山

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久々に武蔵境『鶉』です。辛味噌ラーメン。

生しらすがある凄い『ささの葉』です。
圧巻の牛すじ大根。
 5月12日(木) 梁山泊@武蔵関
「前に住んでいた場所が札幌になる超常現象」を経験された方は多いのではないでしょうか。

多くの人は「前に住んでいた場所」を持っています。
僕でいえば「東京都世田谷区」だったり「埼玉県上福岡市」だったり「北海道深川市」だったりします。

ところが僕が以前住んでいた場所はすべて「北海道札幌市」なのです。
なぜなら「そうなったから」です。それ以上の理由はないんです。

僕が前に住んでいた場所としての「東京都世田谷区」「埼玉県上福岡市」「北海道深川市」は超常現象で「北海道札幌市」になったのです。なるかボケ

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肉あんかけチャーハンが有名な武蔵関『梁山泊』で肉あんかけチャーハンを食べないシリーズですが今日はかにチャーハンです。
 5月11日(水) もも吉@吉祥寺 串鳥@吉祥寺
ポクポクライフは2003年5月24日に始めました。

今年は14年目ですね。そこで15年目に入る直前の2016年5月23日でいったん終えます。

終えるというか毎日更新を止めようと思っています。
その後の更新頻度が年数回なのか年1回なのかは決めていません。一度更新しなくなると面倒くさくなってもう二度と更新しないかもしません。ただ現時点ではホームページをサーバから消すことは考えてなくて更新せずともサーバ代は払い続けようと思っています。

更新を止める理由はさまざまありますが、やはりこのhtmlフォーマットはインフラ的にオンボロすぎてSEO的に脆弱を極めています。ブログフォーマットに書けば最新情報として検索に引っかかるものがそうならない。まあそれが良さでもあるのですがいかんせんアクセス数が低いんですね。

インスタグラムのフォロワーが爆増してくれている(現時点で9,000千人超)ことも大きな契機とします。
僕が書いた文章はポクポクライフよりインスタグラムの方が何十倍も読まれています。

ゆえにポクポクライフのコスパの悪さはもはや常軌を逸している。
渾身の文章をポクポクライフにあげると数百人の目にしか触れないがインスタグラムに上げると数千人に見てもらえるという葛藤に苛まれるわけです。

アクセス数が低い状態は何年も前から変わっておりませんが僕はコスパ意識でこのサイトを運営するのはやめようと思ってずっと続けてきました。初心として「1日5人の知らない人に見てもらえるだけですごいことなのに50人も見てくれたら万々歳」だという意識ですね。

とはいえさすがにインスタグラムという自己投資性のポテンシャルが計り知れないSNSの魅力は無視できる範疇ではなくなってきました。補足的にいえばSNSのリアルタイム性は時代的要請でありパソコンからしか更新できないこのスタイルはweb環境としてすでに死滅状態にあるともいえます。

むろんこの決断は非常に心苦しくもあります。
ポックリボーイの正式名称は「ポクポクライフのポックリボーイ」といっていいほど僕はこのサイトを本丸としていました。

僕はこの場所で14年かけて毎日鍛錬を続けいまに至ります。この世で14年も「ポックリボーイ」を続けてきたのは人類史上僕しかいません。僕がいま持っているすべてのアビリティはポクポクライフによってもたらされたものです。

14年間5,000日以上「1日たりとも文章を書かない日はない」という強制脳トレ環境は僕に潤沢な思考力や言語能力を授けてくれたと強烈に実感しています。

それだけにポクポクライフを離れた状態の僕が「ポックリボーイ」を名乗るのは片手落ちの要素すらあります。ただまあ離れるだけで消滅するわけではない。

まあしばらくは総合的に様子見になると思いますが今後は一応インスタグラムをメインにweb活動するつもりです。ひとまず5月23日までは通常運営です。

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大好きすぎる『もも吉』の骨付鳥。しょっぱくて最高にジューシー。
ちはなちゃん(20歳)可愛い。
〆の銀シャリは常に神がかっています。

『串鳥』です。
たかまゆという精神安定剤。
 5月10日(火) 梁山泊@武蔵関
セブンイレブンの有名ラーメン店のれんげを全てゲットです。

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肉あんかけチャーハンが有名な武蔵関『梁山泊』で肉あんかけチャーハンを食べないシリーズですが今日はチャーシューメンです。すげえ気合の入ったチャーシューメンですね。
 5月9日(月) 成蹊前ラーメン吉祥寺
意味不明トークショー(動画)

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もはや困ったときの『成蹊前ラーメン』ですね。隙がない。旨いです。
 5月8日(日) 紅虎軒@吉祥寺 トラピッツィーノ@吉祥寺
「スターウォーズ大好きトーク」です。

動画ラジオ「スターウォーズ大好きトーク」

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どうしても担々麺が食べたくなって『紅虎軒』です。

4月末、吉祥寺にオープンしたての三角ピザ屋『トラピッツィーノ』です。超うまいです。
 5月7日(土) みかさ@神保町 藁ウ鴨ニハ福来ル@吉祥寺 ささの葉@吉祥寺
「ハモ横」を歩いていたらエリモちゃんに初遭遇しました。
インスタグラムで僕のようなもののネタなどを見てすごく喜んでくれるうれしすぎる女の子です。

たかまゆ。

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昭和59年熊本で創業した焼きそば専門店が2013年に神保町に店を出しました。『みかさ』です。開店前から20人級の行列です。北海道産の小麦を用いた手ごねちぢれ麺の焼きそばはズンズン響く旨さです。

吉祥寺『藁ウ鴨ニハ福来ル』で藁焼きの鴨しゃぶ。
〆は中華麺をチョイス。旨い。

そして『ささの葉』です。
今日の牛肉は北海道産。これもまた超絶ジューシー。
 5月6日(金) ささの葉@吉祥寺 中華街@吉祥寺 ホープ軒本舗@吉祥寺
誰も踏み込まないのが苛立たしいのでザックバランに踏み込んでみました。

動画ページ

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『ささの葉』の艶やかな刺し盛り。
いまさらながら『ささの葉』は「吉祥寺で一番おいしいお店」です。栃木の牛肉。

久々に『中華街』の味玉ですね。
ももみ、たかまゆ、中田舞子。

『ホープ軒』で〆ました。
 5月5日(木) 森田水産@那珂湊 麺倶楽部@我孫子 13湯麺@五香
見頃も終わりなネモフィラを見に「ひたち海浜公園」に滑り込みました。
4時に吉祥寺出発。6時30分に現地に着いて7時30分開場のため駐車場の行列に並びます。

青さには青さです。

那珂湊です。
朝の魚市場はあまりにも大盛況です。
『森田水産』でウニいくらマグロの三色丼。

我孫子で一番人気の『麺倶楽部』です。『13湯麺』をルーツにする塩らーめんは具なしで450円。

五香の伝説の店『13湯麺』でとんみん400円。ニルヴァーナ超えの旨さでスープまで完飲でした。



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